再度忘備録として、批判的に書き留めておきます。
私はしがない俳人である。
それがわが師六林男の師西東三鬼がスパイとして逮捕される。
私は従って三鬼の孫弟子にあたる。
「雷の夜静かにのぼる昇降機」
これが特高にひっかかり逮捕、投獄は11名(だったか)に及んだ。
我こそは、陰謀、謀略、人を貶める才に長けて居ると自負する方は、この句のどこが國體を棄損しているのか、万人がなるほどと思える解説をしてみてほしい。
戦後、もちろん密告した俳人がいたことが判明し、裁判では三鬼の死後名誉回復裁判に勝訴している。
何のこたーない、密告した方がスパイなのに、無実の者らをスパイとしたのだ。
詳細は調べればあるので、神谷宗弊ほか極右政党はぜひ学んで欲しい。
但し、頭が軽石スカスカでない限り、人間ならいかにバカバカしいかが解ろうというものだ。
――治安維持法を正当化する発言だという批判が寄せられ、神谷代表が否定のコメントをSNSで発表した件ですね。演説での発言をどう見ていますか。「もし彼らが、その国体を変革しようとする国民を『内なる敵』として排除しようとするならば、治安維持法制定の歴史が反復される形になります」「続いて30年代後半には、国体を『変革』する行為だけではなく、国体を『否認』しただけでも検挙を可能とする運用への転換が進みました。現実の国家権力を否定したり蔑視したりするだけでも治安維持法違反に問える、とする解釈拡張です。行為だけではなく内面や思想に基づいて政府が人々を選別していく動きが、本格化しました」――そうした流れを国民はどう見ていたのでしょう。「『おっかない法律だ』と感じていた人はいました。ただ大方の人は、自分は国体変革などをしようとはしていないから自分には関係ない、と思っていたようです。しかし結果的に治安維持法は人々の生き方や思想を呪縛し、動員していきました」■ ■――「内なる敵」とみなされる対象が拡張していった背景には何があったのでしょうか。「もう一つは、30年代に進んだ戦争への流れでした。政府は『敵』との戦いに国民を動員していくにあたって、戦争反対の意見や厭戦(えんせん)的な気分を抱く人々を洗い出し、排除していく必要があると考えたのです。当局は思想浄化と呼んでいました」――つまるところ治安維持法は、なぜ日本社会であれほどの猛威をふるったのでしょうか。「つまり、権力による処罰とは別に、世間を舞台にした道義的・倫理的な観点からの『社会的制裁』が機能していたのです。非国民との認定を受けた人を周囲の国民が誰に命令をされたわけでもないのに排除していく。国体が生み出すこの魔力を、当時の治安関係者は『強制的道徳律』と呼んで、効率的な治安管理に利用しました」■ ■――スパイ対策は、外国人だけを取り締まるものではないのですね。「ええ。たとえば戦前の日本にあった代表的なスパイ防止法は、明治期に作られた軍機保護法でした。近づく日露間の戦争を前に、軍事機密の流出を防ぐ目的で制定されました」「実際に戦争が始まると、軍機保護法により日本人スパイを摘発したとの発表が当局から行われ、『外国に情報を売っている日本人がいる』との批判が生じました。新聞は『売国奴』と非難し、国民からは厳罰化を求める声が噴出していきました」――日露戦争下のそうした熱狂的なスパイ問題への関心は戦争終了後には実は低下していた、と指摘していますね。「摘発の件数が減り、議会では軍機保護法を廃止しようという議論まで起きました。息を吹き返したのは、次の戦争が始まったときです。37年に日中戦争が始まった直後、軍機保護法は全面改正されました」――どう変わったのですか。「日本はスパイ天国だとアピールする当局の情報操作もあり、最高刑が死刑に引き上げられる厳罰化が実現しました。何が守られるべき機密にあたるのかを決める政府の裁量も広げられ、報道機関の取材にも一層の萎縮をもたらしています」「国民から見れば、どの情報が軍事機密であるのか、何がスパイ行為に問われるのかが、より見えにくくなりました。摘発されてしまうことを恐れ、戦争や軍事に関することは見ないでおこう/触れないでおこう/話さないでおこうという姿勢が広がりました。軍機保護法は、有権者が現実を直視しなくなる結果も生みだしたのです」■ ■「今は『新しい戦時』の前夜なのだと思います。軍機保護法が息を吹き返し始めた日中戦争の前夜に似ているからです」――治安維持法も軍機保護法も1945年の敗戦後に廃止され、今では過去の法律です。*
