拙著ウクライナ戦争論は少数派だが、確かな良質な思想者に連帯している!

同大学で同時代を過ごした人物に出会って、拙著『飢餓陣営』掲載「ウクライナ戦争と日本の論評」を購入いただいた。
私は、どのような人でも決して贈呈しない。必ず半額はいただくようにしている。貧困だと思われる人には、後日その分は必ず還元するようにはしているが。
金を払わず得た雑誌や書物は、ぞんざいに扱い読まない場合がほとんどだからだ。過去に私がそうして、失礼をしてきた反省もある。
その人物は卒業後一貫として労組を担い、政治活動を戦い抜き、現在も顧問として市民運動を担っているのである。
 私みたいな節操のない者は、とても真似のできる事ではない。
その彼は、雑誌の論調と沿革を質問しながら、ウクライナ戦争についての見解を語ってくれだ。
それが見事に私の論稿と同じ観点と戦争論だったので感嘆したのだった。
私はリベラル派を厳しく批判しているのだが、同様彼も俗論の「米ロ代理戦争」論を厳しく批判し、停戦論の非道を唾棄した。
よ、それでこそ全共闘クズレと!と言うと、ニヤッと笑って、そっちの話になると枚挙にいとまがなくなるので、今日はこのへんでとビラ巻きをした残りを大きなバッグに入れて帰っていった。
私は、散発的に書いてきたFacebookの記事から、だんだんイイネマークが少なくなっていくことで、やはり少数派だろうなと自覚はしていた。だが笠井潔氏や今日の彼のような、良質な「思想者」と思想的連帯をできていたことを識ってさわやかな気分になった。帰りは鼻歌など歌っちゃってバスに乗ったのだった。
(Facebookより転載)

8月に30年間思い続ける事-戦後平和言説を超えるために

昨日(8/13)のテレ朝木下容子番組で、相変わらずの日本人的被害感情からの戦争発言が出てきてうんざりした。
ウクライナ国民の世論調査で、徹底抗戦が98%(ブチャ惨事の5月)と報告されたら、
NHKから来た毒にも薬にもならないおじさんと、
脳科学者を名乗る細胞還元論者の女性東大研究者が、
 口を揃えて、それは信用ならないのではないか、ちゃんとしたところの調査なのか?
また、戦時下なので同調圧力もあるのではないのか?
ともっともらしいコメントをしていた。
外人タレントだけが肯定的にコメントした。
ロシアのプーチン支持80%以上もこれはロシアだから政府によって捏造されているわけではない。
自立した世界的に信頼されている唯一リベラれ系の社会研究所のデータである。
もちろんロシアは、プロパガンダが徹底しているので、データが問題ではなく、解答者の状態で、ウクライナも同じことは言えないことはない。
ただ、侵略された側の国民は、死んでも自分の土地を護ろうとするパトリオティズムが働くことが容易に想像がつく。
つまり、コメンテーターや日本人が考える、「いやーねー戦争をいつまで続けるの?適当に妥協して終わらせればいいのに。被害が増えるだけ」という常識は、ウクライナ国民の大多数の公共意識をもつ人たちの心情は理解できないのだ。
逆に言うと、戦争を戦後被害感情を軸に平和論を展開してきた日本人は、侵略された人民の被害が理解できず、加害意識がほとんどないまま戦後を自己憐憫に美しさを求めてきた。
このマインドは、徹底的に権力を国民が操作する意識を鍛えてこず、いざとなると受け身の被害者の穴に滑り込んで、本当の反権力闘争を国民主体で実践することができていない。
今のリベラル政党が権力奪取を仕掛ける政治ができず、国民がリベラル政党を乗り越えて議会内外闘争の往還を不発にする土壌をつくっていると私には思われる。
敗戦記念日には、ぜひ国民が権力を奪取する方法を本気で考えることができるか。
それとも歴史の継承という美名で、想い出話に終わらせるのか、それは私たちの加害意識を形成し、世界に打って出る平和戦略の構築ができるのか。
喫緊の課題といっていいだろう。

77年目の敗戦日=日本の賞味期限に思うこと。

昨日は敗戦記念日
テレビの特集も新しい発掘が紹介されたものは心に沁みるものもあった。
NHKの「地獄の戦場」は、インパール作戦の見事な失敗と、明治から77年目の日本統治機構の劣化、また日本人の愚劣さの一旦を描いていて、観ごたえがあった。
なかでも、当時対峙した英軍側の日本軍参謀長や司令官の調書が紹介されだが、いかに棄兵棄民を屁とも思わず、自分たちだけが逃亡したかが明白になっている。
ラングーンに置き去りにした、兵民混成部隊など民間人を含めて36000人の全滅は予測していたと司令官は証言し、何の苦悩も述懐していない。
それに比して、日本兵の聴取を担当した英軍将校は、自分の任務とはいえ、日本側の取得情報をもとに英軍とビルマ反日軍の掃討作戦が敢行された結果、大量の日本軍と民間人が殺戮されたことに、心を痛め、戦後もその苦悩の内に記録を記述し続けた。
更に英軍トップは、日本軍の致命的欠陥は、「失敗を認める勇気の欠乏、それを克服するための自己反省の態度がない」と指摘している点である。戦争のさなかに、こうした民族エリートの負性を見抜いていたことに、やはりアングロサクソンにはかなわないと言うべきか。明治維新を成し遂げた成り上がり者の薩長の傲慢な遺伝子が、綿々と続いているように思った。
何という兵の質の違いか!
太平洋戦争後77年目の日本の、国家統治と政治家とエリートと国民の質はどうなのだろうか?この映像を観て陰鬱な気持ちに襲われた夜であった。
今年は明治から大日本帝国が崩壊した77目と同じ、
太平洋戦争から戦後が77年と同じ年月を数えた。
この77年をひとつの隠喩にしているのは、やはり安倍の暗殺であり、その後始末の杜撰さである。
戦後に積み上げてきた思想が、果たして未だに有効なのか、とくに政治実権をなかなか取れない左派というかリベラルというか、その内実を本気で検討する時期にきているのではないのか?
もうひとつ、ニュースでしらけた話。
ウクライナ避難学生と日本人学生の平和交流会があったらしい。
日本女子学生が質問する、
「武器を支援して欲しいというが、それでは戦争が終わらず犠牲者が増えるのではないか?」
リベラルエリートの口吻を真似て言う。
口ごもってたどたどしい日本語で「武器がないと負けてしまう」と。
私はどちらが正しいかは一旦横に置いて、
日本女子学生は何と無神経な質問をするのか、とあきれた。
侵略されて戦争をしている国民に、武器を捨てろと他国民がいうことだろうか。
それは侵略者ロシアのv被占領国民になれと言っているに等しいということがわからないのか。
日本人の良心的平和論者は、武器をすてること、戦闘終結だけが平和状態だという、極めて日本的戦後マインドで語る。
どこにも、ロシアを早期制圧し、撤退される方法は何かないか?
プーチンの過ちはもはや世界の認めるところだ。
ではロシアを粉砕して、ウクライナから撤退されるにはどうするか、そこの議論は保守派の軍事一辺倒である。(実際には、軍事支援も武器供与でお茶を濁しているのだが)
ではウクライナを被占領国民にさせずに、軍事依存せずにロシアを撤退させて、ロシアを国連の常任理事国から排除させるにはどうしたらよいのか、それに真剣に言及されなければ、リベラル派の戦争論は、ただの保守派の補完的言説でしかない。
ウクライナ国民をバカにするんじゃねぇ!とウクライナ国民に代わって言っといてやる。
77年間は、日本人が劣化し、国民を挙げて愚劣となってしまう、賞味期限としての自覚を強く持たねばと思ったものだ。

朴裕河著『歴史と向き合う』(毎日新聞)を入手ー新しいパースペクティブのために!

菅野完だったか、韓国の若い記者との懇談で言われたことが紹介されていた。
韓国では、統一教会はそれほど知られてもいないし、トラブってもいない。
なぜ日本でこれほどはびこったのか解らないと。
また、「反共」という言葉も韓国では死語となっている。
日本でまだ「反共」という言葉が溢れていることが信じられないと。
確かに、韓国には共産党というものがなかったからね。
私は、日本の政治が人民主体にならないのは、共産党が存在するからで、存在する限り自民党と相互補完的に人民主体の変革を抑圧抑制し、シンパかたんなるアンチ左派を生み出していくだろうと述べてきた。
韓国のように、人民蜂起も起こりえず、人民の地下抵抗運動も形成したこともなく、小ブル的に共産党を似せてボリシェビズムの党派の乱立に終始してきた。
私の認識でいえば、共産党がなくなれば、自民党もなくなり、天皇制もなくなる。
私の頭の中は、未だに東大闘争が、「圧殺の範型」となっている。
日本の政治の質は、自民党共産党公明党ー知識人エリート層のリンクが、人民の新しい政治の萌芽を潰していくのである。
いまだ東大闘争は終わらず、闘いの鼓動が鳴り響く。
それゆえに、共産党的、戦後民主主義的「リベラル」は多分私の言うことが飲み込めないだろう。
それはパク・ユハが『帝国の慰安婦』を引っ提げて、立命館大衣笠校舎でシンポジウムを行った時、司会は上野千鶴子であったが、参加者はほとんど日本の韓国慰安婦支援者たちであった。
パクの批判的日韓運動論に古めかしい支援者の婦人たちが半泣きで、上野に「私たちはどうしたらいいのでしょう」と質問していた。その態度がダメなんだ、自分で考えろ!と罵倒したい衝動を抑えたことを覚えている。
私の質問には、上野は怒り狂って、「こいつは何様のつもりだ、偉そうに!」といったきり質問の回答は無かった。
「何様だ」と無名の私への罵倒の感触は、この左派的権威主義にまみれたFacebookのユーザーたちに感じるダメさなのである。
パクの視点は、孤立していた私の日韓論によく重なるものであった。
上野などはお前こそしらないだろう、私の妻との結婚に至る壮絶な戦いを。大学と体制の権威にまみれた上野の戦いなどは、安全圏のたたかいであって、いつでも疲れたときは一息つけるのだ。
しかし庶民の戦いは、そうはいかない。容赦なく巨大な組織は日夜襲ってくる。
そのとき「個人に対して組織や党派が相手の場合は無条件に喧嘩を買う」ーと述べた吉本の言葉しか私には支えがなかった。
横道にそれた。
図式的にいえば、それまでの被害者を利用して、政治的に利用しつつ、党派性の存在証明にしてきた運動そのものの批判であった。また史実などは研究が進めば変更を余儀なくされる。それは保守派が取り込んで批判するのは当然で、支援側の左派が硬直して認めないという学的誠実さを欠く態度を批判するものでもあった。(少し私の逸脱と拡大解釈があるが)
パクを支持する発言をすると、かなり知られた学者やジャーナリストから小ばかにされた。
しかし、やっと最近パクが理解されつつある。いいことだ。
パク・ユハの『歴史と向き合う』(毎日新聞社)を入手。
今回は、日本批判だと言っていた。
九月からは優先順位を繰り上げて読もうと思う。
楽しみである。
(Facebookより転載)
 
【追記】
そのご閲読してくれたパク・ユハ教授から、丁寧な返信をいただいて、
研究成果の受容が進み、今は小ばかにされることもないと思いますよ、と慰められた。
 

拙著『「ウクライナ」戦争と日本の論評について--リベラル派の言論を撃つ』ご案内

『飢餓陣営』55号の全容が発行人から発表がありましたのでご案内しておきます。

年間三回の発行を続けてきた「その筋」では権威ある雑誌、知る人ぞ知る思想誌です。

今回も「その筋」では書き手として、いや思想家として、批評家として無償の奮闘を続け、既存の大学やジャーナリズムに拮抗してきたひとたちです。

(いつもはもう少し著名な研究者も混じりますが)

今回の特集が「吉本隆明没後10周年」とありますように、吉本の影響を受け、吉本の継承できる思想を深化しようとする書き手/読み手で成り立っているといってよいでしょう。

特集を聴いていたら、吉本論の方が書きやすかったのですが、編集者からの注文はウクライナ戦争について要望されたので、「ウクライナ戦争と日本の論評ーリベラル派の言論を撃つ」となりました。

天邪鬼の性格が災いして、気軽に書きましたが、権威に洗脳されたリベラル派の誰も気づかぬ「盲点」を書くと同時に、誰も言わない本当に核の現実使用がみえた世界で、平和をどう追求するのか、そこにもヒントを記しました。

ご興味のある方は、サイトの目次を参考にして、よければ購読してみてください。

大方、がっかりするとは思いますがwww

『飢餓陣営』ウェブサイト

飢餓陣営 55  二〇二二年夏号 全354ページ 22年8月30日頃発売予定! : 佐藤幹夫の編集室 (webry.info)

銃弾から生まれた岸田新内閣閣僚発表に思う

岸田新内閣の閣僚人事が発表された。
相変わらずの変態チックな顔ぶれだが、
萩生田と二之湯を外したのは、評価できるだろう。
自民党人事などには関心も希望もないから、どうでもよい。
問題の本質は、国民がどこまで安倍を中心にヘドロ化した人脈を排除できるのか、飽きっぽい日本人がどこまで追い続けることがどきるのか、それにかかっている。
そして、統一教会を徹底暴露してきた、鈴木エイト、有田ヨシフへ統一教会側からのテロを防御できるかだ。
事件発生直後、統一教会の情報を提供したことで鈴木氏に全マスコミ、評論家が依存した。
いち早く鈴木氏には、身辺警護の強化をメールでアドバイス
彼は丁寧に返信してきて、住所も関係先もすべて把握されているとのことで、再度警察に御願いに行ってきますと述べていた。
TVの彼は、若い頃のカミソリのような鋭さと相応の年齢に達したことを知らせて、ジャーナリストらしい風格を漂わせていた。
それにしても山上徹也の頭の良さ、怨念の強さ、強固の意志力、改めて内閣改造まで激震を走らせたことは、テロリストとしてみごとであった。
一部リベラル派が、何を狙ったのか、盛んにこれはただの怨恨で、政治テロではないと、テレ朝なみの隠ぺいをまくしたてていた。
韓鶴子を倒しただけなら、これほど国民の嫌悪を呼び起こさなかっただろうし、アホリベラルが韓国蔑視だとか言い出しかねなかった。
山上徹也の勘は天下一品、テロリストの好きな私には彼から目が離せないのである。
そう、句友であった大道寺将司との晩年の獄中交流は、いまでも私の至福の時間であり続けている。そして拙著『俳句のアジール』を臨終間際に読み切って、枕元に置いたまま旅立ったことは永遠とは何かを教えてくれたように思う。
頭の良い山上も獄中で俳句や文章を書いて、弛緩しきった私たちに刃を向けて欲しいものだ。

77年目「ヒロシマの日」雑感と拙著論稿「ウンライナ戦争論」の薦め

ヒロシマの日ーもうみんなああそっうだったね、戦争はしてはいけないね、語り継ごう、といいつつ、国民の語る内容がどんどん核兵器抑止論になっていく。
岸田クソ政権は、沈黙を通し、相変わらず米国の核の傘を「妄信」している。
ウクライナをみたって、「ブダペスト覚書」を米国は護りゃあしない。武器供与でお茶濁している。
ウクライナは1800発の核爆弾をロシアへ委譲し、米ロはウクライナの安全保障を約束したのではなかったのか。
いまやロシアの核使用の恫喝にたじろぎ、米国はほとんど世界の警察国家になりえなくなった。
その最大の原因が、米国の核開発の停止と最新の限定戦術核でロシアに大幅な遅れをとっているからだ。
ロシアは軍備開発費の劣勢を、戦術核に的を絞り今や世界一の核大国だ。
こにはオバマ=バイデンのような「核なき世界」という理念が微塵もないからである。
ウクライナ戦争が、長期化し、米国もNATOも身動き取れないのはロシアの戦術核が、狂った悪魔プーチン(リベラル派のプーチンに言い分がある、悪魔視はいけないというアホに対して、あえて悪魔!と言っておく)は本気であり、それがよく分かっているためである。
さて、こうなると、リベラル派は総崩れだ。
エマニエル・トツドでさえも、「日本は核を持て」とアドバイスしてくる。
吉本隆明は言った、
「国民のもし攻められたらどうする」という素朴な不安に、説得的でない戦争反対や核兵器廃絶論は、無効であると。
単純にして、明快でなければ大衆は理解しにくいだろう。
昔より「映像」が発達したので、映像に頼るのもいいだろう。
しかし、核の悲惨さが強ければ強いほど、大衆は恐怖も強くし、「攻められたら」どうするのか?とより性急に問うだろう。
孫崎は、ウクライナで日本の平和論者は敗北した、と私と同じことを言っていたが、そこまでは同感である。
孫崎の理由は、どうするかについてリベラル派は何も言えていない、国会でも支援のみで与野党同調してしまった。
外交こそが抑止であり、どういう外交をしなければならないかが全く語られなかったと。
私はそれもそうだが、外交に失敗したから戦争になったというクラウゼビッツの言い方に習えば、外交が万能ではないと思う。
また核抑止論の否定論者については、現在のロシアと米国の核の差から、米国がこれ以上ウクライナ支援に踏み込めないのは、やはり一定の核抑止が働いているのではないのか。
すなわち、従来の核抑止論は転倒した形で有効化されてしまった。核保有国が、核=現実的に使える戦術核をちらつかせながら、敵国へ通常兵器で攻撃する。核にやられるのではなく、核によって通常兵器での戦争を思う存分遂行できる結果をもたらしているのである。
このことが日本の平和論者たちは不都合な真実のため、見ないようにしている。
世界のリベラルエリートたちは、トッドのように、いまやアメリカは日本を守りません、日本人はアメリカの「軍備」として消耗させられるだけなのです、核を持ちなさいとお節介なアドバイスをしてくれているのである。それが今や世界のリベラルエリートの常識になったのである。
孫崎同様日本の平和論者の情緒性が敗北したことは共有するが、
私は孫崎と別れて、またトッドのような現実論とも別れて、もう少し「リアリズムとしての平和論」を提案する。
私の「リアリズムとしての平和論」を夢物語だと笑うものには、カントのいう「永遠平和」は永遠に手にすることは不可能だろう。
思想誌『飢餓陣営』55号
『「ウクライナ戦争」と日本の論評についてーリベラル派の言論を撃つ』8月下旬発行、
「郵便振り替え00160 4 184978 飢餓陣営発行所」宛に、代金、税、送料、合わせて、1,850円、をお送りくだい。
に短いヒントを記した。
ご興味のある方は、お求めください。
東京の方は、東京堂で扱いがありますので、そちらでも求められます。