詩「『船』 たにぐちまゆ」ーー人としてのわたしを尊重して

『船』         たにぐちまゆ
精神科病院に入院している私たちは、船旅をする旅行者のようなものです。
外に出たくても、一面は海原なので降りられないのです。
時々港に寄って、一部の人が降りたり乗ったりしますが、他の人たちは、ただ窓から外を見ていることしかできません。
  最近は、豪華客船のような、一見ホテルみたいな船もありますが、乗っているのが楽しいわけではないし、何より忘れないでほしいのは、乗りたくて、乗っていたくて、乗っている船ではではないということです。
 私たちの中には、世間や家族などの人々の手によって船に乗せられた人も多いので、世間の人々によってしか降りられない、果ても終わりもない旅なのです。
 出会った中には、30~40年、船の中にいる人もいますが、もはや旅というより、幽閉ともいえるでしょう。想像してみてください。海原しか見えない船の中で、一生の大半を送っている人たちののことを。
 よく、私たちのことを、『退院の意欲が乏しい』と言う人たちもいますが、長い間行先もなく、海しか見えない人たちが、いきなり退院、つまり見えない陸に降りて生きていきなさいと言われたら、不安感と見捨てられたのではないかという恐怖感、絶望感に苛まれ、「出たくない」と言ってしまうのは当たり前のことなのです。
 目指すべきことは、『退院意欲の喚起』ではなく、旅が長くならないうちに船から降りられるように手助けをする、あるいは言ってしまえば、そもそも必要もなく、無理に船に乗せてしまうことを避けなければなりません。

 

たにぐちまゆさんは、見るところ40歳代の温和そうな女性です。
表情はいくらか微笑を湛えているようにみえます。
現在、NPO大阪精神医療人権センター理事、DPI日本会議常任委員。
この詩はとても心をう打つ、こみ上げてくるものがあります。
精神病者の底深い絶望と、社会から置いてきぼりをくった越えられぬ暗い壁をかきむしり、その爪から真っ赤な血を滴り落として、その激しい煩悶の後に、自分の生を立て直そうとする静謐な精神を、みごとに紡ぎだしている。
 この心の地平い至るまで、たにぐちさんは自分の生の理不尽さに煩悶し、死の淵を覗いただろう。
ここに書かれている、他者による強制による入院、また他者による退院、みんな世間のあなたたちの都合でしょう、私のことなのに自分の希望が圧殺されされ続けるのに、だとしたら結局あなたたちに「船」から降ろしてもらうしかないのに、乗せたら知らん顔。岸から見えなくなったら、存在しないものにされてしまう。これは、平和のなかの殺人にも等しいのではないか。
他者性において存在する人間の本質を抹消しているのである。
この告発は誰にむっかてなされているのか。
 たにぐちさんの静謐な行間に、人としての希望を激しく求める嗚咽と絶叫を聴くのは、わたくしだけだろうか。
(Facebook転載)

精神科病院の虐待事件を問う(障大連主催)ーー滝山病院を事例として

精神科病院の虐待事件を問う」、
主催:障害者の自立完全参加を目指す大阪連絡会。
講師:有我譲慶氏。(NPO大阪医療人権センター理事)
長く精神医療に尽力してきた有我氏の講演は、精神科病院で発生する虐待、暴行、人権侵害が起きる必然性と構造的問題を端的に語ってくれました。
 昨年来問題となり、現在も解決へ向けて弁護士や支援団体が追及している八王子の滝山病院事件を、解説しながら、体験も踏まえて、学的に社会思想問題として整理されていました。
彼の解説で、一点だけに絞って、共感し意を得たことを紹介します。
その前に、滝山事件は、NHKETV特集「ルポ死亡退院ー精神医療・闇の実態」が、ネットで今でも観れますのでお勧めします。
1.精神科閉鎖病棟は「治外法権
  基本的人権がない、収容隔離・身体拘束が常態化している。
2.精神病院の常識は、世間の非常識
  無法地帯ー有我氏はこの改善を志してきた。
3.滝山病院が示すこと、今後も無くならない!
  ・長期入院。
  家族関係者とも面会させない。弁護士さえも拒否する。
  ・陰湿な虐待は日常茶飯事。
  患者を物対象として看護効率を図る。厚労省は、精神科病院
  の医師看護士数を、一般病院の約1/3でよいとしているため看
  護効率を求め、いいなりにしようとする。その中で看護師の
  質が悪化化し、院内が荒廃する。特に臨時職員が増えてい、
  て専門職員とのチーム編成が成り立たない。
  ・治療として不必要な薬剤の過剰投与(診療点数を稼ぐ)
  大した所見が見当たらいにも拘わらず、医師は重病として過
  剰薬剤を投与。長年これをやられると副作用で退院できない
  、また命が縮む。
  こうした問題をチェックする責任は都庁にあるが、滝山病
  院の結果は、「暴行等による人権侵害ー判定B」であり隠蔽
  されてきた。これは都庁が1週間前に事前通告して検査に入
  るため、形跡を消してしまう、あるいは痣などの跡がある患
  者や訴えそうな「危険な」患者はバスに乗せて「遠足」に出
  すといったことをしてきたためである。行政とのなれ合いが
  生んでいるのである。
  さらに滝山病院の死亡退院率の異様な高さがみられる。
  2008年の「東京精神病院事情」によると以下の通り。
  ワースト10、
 (院名)   (死亡率)  (Dr1当たり患者数)
1.滝山     66.5%     58.4人
2.東京青梅   32.1%     36.2
3.八王子敬愛  21.9%     35
4.西東京    21.9%     45.5
5.東京高尾   20.9%     45.4
6.鈴木慈光   17.4%     18.5
7.鶴川さくら  13.1%     28.3
8.上妻     12.4%     58.3
9.協和     10.3%     57.7
10. 稲城台    10.0%     54.6
滝山が死ななければ退院させない傾向が如実に見て取れる。
多くが寝たきり放置され、褥瘡がひときわ大きい。或いは未解決の痣のある死体などなだど、尋常ではない。
またDr1人当たりの患者数の多さである。精神科病院は法的に一般病院の1/3の医師で許認可されているため、閉じ込め放置する看護思想がこうした悪環境を創り出している。いわば国家ぐるみの虐待を許しているのである。
4.構造的問題
ではなぜ滝山が大儲けをして、朝倉孝二理事長・重延医院長がぼろ儲けで来たのか。朝倉の年収は2億円(普通病院の医院長クラスは平均5~6000万円)、高級車を乗り回すような錬金術ができたのか。
日本の精神病院はほとんどが単科であるなかで、滝山は透析患者を受け入れていた。透析患者にかかる費用は年間約400万円といわれる。一般病院でもドル箱なのだ。精神病患者で透析治療を受け入れる一般病院はないので、滝山は病院界隈や行政からも重宝であった。受け入れに困った病院や追い出された患者の相談案件は行政も滝山に押し込むことができた。さらに、患者はほとんどが生活保護受給者であったり、逆に行政が生活保護をお土産につけて回したから(これは一般によく言われていることなので滝山でどれほど実在したかは不明)安定した収益を得ることができたといえる。
従って、都庁の検査が甘くなるのも当然なのだ。
朝倉理事長は、以前にも同様の事件を起こしているが、刑事事件として立件されない限り、5年間経つと保険医としてまた病院経営が許されてしまうのだ。
有我氏は、滝山は「必要悪ではない」と強く警鐘をならしている。
5.虐待解消へ
精神科病院が、密室隔離状態であるため、患者の基本的人権が司法によらず制限可能となっている。
これは明かに憲法に違反した、国内「治外法権」を構成している。
また現状の権利擁護制度が機能していない。国民も野党もネットリベラル派も無関心で抑圧側に加担している。
ちなみに滝山病院への糾弾行動へ参加している国会議員はれいわ新選組だけである。
面会を家族・知人以外にも簡単にでき、第三者の権利擁護組織の立ち入りができ、患者の要望に対応できる支援が、少なくとも法的に可能にすることだ。
なぜなら、病院は現行の「障害者虐待防止法」の対象になっていないのだ。
やっと、24年4月から、「精神科病院の虐待通報制度」が施行されるが、行政は今一つ情宣がおざなりになっており、関係者はもとより国民にもほとんど知らされていないのが現状なのである。
この法律が実効性あるものにするためには、浮ついたファッションリベラルはやめて、本気の人権擁護国を実現のための周知徹底と活動が必要だろう。
今や、強制保護入院は韓国でさえ(こういう言い方は失礼なのだが)廃止している。
そして、過剰な日本の精神科病院ベッド数(oecd1000人当たり)が突出して多い日本、OECDは平均0.6にたいして2.6と4倍以上、これを何とかしないと、法的整備だけでは限界がある。
私がかねてより思っていたが、有我氏の説明で、今回確信を持ったのは、
単科精神科病院を全廃する!
総合病院へ精神科を設置する!
地域包括精神医療センターを設け24時間治療可能とする!
精神科病院は、日曜日の急患診療ができない)
グループホームの予算を大幅に増やし、年度個数目標を制度化!
(具体策は増える空き家を行政が買い上げる)
専門の介護士の育成、そのための広域自治体単位で大学に設置!
いずれにしても、カルト宗教、裏金、おさわり青年パーティー
の与党のみならず、有効な政権交代も果たせない野党、国民を完全に捨て去ったが、精神障害者は、さらに国民からも捨てられている。
滝山病院事件への抗議行動に参加しているのは、れいわ新選組の天畠議員だけだ、この国の議員は高給を得ながら一体化何をしているのだ❣
(以上有我譲慶氏の説明資料を参考に。 2024.3.15. FaceBookより転載)

平凡さの心地よさー富士山

3.11、僕は久しぶりに故郷にいた。
期せづして東日本大震災の日であったが、個人史では、両親が死んで十年目の年なので、ひそかに寺を訪れてみようと思ったのだ。
着いた瞬間、雲が晴れて、見慣れた富士山がきれいに現れた。
昔の知り合いは、行方知れずか、死んで知り合いはもうほとんどいない。顔は思いおこせるがわざわざ会いたいと思うほど親しくもない。
寺も、実家の土地も人手に渡って、ひっそり静まり返っていた。
突き放してみれば、実情は一介の旅行者でしかない。
 こんなに、人も街も変わってしまったのに、富士山だけは昔のままだ。
富士山だけは、ここが故郷だと認めてくれている。
こんな月並みな感慨を、その平凡さを、自分で慰めにする自分がなにか愛おしかった。

 




プチ多忙のなかで、何も考えなかった❣「鈴村稔氏ウクライナ支援展」見学

プチ多忙でしたが、アップするのもどうでもいいようなものでした、億劫で放置。
本日で鈴村稔さんのウクライナ支援展(ウクライナ大使館後援)も終わります。盛況であったか?後で様子を確認してみましょう。まずFacebook6日にアップしたものだけ記しましょう。
 
先日は、鈴村稔さんのウクライナ支援の個展を挨拶がてら鑑賞。
共同開催となったウクライナ人女性の作品もあり、カメラマン、陶芸、俳句が趣味の東大教授建築家となんとも多才多芸な人だった。
ただ、俳句朗読を誰かがやったのだが、やはり外人俳句で日本の俳句とは異種のものだ。
どこかの句会に出入りしているようで、連れの老婆が沢山きていたが、聴いていると、俳句は庶民の文学ですからナンチャラ言ってるわけです。こういう認識している段階でこの句会は勘違いしてるんですね。
俳句は戦前盛んだったが、それでも俳人は4000人いたかどうかだと師匠の六林男は行ってましたよ。
 喩の転換と切れという韻文の叙述で、後はこまごました決まり事を駆使しないといけないわけで、こんなもの庶民が創れません。
相当修練しないと無理なのです。
外人俳句は、モドキであって、相当日本語に熟達しないと、まず韻文になりません。韻文が解らないのです。喩の多層的使用と切れなんてのもなかなか分かりません。
ですから、ほとんどが、三行分かち書き散文詩になっちゃてるのです。翻訳できる俳人もなかなか居ないから、ただ語学ができるってだけの詩人が訳しちゃったりしますから、ますますへんてこりんになるわけです。
ま、モドキで楽しむ分には好きなようになさればーというとこですね。
すぐ近くに鍵善良房があったから、久しぶりに「くず切り」を食べてきた。黒蜜と白蜜が選択できますが、黒蜜がおいしいです。気絶するほどうまいです、お薦めします。
学生時代バイトをしてましたから懐かしく、京都訪問ではほぼ必ず食べて帰ります。

マスコミを騒がしている自民党の数多の不祥事、この種の問題を扱ってビジネスの活況をていしている関係者にまかせて、冷ややかに眺めるしかない。もう飽き飽きしている。

原因も対策も解っていながら、なんの手も打てない状況は、もった根源的に問うしかないのだ。底の抜けた政治社会は底の手当が必要だろう。あらゆる言論が底に届いていない。

外人が褒めたたえる日本の治安の良さは、諸刃の刃で、政治街頭闘争を消滅させた原因でもある。またしても、外人に褒められると身動きがつかなくなる国民性。

散発的に噴出する通り魔的犯罪だけが、意思表示として日常の淀みを破砕してくれる。

明かに異常だろう。

 

(その他)

フーコーの生政治、3回セミナー。

成長を止める会 精神医療の自治論ー松本卓也の小論を手引きに

詩人添田馨氏の「中島みゆき」論拝受、未完のようだがかなり分厚い。

 

ウクライナ戦争二年、戦況硬直化の中の支援について

各地の数か所の市民団体から、二年たってウクライナ戦争に対するコメントを求められた。
私のような素人に求めるのは、初発のウクライナ戦争論が、恥ずかしながら専門家の発言に拮抗するものとして理解してくれた「現場」の妥当性があったものと思う。
ただの市民運動の端くれだから、今の硬直情況でもニュースに心を痛めるだけで思想を深めているわけではない。
それでも、みんながそれぞれ意見をすり合わせることが、大事なので、以下のような思い付きのメモを送った。
連絡します。
ウクライナの膠着状態で、みんな頭を抱えていることでしょう。
私は、この戦争は大国の思惑で管理された戦争と見ています。
十分論稿にするほどの熱意もなくなっていますので、コメント程度のことしか言えません。
管理されているので、ますますウクライナ支援をしなければと思うのです。
専門家や外交官が、国家を主体に、国家間ゲームとして語りますが、
私は一貫として人民のレベルで語ろうとします。
すると、ウクライナ人民は、ロシアから独立しようとする戦いを選択したという点で支持、
二つ目は、管理されているため一方的にウクライナ人民は非戦闘員であってもロシア軍から殺される。
だがロシア人民はウクライナ軍からとりあえず攻撃をされないので死なない。
この非対称性は、この戦争のウクライナ支持の決定的動機となります。
更に、ウクライナ政府から、徴兵動員され、男子は国外退出を禁じられている点でも、ウクライナ人民は自国の政府から戦争死を強いられている。
つまり、人民のレベルで語るとウクライナ人民の過酷さを思わざるを得ない。
これは国家を相対化する重要な視点です。日本政府と似て非なる支援です。
国家の歴史や国家の自国利益がらみの支援と離れて、人民による人民への支援が位置付けられる
必要があると思います。
従って、戦争をどうするか、停戦するかどうかはウクライナ国民の判断として、安全圏から高踏的に日本人がとやかくいうことは差し控えるべきだと思います。
支援内容は、ウクライナ国民の要望に沿った生活物資は従来通り、戦争忌避のウクライナ国民は全て避難民として受け入れる、ロシア国民の戦争忌避者も亡命者として受け入れる。
これは条件とか確認とかも必要かもしれないが、素人なので専門家の吟味に委ねる。
つまり、戦争から逃げたい人々の逃避地帯にするということです。
私たちは、過去にベトナム戦争で、戦争忌避米兵の逃亡を支援した経験があります。
ウクライナ国民もロシア国民も、戦争忌避を積極的アナウンスして亡命を促す。
(多分ウクライナ政府が最大の枷になるでしょう。ウクライナ国民が厭戦になれば当然敗北する。
しかしそれはウクライナ人民の選択として任せる事)
そのための避難の秘密ルートや、政府への法的にも生活条件にも整備を促す要望を検討する必要があるでしょう。
何の調査もせず、思い付きで今後の支援の在り方をメモしました。

 

これが個人でできるとは思わないし、いま鶴見俊輔小田実もいない。
空想で終わらせるか、人民の支援にするか、ロマン主義にしないことが大事だろう。
近代社会の設計図も‘無名の妄想思想家‘によって描かれたのだ。
カントは、狂気について新しい創造の起爆剤だと述べている。
狂気の例としてルソーに言及し、「この夢想家の熱狂がなければこの世界においては偉大なことは何ひとつとして遂行されなかった」と言い切っている。
その時代の権威となっている知識階層を知的に凌駕した。今は多くの賢明な人民がはるかに多いが、マスメディアによって人民自身が権威に拝跪し、集合的権力を形成し、人民による人民の抑圧が圧倒的に気づかないうちに行われている。
国家間ゲームの語りから人民(マルチチュード)の歴史記述へ、
これは私の世界平和戦略の「9条インターナショナル」、国家の相対化へつながるものだと思っている。

太田監督「沖縄狂騒国」を観た、佳かった❣ー於、十三「第七劇場」

昨日は、太田監督の「沖縄狂騒曲」(七芸で上映)を観賞。
作品はドキュメンタリーで、おもに現状の問題を告発し、基地を撤廃した場合の沖縄の起死回生の未来図を取材できていた点は、精彩を放っていた。これはすでに旧太田県政時代の未来図として、沖縄ではよく知られた見通しであるー即ちアジアの国際的ハブ空港とし、観光立国にする、またそれによって国際金融都市として繁栄できると。基地依存で食えているという利権派と奴隷への強烈なパンチである。
それにしても、映画監督はいい。こうして満員の観客が見てくれるのだから。
小生も十年前に長文の法的側面から沖縄の現状の問題を書いているが、誰も読んでくれた気配はない。
立ち見しかなく、途中から耐えられず床にへたり込んでなんとかー。今朝は足腰重症です(´;ω;`)ウゥゥ
 別に発見は、若い女の子から、「れいわの方ですか?」と声を掛けられ、曖昧な返事をしなが地域の政治をしばらく話し込んだ。
れいわ支持者が多く見に来ていたのではないのかな?
監督舞台挨拶にて花束贈呈。
口ほどになく元気そうで少し安心した。
まあ、体にはくれぐれもご自愛にうえご活躍して欲しいものです。
で、急いでマックへ飛び込んだ。
重なっていた「人権擁護セミナー」に遅れてzoom参加。
大いに収穫があった。
今の日本の各種人権の遅れ、統一教会自民党の人権抑圧イデオロギーが普遍化している原因は、儒教を上げる専門家がいるが、小生は違うだろうと言ってきた。
講師(関大準教授)が指摘したのは、明治の精神医療監置法がそのまま横滑りで、戦後家制度がなくなっても国家の最小単位=家族に責任を持つのかという治安目的にして、戸主から家族会や行政の首長に取り替わっただけだということ。
儒教の影響を全く否定はしないが、決定的なのは明治の家族の法思想が生き残り、健常者の社会は曲がりなりにも人権思想の成熟でいくらか「家の思想」は縮減したが、国民が無視してきた精神病者の世界は国家治安維持法を色濃く残したままだということ。
こうして国民の人権後進性は、LGBTや夫婦別姓など弱者を抑圧しているのである。
とりあえず忘備録メモ。
これだ小生は、やっと自分の直面している後見人制度の矛盾が理解納得できた。
すべてのリアクション:
窪田 誠、Ichiro Yoshida
 
 

告知 鈴村稔ウクライナ支援展(在日ウクライナ大使館後援)ー京都個展の案内

【告知】
ウクライナ支援展-京都個展

鈴村稔のウクライナ絵画展と
ガリーナ・シェフツォバの陶器展
余興 松崎 稔の俳句朗読
 後援 在日ウクライナ大使館
協賛 レストランキエフ 075-525-0860
期間 2024年2月27日(火)~3月3日(日)、10時30分~18時
場所  祇園小舎 
    京都市東山区四条通縄手東入ル北側 075‐551‐3848
鈴村稔さんは、戦争前ウクライナの風景の美しさに魅せられて全土を回って絵に収めました。点描がのような美しい淡いタッチの画風です。
また、横浜市市民運動の活動家でもあります。
近場の方は是非ご参加くださいませ。
ガリーナさんのことはよく知りませんが、キーウ出身、ウクライナ国立芸術建築アカデミー卒、現在東大客員教授建築家。
行き方は、阪急四条河原町駅から八坂神社方向へ四条通を少し歩いて、縄手のすぐ東辺りです。
なおレストランキエフは、そのすぐ北のプロムナード辺りの側の鴨東ビルです。歩5分。あらかじめ予約をお薦めします。
この辺りは最近行ってないので曖昧ですいません。現地で聞けばすぐ正確に解ります。