昨日(8.25)は池谷薫監督の『蟻の兵隊』を鑑賞した。
久しぶりに重量級の作品を観ることができた。秀逸である。
内容にあまり立ち入るとネタバラシになるので、ドキュメンタリーであっても、見事に構想されたストーリーのクライマックスの様な感動をもたらしたシーンだけメモする。
まず、主人公山西省出兵の兵卒奥村が主人公。
終戦後も国民党軍に売軍残置された、その時の軍司令官の違法ばかりか、帰国後の日本政府の国際的体面を保つため私的行為として処理され、軍人恩給が支給されない理不尽に怒っている。
共産党軍とのいわれのない戦闘を強いられた約3000名弱の恩給獲得訴訟をするところから話は展開する。
奥村は、軍の命令書類を探索に中国四川省へ通う。
奥村は、その地で中国人を殺し、日本軍の鬼畜の所業を一身に反省し「軍」という組織の悪を摘発してゆくのだ。
反戦などという軽いファッションではない。
中国での体験から、人が狂気となる殺人組織「軍」の本質、「日本人」の弱さからくる弱者への鬼畜行為を、真摯に苦悩の中で使命感として後世に残そうとする。
この奥村は監督池谷との問題に対する死闘ともいえる論理的突き詰めをなした同志であり戦友なのであろう。
にもかかわらず、奥村は、自分が殺害した中国人が民間人ではなく、蒋介石軍の傭兵で日本の施設を護る任務を放棄、その経緯の中での軍事教育に名を借りた殺害であったと知ると、そのことを証言する無関係の中国人に対し、日本軍人としての立場にあっという間に還ってしまい、激しく叱責するのであった。
一瞬ではあるが、この恐ろしさをありありと活写した池谷の眼の鋭さは、凡庸な監督ではないことを証明している。
奥村の中で、敵は殺せという軍のテーゼがぬぐえどもぬぐえども巣喰い続ける。
民間人を殺した、という悔恨が奥村を反戦反軍に駆動してきたが、奥村の内部に更なる難題を抱え込むこととなった。
敵=軍人ならば殺してよいというテーゼを、奥村はどう克服したのか、するのか。
これは私たちに残された課題である。
戦争体験者は、内地へ帰還するとほとんど自分の戦地体験を語らず、善き夫、父親を演じて死んだ。
奥村はそうした凡俗の日本人ではなかった。
しかし、無抵抗の中国人を殺害したことは、やはり家族に話せていない。
日本軍幹部に性奴隷とされた中国人女性を訪ねた折、その女性は優しく奥村に語り掛ける。
貴方は、悪人には見えない、もう家族にもすべてを話してもいいだろう、それがわたしたちの使命だ、と諭される。
悪夢の時代を共有した者同士、国家を超えて歴史の証言者であらねばならないと。
さすがに、この美しい老婆の一言は、胸にこみ上げるものがあった。
想うのは、師鈴木六林男のことだ。
六林男は、奥村同様戦地で機関銃の被弾受け、生涯多くの破片を体内に留めていた。
戦場のリアルな様子は、しばしば聞いたが、中国旅行が一時ブームになった折、私が中国へは行きませんかと尋ねると、少し間があって、頑なに俺は中国へは行かんといった。
そしてしばらく沈黙したままであった。
被弾したフィリピンへも行かなかった。
六林男は晩年このような句を詠んでいる。
「全病むと個の立ちつくす天の川」。
なお、監督の池谷薫は被爆2世とのこと。
父親が、静岡の出だそうだが、海軍技術将校で広島で被爆。
それを薫が大学進学間際にきかされ、父の時代のことを知りたいという欲求が、ドクメンタリーに向かわせたと述懐している。
学生運動の消失した世代の方法として、正解だっただろう。
学生運動の黄金期であったら、sectの活動家として消耗し、凡庸なイデオロギストにしかならなかったように思う。
なお、私も静岡の出である。またD大時代は、鶴見俊輔の「D大プロダクション」に所属し、一本も映画を撮っていない。w
後輩からこのようなおもろいやつが生まれたことは、大変愉快であり、誇らしい思いだ。
一言だけ言わせてもらうと、同やんはもう少しダンディーなんやで、舞台に立つときはせめて襟のついたもん着なはれ。W
今後の活躍を期待したい。