■政府は新防衛計画の国民開示を-天木直人氏の防衛政策を聴け

日頃外交政策論で、貴重な指摘と論評ををしている天木直人氏が、政府の「新防衛大綱」作成に合わせて、日本の良心とでもいうべき核心的な提言をおこなっている。

日経ビジネスON LINE」本日2010,9,29付け「私が考える新防衛大綱」シリーズの憲法九条こそ最強の安全保障政策だ』。
(http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100921/216322/)

タイトルから目くそ鼻くその「なんとなくリベラル派」や「未だに左翼くずれ派」の護憲論とは似て非なるものである。

筆者もかつては憲法解釈論では東京学派(主流派)として自衛隊違憲論を書きまくり、社会党のいう非武装中立の防衛論に近かった。

しかし、冷戦後若き日の自分の立論を検証する中で、保守だと思っていた小沢一郎の「加憲論」に眼を開かれた。そこには自分でうすうす疑問にしていた点へのヒントがあり、見事な現実的護憲論をみた。なにより強硬な保守派だと思っていた小沢が九条存置論者だということに驚いたものだ。

そして決定的に自分の護憲論と防衛論が瓦解したのは、北朝鮮による拉致問題である。
そこでの自己省察は、理想と現実的環境を架橋する過渡期としての防衛論である。

吉本隆明が述べているように、「大衆の他国が攻めてきたときはどうするのだ、という不安に具体的に応えられない」防衛論はすべてだめであるという点である。

その点非武装中立論や専守防衛論は、冷戦期の奇形的平和論で、米国の核の傘の下にしか成り立ち得ないものであった。沖縄の犠牲的準戦争状態を全く無視した思想であったといってよい。

話を戻す。

天木氏の九条論は、そのような従来の護憲論ではない。
まずもって、自衛隊容認であり、そのコントロールを日本国民の手に取り戻すことで、変質した日米同盟による海外派兵と米国戦争への加担のリスク除去である。

自立的軍隊の獲得による、日本の地政学的宿命を踏まえ、日本防衛のためだけに自衛隊を生かす、それには九条の理念は最高の防衛武器であるというふうに理解できる。

これは筆者の問題意識に引き付けるなら、柄谷行人のいう軍備の「贈与」論につながる貴重な端緒を秘めていると言えるからである。自国の自国民による軍隊でなければ、国家相互の「贈与」概念は成立しないからである。

そしてなにより、日本は既に戦争のできない国になっている、という現実認識に裏づけされて説得力がある点である。

筆者はこの天木氏の防衛論は、冷戦後の極めて現実的で説得力に満ちたものだと思う。
筆者が考えてきた防衛論にビタリと重なる。全面的に支持できる。

さすがに戦乱の中東で大使を務め、戦争の悲惨さを知る慧眼の人だ。天木氏のこの論説が多くのひとの眼に触れることを願ってとりあえず結論部のみ紹介だけさせていただく。

不戦時代の到来とテロとの戦い

 戦争とか軍事力だとか、我々は軽々しく口にする。だが、そのような言葉を口にする日本国民の果たしてどれほどの者が、今日における戦争の悲惨さを認識しているだろうか。我々の戦争体験は65年前の太平洋戦争で止まっているが、その後の軍事技術の発達は兵器の殺傷能力を飛躍的に高めた。それは国家間の全面戦争を不可能にした。犠牲が大きすぎるからだ。核戦争に勝者はない。核兵器によって世界は不戦時代に入ったという認識はもはや国際政治論者の間で広く共有されつつある。

 その唯一の例外が米国の「テロとの戦い」である。しかし、これは国家間の戦争ではない。圧倒的に軍事的優勢に立つ者が一方的に弱者を殺戮する。被抑圧者が命と引き換えに抵抗する。そのような非対称な戦いだ。そこには抑止力は働かない。米国が核廃絶を言い出すようになったのは決して核兵器そのものに反対したからではない。自分たちに核兵器が使われる危険性が高まったからだ。「テロリスト」に核が渡るぐらいならいっそ無くしてしまえ、というわけだ。

 「テロとの戦い」をこれ以上米国に続けさせてはいけない。「テロとの戦い」の誤りを米国に気づかせなければならない。テロの根本原因である米国の不正義な中東政策を改めさせなければならない。それができないのであれば、少なくとも日本は、そのような米国の戦争から距離を置く。これこそが、これからの日本の防衛政策を考える上で重要な点である。


日本は戦争ができない国になった

 それでも中国や北朝鮮が攻めてきたらどうするのだ、という声が聞こえてきそうだ。ならばそう主張をする者に聞きたい。今の戦争はミサイル戦争である。大都市に国家機能を集中させている日本、全国に原子力発電所を抱えている日本、そんな国が核ミサイル戦争に勝てると思うのか、と。1発のミサイルが都心に落ちただけで、その被害は想像に余りある。原発施設にミサイルが投下さたなら、いったいどんな惨状を呈するか? いくら日本が核迎撃システムを高い金を払って米国から買っても、迎撃ミサイルがすべてのミサイルを撃ち落すことは不可能だろう。日本は近代戦争に対して最も脆弱な国になってしまった。日本は戦争ができない国、してはならない国になってしまった。日本は何があっても戦争をしてはいけない国になったのである。


憲法9条は最強の安全保障政策である

 要するに我が国のこれからの安全保障政策は、専守防衛自衛隊、アジア集団安全保障体制の構築、憲法9条を世界に宣言して行なう平和外交、この三位一体の政策で構成するものであるべきだ。これが私の新防衛計画の大綱私案である。

 そして、その中で最も重要な政策が憲法9条を堅持することである。それなくしては、専守防衛自衛隊もアジア集団安全保障体制を求める外交努力も説得力と正当性を持ち得なくなる。

 憲法9条は単に条文だけでできているものではない。そこには戦後65年間の我が国の戦後史が凝縮している。米国の占領政策に振り回されながらも平和国家日本を貫き通した先人たちの苦労と英知が詰まっている。そんな憲法9条を失う事は、同時に、戦後の歴史を失う事だ。日本の防衛政策を失う事だ。憲法9条こそ最強の安全保障政策である。

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