仁義なき内ゲバ−維新の会橋下徹と在特会高田誠

橋下氏と在特会 怒号飛ぶ面談
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3104675

はーい、カット、橋下ッチャンも高田チャンもモロ下品でよかったよー、
一発でOK!

映画の撮影のような「馴れ合い」内ゲバでした。

橋下ッチャンは、いまが有るのは、何と言っても在日のたかじんのサポートがあったからで、たかじんが在日をひた隠しにせざるを得なかったのは日本の差別がそれだけ深刻だったということだ。
たかじんに恩返しする意味でも、在特会を大阪から叩きだす使命がある。

ただ橋下は法解釈しかやってない弱点が出ていた。
高田誠が、言論の自由を主張した点に反論できていない。

言論の自由は、近代理念の自由の中核的な概念である。
近代理念の自由をより拡大強固にする場合が前提にされなければ、言論の自由は行使してはならない。
近代理念の自由や権利を毀損する言論の自由は規制されるべきで、そうでなければ近代が獲得した自由をもって、近代理念が獲得した諸権利概念を否定するという論理矛盾におちいるからだ。

例えば、人類は刃物を発明した。飛躍的食糧確保能力を得た。この刃物は人類を増やし繁栄させるために使われべき発明で、人類を殺害し減らす利用はあってはならない。人類の発明が人類を否定し不幸にする利用は制限されるべきである。

近代人が獲得した自由、人権、諸権利をより拡大し、近代を超える自由の行使でなければ、自由は制限される、と解釈すべきだろう。
近代人の生み出した間主観的共同性による法の基底を押さえておくべきで、表層の技術である法解釈に還元してしまってはいけない。

高田誠の手前勝手な言論の自由の主張を、橋下はシャットアウトしなければならない。

そして注意しなければならないのは、ヘイトスピーチ批判派のなかに、高田誠同様言論の自由を盾に、ヘイトスピーチ規制法に反対する似非リベラルがいることだ。
彼らも、橋下同様単純な法解釈論でしかないから、近代法の歴史的成立の意味も構造も抜きにして、法解釈の形式論だけが独り歩きするのである。

これはナチ党の拡大を阻止できなかったワイマール体制下の知識人や共産党の陥った陥穽そのものであった。
法解釈論の空虚さはこういうところに現れる。

なお、在特会の母胎となった百人の会の運営理事は維新の会で大半が占められており、大阪の在特会は実質維新の会が運営しているようなもの。

吹田市長井上哲也他府議8人が運営理事についていた。
現在大阪市議の維新の会総務会長辻淳子は、百人の会の何と理事長だったのだ。
辻は現在教育再生市民の会代表、在特会元幹部との交流もあり、大阪の子供たちに差別助長教育でもするつもりなのか。

橋下は、まず身内の在特会を整理し、市議会と維新の会で他市が決議しているようにヘイトスピーチ規制法促進決議をすべきだろう。
それをやらずに、また個人プレーのパフォーマンスでお茶をにごそうとするのだろうか。
橋下が噂通りのレイシストなのか、たかじんとの信義を重んじる民族差別撲滅の義侠のひとなのか、いま問われている。