朝日の誤報とジャーナリズムの矜持−読者の教訓

朝日新聞 誤報「痛恨の極み」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3049556

それでも、やはり朝日はやるなーと感心。

1.この朝日のスクープが誤報だったとは言え、吉田調書の存在が明るみになった。

2.隠す天才安倍官邸が、朝日と民主党叩きができると踏まなかったら、永久に国民にはしらされなかった。朝日のスクープは誤報故に生きた。

3.日常的に捏造ないしデフォルメをする讀賣・フジサンケイは謝罪をしない。だが朝日は訂正と謝罪までした。ジャーナリズムの矜恃を維持した。

今回の問題で、私は無罪になった小沢陸山会事件のデマ記事について、マスコミ各社は謝罪し、デマを流した時間・紙面と同量の小沢回復露出をすべきだと考える。

我々メディアからの情報の受け手はどう教訓を得ておくべきか。

いたずらに朝日叩きではなく、マスコミは常に誤報捏造デフォルメはあり得ると理解し、それに対するリテラシーを保持することだ。

それはデマゴーグの言説を、情緒的に受け売りすることでは、見抜けない。
やはり近代思想の成り立ちと克服課題を、原理的に思想として抑えておくことである。
専門家の合意形成された「普遍性」を踏まえる訓練を怠らないことである。

そうすると、スクープには誤報(捏造ではない)というリスクがつきものであり、それを恐れては政府官僚の官報に堕落することも解る。でなければ、受け手側が最初から完璧な情報を要求するために、マスコミ側の萎縮を招き「官報」化を是認してしまうことになる。

誤報には異議申し立てをし、マスコミは素早い検証と訂正をする、この循環が当たり前のコトになっていなければならない。

受け手側が思想の「普遍性」を踏まえ文脈を理解していればそれは可能である。

この循環を保証しないと、マスコミの記者は誤報を恐れ、ジャーナリズムは欧米民主国家のように権力チェック情報をもたらしてくれないだろう。

たちまち「中国共産党人民日報」となることは自明である。