■評論−「既知と架橋−六林男(むりお)の一周忌によせて」

  白兵の夢のつづきを花野ゆく    六林男

 句集『一九九九年九月』の「草の花」所収、六林男七九歳の
作。硬質な作風で識られる六林男作品のなかではめずらしくあ
る種の抒情を感じさせる一句である。
 「白兵」という言葉のもつ過酷さとは別に、音読したときの
やや緊張感のある美しい響き。続く「夢」も、この場合、リア
リズムとしての即物的「夢」というより物語性を表象させる言
葉として機能しており、そして下五で、なによりも「花野」と
いう和歌的情趣をかもし出す季語によって、全体的に風雅な印
象を与えている。作者名を伏せれば一見だれの俳句かわからな
いだろう。六林男の晩年の作にはこれと似たような浪漫的作品
がしばしば登場する。しかし特徴があるのは、定型の骨格はあ
くまで六林男らしい剛性な質感を残していることだ。この句が
創られたのは、一九九八年(平成一〇年)。第一句集『荒天』
の「海のない地図」の作品群を戦場(中国大陸〜ルソン島)で
書き止め密かに持ち帰ったのが昭和一五年までであるから、<
戦後俳句>の出発から数えてざっと半世紀である。六林男は晩
年になっても戦争体験から離れられなかったことをよく示して
いる。「平和」な戦後を生きてなお、白昼の街中に一瞬立ち尽
くし、過酷な戦場風景の中をフラッシュバックするということ
を繰り返してきたのだろう。

当時はPTSDなどという病気も認知されておらず、今からす
れば戦争後遺症とでもいえる無為の数年を帰還後に送っている。
また六林男の左腕には、被弾した破片がしばしば痛みとなって
走り、それは戦争を<戦後>の終焉がいわれてからも決して忘
却させることのできない装置として働いた。掲句の「白兵の夢」
のつづきを往くとその先はどうなるというのだろうか。「つづ
きを」の「を」を、六林男は好んだ。この「を」は、目的格を
表す助詞ではなく、現代語では使用されることも少なくなった
が、持続する時間の経過とその陰影を巧みに表現しつつ、軽い
切れとして働いている。この場合、「夢のつづきを」きたのだ
が今は「花野」のような平穏な道を歩いている、と解釈すべき
なのか。あるいは、「白兵の夢」の中のにあって今も白兵は続
いていて、自分にとっては、「花野」とは実は「夢」の中の幻
影でしかないというのだろうか。
 
 昭和二四年『荒天』の後書に、「齢三〇。僕の荒天は尚続く
だろう。」と記したが、六林男の生涯は終生荒天であったのか
もしれない。しばしば六林男は、「あの戦争が五〇年やそこら
で忘れられてたまるもんか」と吐き捨てるように言うことがあ
った。

 体験は方法化されることで初めて持続的な創作が可能になる。
六林男が晩年まで唱え続けた「異議を申し立てる」とは、状況
ときり結ぶ緊張を、表現の内に繰り込むことであり、単に社会
的時評句を創ることや、素材を社会事象に求めるということで
はない。嘗て「社会性俳句」として素材主義ともとられる振幅
をみせ、『吹操銀座』が<戦後俳句>のモチーフの延長にある
かないかという切り口から、仁平勝氏や沢好摩氏によってなさ
れた「リアリズムと季語の野合」という批判は、無季こそが伝
統派や人間探求派を克服するトリガーであるとする認識に立て
ば、それなりに首肯できるものであった。当然一個の俳人の生
涯に変節も変容もありうるし、衰弱もつきまとう。六林男が、
余りにも<戦後>的であったためにその実体としての<戦後>
が違う貌をし始めた時、その方法上の遊離が意識されざるをえ
なかった。

しかし六林男の中・後期作品は、季語に依拠するというより
も、一句を構成する統辞の場における必然として措定されてお
り、季語の喩が同時に一句全体の喩を表出させる二重化に成功
しているため、高度に観念的な内容をも像として結実させるこ
とができている。

 吉本隆明氏が『修辞的な現在』(1978年)の中で提出し
てみせた鮮やかな現代詩の解析は、実は俳句も含めた文学全体
を包摂していた。それは詩人(俳人・筆者注)の「感性の土壌
や思想の独在によって、詩人たちの個性を択りわけるのは無意
味になっている。詩人と詩人とを区別する差異は言葉であり、
修辞的なこだわりである」と認識されている。このときから<
戦後俳句>の制度化と<現代俳句>の彷徨も始まったといって
よい。また<戦後俳句>の表現上方法においても、自由詩と同
様な詩的喩を直接取り込もうとして破綻していた。それらを押
さえた上で確認すべきことは、新興俳句運動から<戦後俳句>
を架橋した六林男ら世代の試行錯誤の上に、現在混沌としなが
らも<現代俳句>として、その定型に作家の自由を仮構しえて
いる点である。それは個別の作品に沿ってみた場合、斉藤愼爾
氏も六林男の次の三句を掲げて、

  ひとりの夏見えるところに諸刃の剣

  全病むと個の立ちつくす天の川

  言葉ありまた末枯れをさずかりし

  「(六林男が)讃仰する誓子や三鬼も到達しえぬ高次な詩
的領域を広げている。」(『俳句』平成一七年三月号)と評し
ている。確かにこの従来の俳句的表現領域をこえた到達点は、
近現代というスパンの俳句表現史の中で洗い直すことにより新
しい意味づけがなされるかもしれない。時代の評価軸は、<戦
後>も<戦後後>をも相対化するパラダイムへ移行し去ってい
る。生の理由と俳句の理由が蜜月であった「幸せ」な時代はも
う二度とこないがゆえに『荒天』だけが賛美されるという逆説
の中で、今更六林男でもなかろうにと思いつつ、「六林男の時
代」を近現代の俳句表現史の俎上に乗せて客観的に評価するこ
とも無駄ではないかもしれない、とも思う。
 
 そこは結社運営の協賛度に合わせた年功への行賞からも、「
師」として無条件に絶対化して賛美するという一九世紀的結社
感覚からも遠く離れた処であることだけは確かなようだ。
    (『辺縁へ』所収 初出『六曜』二〇〇五年一二月号)