■下司な野心は哀しい-「豈Weekly」匿名合評という辻斬り

「豈Weekly」関係者であろう。作品合評と称して、A子とB子
というババアが二人、匿名で好き放題言い散らしている。

もちろん、どのようにひとの作品を詠むことも許される。
それに文句を言うつもりはない。しかし、ひとの作品を
切った返り血、つまり己の程度が晒されてしまうという
ことには無頓着のようだ。
わたしは自分の俳句が不当に評価されたから言っている
だけではない。その程度のもの謂いなら自分で疾うに解
って書いているからいっているのだし、作品として「あ
る」意図もあって観念的にすぎるものを書き始めている。
ババアの頭の程度でわかろうはずもないが。
といいつつも以上はさして問題にはしていない。
 問題にしているのは、この匿名の合評という形式につ
いてである。
ネットだから許されるとでも安易に想っているのだろうか?
このサイトは少なくとも同人誌「豈」の延長にあるのでは
ないのか?(最近の名前をかたる詐欺集団ではないな)
商業誌の真似をしてどうするのだ?
作品の作者は、すくなくとも実存をかけている。
そして批評もまた創造行為だという自明さに立てば、創造す
るものとしての発言主体の責任を負うのが倫理というものだろう。

匿名性に隠れた「放言」は、真面目な作家たちの真摯な相
互批評にとって、害悪・厄災のなにものでもない。
だいたい、作者は無言のうちに誰に批評してもらいたいか
決めているものだ。そのひとの批評によって己を磨いてい
こうというものが普通だ。
程度の悪いババアになんかだれが批評を頼むものか。この
ふたりのババアのために良識ある作家たちから「豈」その
ものの堕落を陰で言あげされるのがオチだ。「豈」周辺に
は批評家きどりでむやみやたらに頼んでもいない批評をし
たがる俳句ゴロがいるとは聴いていたが、正体みたりとい
うところだ。
わたしのこの言い分に不満があるなら、匿名性の正当性の
根拠を示せ。
だいたい、自分達は匿名性に隠れていいたい放題いいなが
ら、コメントの記入者には記名(匿名でもいいのかしらな
いが見る限り記名になっている)を要求している。
呆れてものが言えない。
(コメントを書き込もうとしたが、グーグルのID取得し
ないとダメらしくメンドイので止めた。自分のブログなの
で上品に批判している。)