仕分け人菊田真紀子議員の英断

「能なしでもできる」発言など仕分け人が謝罪
 政府の行政刷新会議が16日に行った「事業仕分け」で、民間の仕分け人である「Office WaDa」の和田浩子代表が、21世紀職業財団の業務内容を「能なしでもできるかもしれない」とした13日の自らの発言について、「言葉のチョイスを間違った。不適切な言葉を使った。申し訳なかった」と陳謝した。


 この日はほかにも、データの誤りなどについて、仕分け人からの訂正や謝罪が続いた。

 一方、仕分け人の判定結果を取りまとめ役が覆すケースも出た。国の審議会が推薦する児童劇を全国の児童館などで公演・上映する「優良児童劇巡回等事業」について、仕分け人12人の判定は「廃止」1人、「自治体や民間に任せる」3人、「予算削減」6人、「要求通り」2人だったが、取りまとめ役の民主党菊田真紀子衆院議員が「子供たちに直接夢や希望を与える事業は大切にすべきだ。私の政治判断として、要求通りとしたい」と結論づけた。

(2009年11月16日19時38分 読売新聞)

この菊田真紀子議員のような、見識のある人が民主党にはいるようでいくらかホットした。


わたしの義姉は長年中高校生向けの劇団を主宰し、全国の学校を回っている。
劇団員はほとんど無給に近いし、義姉は万年赤字を抱え自己資産を食い潰している。


こういう学校回りの劇団には、民間のスポンサーもつかないから、学校の文化活動費だけが頼りだそうだ。どこも要求額には程遠い予算しか持って居ないという。


お笑い芸人の軽薄番組の多い中で、あるとき本格的に何かを感じさせる演劇や影絵に出会い、ふと心に染み入るものがあれば価千金というものである。


特に子供のころの柔らかいこころには、日頃まみれている低俗なTVやゲームと違うタッチのものは、大人が考えている以上にこころに残り、日ごとに何モノかを沈殿させていっているものだということを、自分の少年期を振り返ると思うのである。


こういう数値で量れないものは無駄だとする教育観は、教育を市場原理に任せる考えであり、単に個人の経済的価値を獲得するものに矮小化する過ちである。


菊田真紀子小沢グループ新潟県選出議員だということぐらいしか知らないのだが、いずれにしてもすばらしい英断だと思うし、理論化されていないとしてもすばらしい見識だと思う。


わたしたちは、宮台真司がいうように、「お手並み拝見」などという自民党を支えてきた市民としての責任を放棄した「任せる政治」から、参画して決めることで責任を「引き受ける政治」へ転換することこそが、政権交代の最も大事な国民側の「政権交代」だという認識に立てば、いい決断には積極的に賛辞を送り、政治を明るく楽しんでいく心がけも重要ではないか。


この件については、菊田真紀子議員に賛辞を贈りたい。