■普天間基地移転問題−自公政権の尻拭いと君子豹変

■「私たちより米大事か」外相に名護住民怒号
(読売新聞 - 12月06日 01:12)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1041768&media_id=20

数日原理的なところはMIXIに書いてきたが、感想だけ書く。

岡田の売国奴は、ただでさえあのフランケンシュタインみたいな顔をしてるのだから、もっと困った顔とか、泣くとか自分の苦悩 と住民への同情を表現した上で、君子豹変を伝えるべきだった。

多分無表情に繰り返したのだろう。
少なくとも自分の信条と民主党の力量不足、敗戦後60年の奴隷状態(あるいは奴隷に成り下がった安保維持論者)を簡単には克服 できないのだ、と泣いてみせるべきだった。

つまり政府として主張と立場だけは、明確に意思表示すべきだった。

そもそも、この問題は自公政権時代に決定した沖縄県民の意向を無視した約束だったのだから。

しかも極めて自公は処理がまずいというか、どこかに利権をからめていたとしか思えない。

そもそも新基地建設には3500億円以上かかるため、嘉手納統合なら経費は大幅に安くつき、建設も短時間で済む。

日本側は嘉手納統合案を提示したが、アメリカ側は反対した。

ところが新基地代替案が日本側では遅々として進まない。

苛立った米国は逆に05年2月嘉手納統合案を提示してきた。
そして有事の祭は普天間基地を再び使わせて欲しいという趣旨だった。このとき日本案は認められたのだから、そこで手打ちしておけば済んだ話である。

もう一つは、宜野湾市の入手しているアメリカ軍移転総合計画書である。ここではそもそも当初計画では海兵隊は全てグアム移転になっていた。

それがある段階で、一部残すことに変更されている。

アメリカ側はすべてグアム撤退でよかったのだ。どこかに一部残して新基地建設の利権をからめた様子が伺える。
自公の昔からの手口だから、ほぼ間違いないだろう。

要するに、自公政権時代からの不透明な経緯の結果であり、外交が相手国があるから連立政府の思い道理にはいかないし、苦労もつきまとう。

これはミクトモ変な凡人さん(政治学者)が、選挙前から予告していた事態である。与党になった途端君子豹変する「必要」があるということだ。

しかし、政府としては、当初からの公約基地縮小を言い続ける必要があるのだ。日本人に奴隷派=安保容認論がいる限り、政府としては見解をしっかり主張しつづけなくてはならない。その上での現実政治の着地点であることとは径庭の差が生れる。

過去に明治維新政府は、徳川幕府不平等条約や脆弱な明治政府の下に押し付けられた不平条約改定のために、執拗に国内外に立場表明し、国家の悲願として時間をかけて改定を成就している。

もっともこの時代の日本人は気高く外国の軍隊に日本を守ってもらうなどと平然と売国的主張をする日本人はいなかったが。

自国の同胞を売って、外国軍隊に守られることを当たり前だと刷り込まれてしまっている売国派が国内にいる限り、主張は 主張として言い続けることが、せめてもの沖縄県民への寄り添う政治的行為というものだろう。

何度もいうが、安保条約の法解釈で行く限り、米国の一方的判断でしか日本は守られない不平等条約であり、冷戦時代の腐った軍事同盟だということだ。

沖縄県民は頑張って欲しい。
我慢の限界なら、実力行使してもいいと思う。
その折は老骨に鞭うって参加しよう。