野田新総理誕生の絶望

多忙な生活を極め、マスコミ情報からは遠ざかっている。というよりは、もうほとんど政局を追っても政治にいきつかないという絶望からニュースなどみてもしょうがないというべきか。
短期間でコロコロ総理大臣がかわることが問題ではない。変われども変われども政権交代の意義がみえなくなり、いったい政権交代はなんだったのかという思いが深くなるからだ。

民主党が党内だけで総理を決める、国民不在だという批判はステロタイプであたっていない。我が国の政治制度ではそれは自明のことだからである。
そうではなく、民主党が四年の任期の半分折り返し地点で、地方選挙に敗北、参院で敗北し、脱官僚で敗北し、ほとんどマニフェストを放棄してしまったにもかかわらず、党内でその原因と総括を全く論議もせず、ずるずると自民党のような派閥人事をくりかえしていくことである。

何が問題で、何ができなくてこの事態に陥ったのか、それを克服するために新総理がこういうことをするのだというのなら、総理交代も意味があろうというものだ。全く分からない。

野田新総理は、幹事長に輿石氏を起用した点ではノーサイドを本気でやるのかと思わせたが、その後の閣僚人事をみるだけでは感心しない。おそらく管総理と同様主流派の官僚出身者や松下政経塾出身者で固めるのだろう。

輿石氏とはあいだみつおの詩のファンでつながったようだが、あいだみつおの詩を愛でる程度の感性と言語感覚の程度の悪さはこの際問わないが、小沢派を起用したことは歓迎する。しかし政策や党運営でどのように合意しているのか、それが肝心で、残念ながらそんなものは見えてこない。
むしろ小沢問題は来春小沢裁判が結審する頃になるだろうが主流派に意義を申し立てれば、たちまち党内対立の発火点となる。このとき小沢無罪だった場合小沢要職復帰を野田新総理が認める胆力と政治眼力があるかどうか。

主流派閣僚の大幅の入れ替えがない限り、野田新総理はこれまで以上に親米従属、官僚追随姿勢を強化することははっきりしている。
落ち着いた安定性をマスコミが垂れ流すだろうが、その裏では財務省が必至の工作で自民党を懐柔し、財務省がバックについていることで自民党も野田新内閣にはうかつな対応はできなくなることが予想できる。そしてこれは野田氏の力量のように装われだろう。それは官僚の思うツボで、その演出効果のある間に、普天間問題、TPP加入、増税など目白押しに決められていくにちがいない。

政治の素人のわたしが、予想することである。ぜひ当たらないことを願っている。

この総理交代の隙間をぬって重大の問題がいくつかこっそりと進行した。

・政府によるネット言論の規制。
放射能汚染がれき中間保管場を福島県に作る。福島県はソフトな汚染隔離ゲットーとして位置づけられるだろう。
・法相の決定がなくても、死刑執行ができることを閣議決定。従来の憲法違反はあたらないとし、単なる訓示的意味であるとした。
 恐ろしい解釈である。人権を叫んできた管直人とはいかなる政治家だったのか、後世に悪徳政治家の名を残すことだろう。
久ぶりに書いたら何か言葉がでてこない。
あるいは表層の時事ネタにいやけがさしている無意識の心理的抵抗なのか。