安保法案(集団的自衛権)決議後のあれこれや

このブログが難しい、解らないといった話がたまにお会いした方々からでる。閲読はうれしいが、あえていえば解らなくて結構。高踏的にいっているわけではく、自分の頭の整理と学生相手を想定しているからだ。月に一冊も本を読まないで人生を過ごしてきた方には、残念ながらいきなり理解はむつかしい。俳愚人さんてなんか変な人、と思いながら読み続けていただいても止めてもご自由です。

さて、安保法案は予定通り残念ながら通ってしまった。法案自体を詳細に確認したわけではないが、積み残した重大な問題を挙げておきたい。

1,憲法違反である。これは元内閣法制局長官が、安倍政権以前の解釈では個別的自衛権の範囲で、自衛隊武力行使は認められていたと証言している点からも、集団的自衛権解釈改憲となる。

2,閣議決定解釈改憲をした点は、立法府の軽視と法的安定性を損ね、立憲主義を崩壊させた。

3,集団的自衛権が、従来の個別的自衛権を制限してしまうという逆説を生じている。すなわち、兵站部隊(後方支援)は、内閣解釈では戦闘部隊と認めないために、個別的自衛権では日本を攻撃してくるA国へ武器弾薬を補給する兵站部隊B国を攻撃できたものを、これでできなくなる。戦争の勝利の要諦である兵站殲滅の初歩を、帝国陸軍の伝統を引きずるがごとくないがしろにしている。これは米国の要請による後方支援の図式を守ろうとするあまり、他国援護はしても自国防衛に支障をきたす重大な不足をつくったことになる。これでよく安倍支持の右翼は容認するものだ。

4,自衛隊は軍でないという規定のまま、「駆けつけ警護」をするという危険。
武器使用は拡大させながら、戦闘地域を「非戦闘地域」とすり替えるため、隊員を「軍人」と規定できない。日本人の昔からのすり替えとごまかし常習癖だ。これによって、隊員は二つのリスクを負う。①捕虜としての国際法上の保護取扱いを受けられない。たとえば虐待、裁判なしの死刑などを受ける可能性が高い。②「駆けつけ警護」で戦闘になるが、中東派遣米軍が現在最大の不祥事と非難されている民間人の誤射が恒常的に発生しているわけだが、隊員が同様の民間人殺害をしてしまった場合、国内法で裁かれる。結果傷害致死罪か殺人罪の適用を受けるという不条理である。殺すか殺されるか一瞬の判断を要求される戦闘現場で、国内法を恐れれば発砲を思いとどまり自分が殺害されるか、自分が助かりたければ誤射もやむなしとするか、これは個々の隊員の判断に委ねられることになる。これほど自衛隊員個々人に過酷な判断を要求し、「国家の大義」を実行するにあたって正当な身分の保護もせず、命を軽く扱う国家も世界にないだろう。これは、安倍内閣が掲げる「普通の国家」の姿ではないだろう。

5,賛成派も反対派も、自衛隊違憲である、という根本問題は避けているため、結果的に民主主義を協力して破壊している。反対派は集団的自衛権は個別的自衛権を逸脱しているために違憲だとしている。戦後の憲法論議では、自衛隊自体が違憲であり、最高裁統治行為論で判断を逃げたためなし崩しに是認されてきたにすぎい。事実下級審では伊達判決の違憲判断はあったわけである。今回違憲判断で反対を主張した憲法学者のうち、自衛隊違憲判断は半数だと聞いている。この曖昧さが自衛隊は軍ではないとみなして隊員のリスクを高めている。
個別的自衛権容認であっても、自衛隊は軍かそうでないかは問われるだろう。

6,反対派の最大の主役であったSEALDsの代表者も、5に関連して個別的自衛権の範囲で自衛隊は合憲と解釈していきたい、とインタビューに答えている。この流れは、戦後の立憲主義憲法問題を戦後史から切断し、不都合は掘り下げないという、あるいみで右翼とパラレルな動きをみせている。こういう現象は、自衛隊の災害救助活動などのポジティブな面だけが国民にみえてきたための高評価なのだろう。法律論議で危険なのは、心情を下敷きにすることである。

法案自体に関する主要な問題点は以上である。

政府が国民をほったらかしにして法案成立を進めてきたのは、安倍総理が国内論議より米国議会演説の折に約束を公言し、法案通過翌日には向う5年間で米国より30兆円武器購入が発覚し、地方公聴会意見書をまともに取り上げず採決し、手回しがよすぎることで解る。最大の手回しは、成立二日後には自衛隊派遣は南スーダンだと漏れてきたことだ。
しかも駆けつけ警護の対象は、中国軍というのだから驚きである。中国脅威論を煽っては集団的自衛権の反対派を圧殺しようとした右派評論家、コメンテーター、ジャーナリストはどう応えるのか?唱和した右翼オヤジババアはどう応えるのか?さぞアクロバティックな屁理屈を繰り出してくるのだろう、楽しみである。

なお、今回の敗北を受けて、二三の潮流が出てきた。相変わらず進歩派は、デモは無駄でなかった、民主主義のこれからの肥やしになると勝利宣言をしているようだが、こういうバカげたことを繰り返すかぎり右翼への加担をし続けるのだ。

共産党が路線転換して、小選挙区選挙で国民政府構想のために野党協力の立候補者調整をすると発表。歓迎する方向ではあるが、中身もわからずに狂喜絶賛するツイートがあふれた。進歩派のお人よしと無警戒には相変わらず恐れ入る。50年の路線をわずか一二時間でしかも10人足らずの幹部委員会で決定する、それを全党員が異議もなく倣えする、みごとな民主集中制=官僚集中制である。それ自体に恐怖するのは小生だけか。

なおSEALDsとそれにまつわる思想と知識人の問題は改めて機会があれば、というより気が向けば書いてみる。

【生活の党、山本代表の談『本当に悔しい』】

【法制局、集団的自衛権違憲検討審議文書残さず−審議なしの形跡】
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/a604a93244e8d3bd2a98736e5f52ca55