医師、警察が判断すれば、勝手に取り押さえて精神病院で拘束具をはめてよいとする、この悪法もも年間平均10人前後を殺害してきている。
司法が介在しない拘束(精神・身体の自由を奪う)は、行政長の判断ですべてケリが付けられる。つまりこの「健太くん事件」と同様な、無理解な住民の通報、警察・医師の恣意的判断がなんの検証もなく合法化されるのである。
日本の恐ろしく立ち遅れているこうした「意思の通じない人」とみなされる人々に対する人権が無言の市民の合意で殺人を許容しているのだ。
それは彼らの知性中心主義(人間中心主義)という権利関係での自由と平等しか、視界にとらえられていない、いわば「精神不自由者」だからだ。
近代思想は、契約可能な自由な意思と理性をもった人格以外は、人間として認めない。
そこにどっぷりはまっている。
精神障碍者への関心のないまま、革命を叫んでも、それはどれほどの革命なのか、たかが知れているように思う。