現在私たちは、喫緊の課題として、精神病院の入院患者にスマホを持たせよう、という運動を開始している。
院内の閉鎖性が依然として続くなかで、滝山病院ほか多くの病院の虐待事件が起きた。開放性をすすめ、患者の社会的関係性を維持するためにもスマホは大切なツールとなる。さしたる理由もなく多くの病院が禁止している。解禁した病院では、特に問題も起らず、家族や友人とコミュニケーションが取れて、本人の自己治癒にも大きな力を与えていると報告されている。
なによりも、院内の虐待がスマホによって防止できることは明かになっている。この度の法改正によって、虐待に関して「通報の義務化」が規定された。それを実効性あるものにするためにも、ぜひスマホは必要なのだ。
多くの病院が必死の抵抗をし、医療関係者は些細なことを理由に黙殺している。
そして、いま一つ、下記の記事にあるように、病院なのに理由も定かでないまま、面会が制限されているのだ。なぜこうも日本の精神病院は閉鎖しようとするのだろうか。
病人でなくとも、家族、友人とのコミュニケーションを阻止されたら精神に変調をきたすだろう。患者を救済できるのは、病院にぶち込んだ外の私たちだけなのだ。
以下高木医師の話を拡散しましょう。
しゅんちゃんええぞ!【「面会制限やめよう」の投稿が炎上 それでも主張する医師の信念】小国綾子 毎日新聞 2024年12月25日
コロナ禍以降、病院や施設で長く続く「面会制限」に対し、緩和を求めている医師がいる。京都市で約20年間、精神疾患の患者が病院ではなく地域で暮らせるよう、チームで訪問支援してきた精神科医、高木俊介さんだ。制限緩和が進まない背景に、日本社会のゼロリスク志向を指摘し、こう断言する。「面会は人権であり、ケアである!」【聞き手・小国綾子】
■全国の面会ルールを調べたら
――高木さんは全国の病院の面会ルールを調べ、SNS(ネット交流サービス)などで公表していますね。
◆医師や看護師ら仲間と、全国すべての大学病院について、公式ホームページを情報源に、それぞれの面会条件を調べました。多くがまだ「15分まで」「30分まで」といった時間制限や「2人まで」といった人数制限を採用していました。「週2回まで」など回数制限も散見されました。中には全面禁止の病院もありました。そして多くが食事禁止、マスク着用を掲げていました。コロナ前に戻して病院は極めて少数派です。次に、全国の日本赤十字病院も調べましたが、同じ傾向でした。
そこで仲間とともに「コロナ後の医療・福祉・社会を考える会」を設立し、面会制限の緩和を求めて病院に働きかけようと計画しています。
精神科医だからこそ ――精神科医療が専門の高木さんが、なぜ、面会制限を問題視するのですか。
◆むしろ、精神科医だから、ですよ。この国で人を強制的に入院させる法律があるのは、精神疾患と感染症だけです。歴史的に見ても、精神科病院を変えようという運動の中心には「病棟の開放化」と「通信・面会の自由」がありました。
高木さん(右)は精神障害者の雇用を目指し「京都・一乗寺ブリュワリー」を設立。また、農福連携のクラフトビール「ふぞろいの麦たち」の企画にも、松尾浩久さん(左)とともに関わった=京都市中京区で、川平愛撮影
閉鎖的な精神科病院で虐待事件が繰り返し起きることから分かるように、外の目が入らないと患者のネグレクトや虐待が起きやすくなるのです。
精神保健福祉法では、面会を制限した場合には、患者や家族などに理由を通知するとともに、病状に応じてできるだけ早く面会の機会を与えることが規定されています。しかし、法律に規定があってもなお、精神科病院の入院患者は外部と接触する機会を奪われがちです。今でも面会者が入れるのは面会室のみで、病棟には入れてもらえない病院が多いでしょう?
――そういえば、看護師らによる虐待事件が発覚した東京都八王子市の滝山病院もそうでしたね。
◆精神科医療における「通信・面会の自由」の運動の歴史を知っているからこそ、今なお続く「15分間」や「親族2人まで」のような面会制限が漫然と続くことの問題性を強く感じたのです。それで今年夏、SNSで「面会制限をやめよう」と投稿しました。すると「炎上」しました。多くは、「面会によってウイルスが持ち込まれたらどうするんだ」など、医療現場の医師や看護師からの反論でした。
しかし、コロナ禍初期の面会禁止はやむを得なかったとしても、厚生労働省が面会確保を呼びかけ、コロナが感染症法上の5類に移行して久しい今なお、多くの病院で面会制限が続いているのは二つの点で問題だと思います。
■人権であり、ケアである
――どんな問題ですか。
◆一つは患者の人権問題です。親しい人との面会は大切な幸福権です。
もっとも、「面会は人権だ」と言うと必ず、「入院患者が感染しない権利(健康権)を侵害するのか」という反論が起きるんですね。これでは人権と人権の闘いになってしまう。
新型コロナウイルスの感染防止のため病院の入り口には面会制限を知らせる紙が張ってあった=東京都杉並区で2020年4月10日、椋田佳代撮影(画像の一部を加工しています)
しかし、お互いに「人権棒」で殴り合うようなことは無意味です。その時その時の状況に鑑みて、判断することが大切です。
今のように感染が落ち着いている状況下では、家族や親しい人と自由に面会する幸福権が優先されるべきですし、また、面会が自由にできないことは「大事な人のために生きる」という動機を患者から奪い、ひいては患者の健康権をも侵しかねません。
そして状況に応じた制限を行った場合には、患者と面会者にその理由と制限の期間が納得のいくように説明されねばなりません。人権を制限するという重大な行動に、手間ひまを惜しむようなことをしてはいけないのです。
■面会がケアとなる理由
――もう一つの問題とは?
◆それは、家族や親しい人との面会は、患者にとって「ケア」だということです。面会制限は、ケアの制限につながっています。
親しい人との面会は、本人が「治りたい」と思う動機付けに欠かせません。また、入院によって突然社会から遮断された患者にとっては、家族や会社の同僚などとの面会で「俺はこの子たちの親なんだ」とか「この会社に必要とされているんだ」と感じることで、社会の中に自分の位置を保つことにつながります。治療法を誰かに相談することで、患者本人の気持ちに添った治療選択もできやすくなります。
逆に、面会を制限されると、入院患者は治療方針について医師らの言いなりになってしまいがちなのです。これは家族も同じです。患者本人とじっくりと話し合う機会がないと、医師からの説明に「はい、はい」とうなずくしかない。その結果、医療者と当事者とがていねいに治療方針を決めていくプロセスが失われてしまいます。
病院だけではありません。長期の面会禁止で介護施設入居者の認知機能が落ちたという話
コロナ禍で何度も聞きました。面会はそれ自体が「ケア」なんです。
■見え隠れする病院の本音
――高木さんの作成した全大学病院の面会ルールの一覧表を見ると、時間制限や人数制限のない病院がある一方、今でも面会原則禁止や「週1回まで」など厳しい制限を敷く病院もあります。このように対応が分かれているのは、なぜでしょう。
◆大多数の病院はコロナ禍に採用した面会ルールを見直すことなく、漫然と面会制限を続けているのだと思います。なぜなら実は「その方が楽」という側面もあるのではないでしょうか。面会は、医療従事者の仕事を増やしますから。家族の話を聞いたり、家族の意向を医師に伝えたり。面会制限の背景に、仕事を増やしたくないという病院側の本音もあると感じます。 そもそも、「家族のみ」という条件の科学的根拠は何なのでしょう。15分、30分という短時間で大切なコミュニケーションが取れるでしょうか。海外から一時帰国したのに、入院した家族に1日15分しか会えなかった、という話も聞きます。
子どもの面会禁止は、親が我が子に会えないとか、高齢者が孫の顔を見られないとか、つらいルールです。「食事禁止」というルールにしてもそうです。病院食に食欲が湧かない患者でも、家族が思い出の詰まった食べ物を持ってきて一緒に食べることで、食欲を取り戻すこともあるのです。
――感染予防と面会との両立を模索し、オンライン面会を採用した病院や施設もありましたね。
◆まったく面会できないよりは、オンラインでも面会できた方がいい。しかし、オンラインには、やはり限界があると思います。ふれあいこそが大切だから。
例えば、食欲がなく、食べられず、点滴で対応するしかない患者さんがいたとします。ここに家族が面会にやってきて、本人の好きな食べ物を家族の手で食べさせてあげる。これはパソコン画面で「食べなきゃダメよ」と家族が呼びかけるのとは全然違います。リアルな面会は、栄養管理という治療にだってなりえるのです。
「会えない」弊害はほかにも
――病院だけでなく、さまざまな施設でも面会制限が残っています。
◆例えば、障害者施設でも面会制限は大きな問題でした。特に知的障害の人のいる施設で面会や外出を制限した結果、それまでの生活リズムが崩れ、極端に閉じこもるようになったり、親と定期的に会えないことで大きなショックを受けてしまったり。家族との面会が生きがいのような人もたくさんいるので、そういう施設ではケアが大変だったそうです。「会えない」ことその弊害は本当に大きいのです。
また、障害者の自立支援の現場でも、病院の面会制限によるダメージが今も続いています。病院に長期入院している筋ジストロフィーの人たちが地域で生活できるよう自立支援している団体があるのですが、その団体はコロナ以前は、入院先の病院に何度も面会に行き、外出や外泊を重ねながら、地域移行を支援していたのです。 ところがコロナ禍以降、多くの病院が面会を「家族のみ」に制限しています。そのため、支援活動がまったくできないままなのです。観光客でにぎわう東京・浅草の雷門前。マスクを外した人の姿も目立った=東京都台東区で2023年4月29日午後1時32分、幾島健太郎撮影
ロックダウンには終わりがあるが
――それは深刻ですね。一方、海外の病院ではとっくに面会制限などない、と指摘されています。
◆ええ。仲間がアメリカなど海外の事例についても調べてくれています。病院のスペースの問題で人数を「同時に2人まで」などと制限している例はあっても、コロナ禍の「面会制限」はとっくに解除されているようです。
日本は海外のような厳しいロックダウンを経験しませんでした。それは良かったけれど、それゆえ「終わり」が見えなくなってしまった。法律によるロックダウンには終わりがありますが、日本の自主的な行動制限には終わりがないのです。
日本だけで面会制限がだらだらと続いている一番の理由は、日本社会のありようによるものだと思います。
なぜ行動制限をやめられないのか ――どういうことですか。
◆コロナ前から、日本社会ではいわゆる「ゼロリスク志向」が強まっていました。「何かあったらどうするんだ?」と。そこにコロナ禍が起きた。だから日本社会では「弱者を守るため全員が我慢しろ」という空気が醸成されました。
私はリベラル派を自認していますが、むしろリベラルな人たちの間で「ゼロリスク志向」が高かった印象があります。
面会制限の問題についても、いわゆる人権問題に熱心に関わってきたリベラルな人たちの方が反応が悪いんです。むしろ「弱者を守るため全員が我慢すべきだ」と言う。善意や正義感で「ゼロコロナ」を求め、行動制限をむしろ求める人が多かったように感じます。
精神科医の高木俊介さん=京都市の「たかぎクリニック」で2024年11月23日、小国綾子撮影高木さんが設立した「京都・一乗寺ブリュワリー」の店舗の壁には「近寄ってみたら、みんなおかしい」という言葉が。社会が寛容になればどんな重い精神障害者も一緒に地域で生きていける、と高木さんは語る=京都市で2024年11月23日、小国綾子撮影
行動制限をやめようと声を上げることは、弱者を危険にさらすことになってしまうと考え、なかなか声を上げられない。だから日本では、行動制限がいつまでも解除されなかったのではないでしょうか。
もちろん、病院の安全は大事です。しかし、より大きな人間としての幸福や、社会のゆとりを失ってはならない。面会制限はやめるべきだと思います。
人物略歴
たかぎ・しゅんすけ 1957年生まれ。京都大医学部卒業。「精神分裂病」の病名を「統合失調症」へと変更するよう発案した。精神科病院や大学病院の勤務を経て、2004年、たかぎクリニックを開院し、重度の精神障害者の地域生活をチームで訪問支援するACT(包括型地域生活支援)を始める。また、精神障害者の雇用を目指し、クラフトビールの醸造所「京都・一乗寺ブリュワリー」を設立した。現在同ブリュワリーの会長でもある。