武漢封鎖!日本の新型コロナウィルスのリスクへの対応に疑問

武漢封鎖!
素早い習近平の判断は、中国の進化を感じる。
もちろんリベラルは、人権無視だからできるという負の面だけをあげつらうだろう。
しかし、自国民の命、財産など喪うものがあるという認識が根底にあり、旧来のように情報を秘匿することのマイナスを指導層も解ってきたということだろう。

ツイッターでは再三この危険性と、ウィルスは必ず変位して感染力を強化していくのは素人でも解っている話として、危険を呼びかけた。
未だに、週15便も武漢からの直行便を飛ばして、金のために危険を運んでいる。

神奈川県知事は、冷静にとは呼びかけても、未知のウィルスへの危険をまったく呼びかけない。
原発の時と同じではないか。

未知の事態には、行政はむしろ可能性としてのリスクを最大限「煽る」べきではないのか。

箱根の商店が、中国人お断り、のステッカーを張りだしたことがリベラル市民が叩いていたが、やり方としてはスマートではないが、政府も行政も逐次情報をださない中では、当然不安をもった人たちは個別に自分の危機感に応じて対応するのは当然だ。
こういうことは、叩くべきことではない、行政が無策だからである。

加藤典洋の晩年の「有限性の近代」を読んで、私は社会政治をみる視点を変えつつある。
どれほど高次化した産業社会であっても、人間が自然史的過程を生きる限り、自然の闇(近代知の未知)は背中に背負っていることを自覚することだ。

大阪の鉄道は弱者無視、大阪メトロへの提案!

大阪の鉄道関係者の弱者への配慮がいま一つ欠けているのではないのか?

たまに京都に行きますが、京都の地下鉄(写真)と比較するとそこがよく感じられます。

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京都地下鉄の優先座席表示

大阪のメトロや北大阪急行や阪急はほとんど気が付かないように、ガラス窓にシールが貼られているだけです。

そのシールも、紺色の最も目立ちにくいようにしたとしか思えない、じみーなものです。

その結果、ただでさえ「譲る」ことに疎い大阪人や若者は、平気で座ったままスマホに熱中しています。

老人や赤ちゃん連れのママがきても無視です。

あんなに車中でスマホに熱中する必要があるのかとも思いますが、

たまに聞こえよがしに「ほらお婆ちゃんがきたよ」とかいうのですが、まったく反応しません。

京都の地下鉄では、見事に大学生は立ったままでスマホをしています。(そういう若者が多い、という感じ)

写真も日中の地下鉄内のものです。優先座席エリアは空けておく心理が自然に作動しているのでしょう。これだけ目立つ表示なら、日ごろから配慮が働くのでしよう。

さらに解り易くするために、近日中に大阪メトロ、阪急に乗車した折に写真を撮ってアップします。

何回か鉄道会社に電話して、目立つ表示とアナウンスをお願いしましたが、改善されません。

【関連参考】

「大阪メトロ開始、成功、失敗の基準」

 http://haigujin.hatenablog.com/entry/20180402/1522669235

 

 

安倍政権の犯罪的「嫌韓」排外主義ー林博史氏が語る(忘備録)

林博史さんに聞いた(その1):「少女像」問題で、日本政府は完全に「歴史修正主義」に舵を切った

 

「少女像」は「政府の見解」に反していたのか

──2019年は、4月に公開された映画『主戦場』など、日本軍の従軍「慰安婦」問題にいつになく注目が集まった1年だったと思います。中でも、8月から開かれた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」内の企画展「表現の不自由展・その後」では、元「慰安婦」の女性をモチーフにした「少女像」に対する批判の声が政治家からも上がり、脅迫電話まで寄せられたことから、一時は展示が中止される事態となりました。林先生は、一連の流れをどう見ておられましたか。

 あの一件は、非常にさまざまな論点を含んだ問題だったと思います。
 一つは、民主主義国家としての問題です。権力に対する批判的な意見も尊重するというのが自由民主主義社会の大前提のはず。「公的なお金を使ってやるのだから、政府の見解に反する展示を認めるべきではない」といった声が聞かれましたが、これは民主主義の否定であり、独裁国家の論理です。
 なぜなら、公費というのは、もとはといえば国民から集められた税金です。そして国民は当然ながら多様な意見を持っている。その多様な意見──政府に対する批判的な意見も含め──を表明する場がきちんと保障されるというのが、自由主義社会の大原則なんです。それを堂々と否定するような意見が政治家からも含めて出てくるというのは、日本の自由民主主義そのものの否定と同じだと言っていいと思います。
 そしてもう一つ、その「政府の見解に反する展示は認められない」というときの「政府の見解」自体が、非常にゆがめられてしまっていたという問題があります。

──どういうことでしょうか。

 たとえば、「慰安所」「慰安婦」の存在を認め、そこに日本軍が関与したと述べた「河野談話」(1993年)を、現在に至るまで日本政府は否定していません。また、2015年の「日韓合意」にしても、いろいろと問題のあった、批判すべき点の多い内容の合意ではあるにせよ、「慰安婦」の存在自体は認め、「申し訳ないことをした」と、形だけでも反省の言葉を述べているわけです。
 つまり、「慰安婦」にされた女性たちが存在したことは、日本政府も認めている事実なのです。それなのに、どうしてその被害者を表象した平和の少女像が、「政府の見解に反する」ことになってしまうのでしょうか。

──仮に政府の見解と異なる内容であったとしても展示は認められなくてはならないけれど、この「平和の少女像」に関していえば、そもそも政府の見解と異なってさえいない、ということですね。

 それが政府の見解に反するというのなら、河野談話も日韓合意もすべて否定するということになります。
 これまで日本政府は、被害者に対する直接的な賠償や謝罪はしないとはいえ、一応は河野談話にある、「慰安婦」にされた女性たちに対して「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」という姿勢を、公式な立場として取り続けてきました。ところが今回は、松井一郎大阪市長河村たかし名古屋市長などの公人がそれを否定し、「慰安婦」問題について「デマ」「事実ではない」などと暴言を繰り返した。さらには政府も、菅義偉官房長官が「(あいちトリエンナーレへの)補助金交付について事実関係を確認したい」と述べ(※)、一連の動きを黙認しました。「慰安婦」の存在を否定する、非常に極端な歴史修正主義の立場を鮮明にしたと言っていいでしょう。

※その後、文化庁は採択が決まっていたあいちトリエンナーレへの補助金不交付を決定した。

──本来なら、政府こそが松井市長や河村市長の発言をきっちりと否定すべきだったわけですね。

 まずは「展示中止は自由と民主主義の国としておかしい」と表明すべきだったし、「慰安婦」問題についても、政府の公式見解はこういうことですよ、と改めて述べるべきでした。それをやらないというのは、これまでの日本政府の態度ともまったく異なる、新しい段階に来てしまったといえるかもしれません。
 映画『主戦場』に描かれていたように、これまでにも海外では、在外公館が中心となって、世界各地での「少女像」設置計画をつぶそうとするなどの動きがあからさまに行われていました。しかしそれでも、国内ではなんとか「河野談話」を踏襲するという立場が守られていた。それが、この展示会を機に、国内でも堂々と「否定論」が述べられるようになってしまったわけで、一気に大きな一歩を進めてしまった状況だといえると思います。

意図的に煽られてきた「嫌韓

──もう一つ、この1年で非常に状況が変わったこととして、日韓関係の急速な悪化が挙げられます。

 この1年あまり、政治が意図的に反韓嫌韓感情を煽り続けてきたと感じます。象徴的なのは、2018年10月に韓国の大法院(最高裁判所)が日本企業に被害者への損害賠償を命じる判決を出した「徴用工問題」でしょう。
 この問題について、日本は「日韓請求権協定」で解決済みだとして、「それに反する主張をする韓国は国際法違反だ」とまで言っていますが、同協定が元徴用工個人の請求権までを否定したものではないということは、すでに多くの人が指摘しています。そして実際、日本政府自身も、中国人被害者に対しては日本企業が補償金を支払って和解することを黙認してきたのです。中国と本格的に対立してしまったら日本経済が大打撃を受けるけれど、対韓国ならそこまでにはならない、という読みがあったのでしょう。

──政府が意図的に「嫌韓」を煽る……。その目的はどこにあるのでしょう。

 私は、背景にやはり9条改憲への狙いがあると考えています。排外主義を煽ることで、「韓国は信用できない国だ」「あんな国に舐められるな」となって、平和主義的な雰囲気が吹っ飛び、軍事力の強化などを進めやすくなる。事実、近年これだけ軍事費が増大しているのに、それに対する批判の声もなかなか強まらないですよね。この流れのまま、一気に9条改憲を進めたい、そのために「嫌韓」が利用されているのではないかと思います。
 ただ、それとは別の視点から見て、私は今の日韓の対立の根幹にあるのは、古い国際法理解と新しい国際法理解の対立ではないか、とも考えています。

──どういうことですか。

 かつての国際法理解においては、もっとも重視されるのは「国権」でした。国権、あるいは国家のためには、個人の人権が犠牲になることもやむを得ないという考え方です。これはまさに、徴用工の問題に関して日本政府が繰り返している「日韓請求権協定で解決済み」という発想ですね。国と国とが話し合って決めれば、個人が補償を求める権利も否定できる、というわけです。
 しかし冷戦終了後の1990年代以降、国連人権理事会は「国権よりも人権を重視する」という方向性を強く打ち出し、それが世界的な潮流にもなってきました。「慰安婦」の問題について「被害者の人権の回復」が言われるようになったのも、そうした背景があってのことです。そして韓国の裁判所も、その流れを踏襲してきた結果として、徴用工問題で日本企業に損害賠償を命ずるという判決を出したわけです。
 そもそも、韓国という国自体、かつての軍事独裁政権下で「国権によって人権が蹂躙される」状況を経験しています。それを長い闘いの末に覆したのが民主化勢力であり、現在の文在寅政権もその流れをくんでいるわけですから、「国権よりも人権」の考え方に立つのは当然のことです。
 それに対して日本政府──あるいは、日本社会そのものと言うべきかもしれませんが──は、いまだにかつての「国権重視」の考え方から抜け出せずにいる。その延長線上に、福島第一原発事故における東電の元幹部らの責任を問うた裁判で無罪判決が出るなど、「トップは裁かれない」現状があるのだと思います。

──国や大企業による明白な人権侵害があっても、誰もその責任を取らない。そして人権は回復されないまま……ということですね。

 政府はもちろんマスメディアも、日本社会の一部も、そうした「人権よりも国権」を当然のことと考えていて、国際社会の潮流である「国権よりも人権」という考え方に強く反発する。それが、日韓対立の基本的な構造ではないかと思います。

戦争責任について、学ぶ機会がなくなっている

──「表現の不自由展・その後」では、松井市長や河村市長の〈「慰安婦」問題はでっち上げ〉といった発言に対して少なくない賛同の声がネット上で上がるなど、歴史修正主義の広がりも浮き彫りになりました。歴史教育の重要性を感じますが、かつて中学校の歴史教科書にあった「慰安婦」についての記述も、現在ではほとんど消えてしまっていると聞きます。

 現状では、「慰安婦」についての記述は学校教科書には一切ありません。それだけではなく、少なくとも歴史・社会関係に関しては、教科書の内容は確実に悪くなっていると私は考えています。特にひどいのは、領土問題に関しての記述です。2019年春の小学校教科書検定では、竹島尖閣諸島北方領土を「日本固有の領土」と表記するように、という検定意見が付けられました。

──尖閣諸島についての「領土をめぐる問題はない」という表記を、「領土問題はない」に修正することを求められた出版社もありました。

 あれは、戦後日本の社会科教育の根本的な転換だったと思います。これまでは、研究に基づいた成果を子どもの発達段階に応じて伝えていくというのが教科書のあり方だった。もちろん、政府が自分たちに都合の悪い記述に検定意見を付けるということはこれまでにもありましたが、その際も「こんな説もあって見解が分かれているから教科書に載せるべきではない」というふうに、何らかの学説を理由付けに持ち出してきてはいたわけです。
 しかし、領土問題に関してはそれすらなく、ただ「政府の公式見解を書け」ということ。学問的におかしかったとしても、政府の公式見解だといえば教科書に載せていいということになってしまいます。
 2006年に教育基本法改正があり、その内容に沿って学習指導要領が改訂されたことで、実際にさまざまな点が変わってきていることを強く感じます。

──その中で、「慰安婦」問題をはじめとする戦争責任について、子どもたちが学校で学ぶ機会はほとんどなくなってしまった……。

 少なくとも教科書では学べないし、仮に自主的に教えようとする教員がいたとしても、それは非常に困難だと思います。というのは、教員は授業を行う前に、指導案を校長や副校長など上司に提出して、チェックしてもらわなくてはならないんですね。よほどうまくやらないと、その段階でつぶされてしまうでしょう。
 それに、自主的にそんなことをやろうとする教員も、そもそも非常に少数です。戦争責任の問題に限らず、社会的なことに対して問題意識を持っている教員自体、とても少なくなっていると思います。

──よく言われるように、部活動の指導や報告書づくりなどで「忙しすぎる」からでしょうか。

 それもあります。あと、以前なら多くの教員が、民間の教育研究団体が主催する勉強会などにしばしば参加していて、それがある程度仕事の一環として認められていた。夏休みになれば泊まりがけの合宿なども行われ、教員がさまざまな問題意識を身に付けていく機会になっていたのです。
 ところが今は、教育委員会などの主催する公の研修以外は、仕事として認められない。教員が自主的に参加したければ、有休を取って行くほかありません。結果として、教員が自主的に学ぶ機会が非常に減っているのです。

──そうした状況下で、さらに歴史修正主義が広がっていくのでは、そうなったら韓国など近隣諸国との関係も……と、不安も広がります。

 ただ、これだけ韓国との関係が悪くなってきた今、「このままじゃまずい」という声は確実に出てきていますから、それをどのくらい大きくしていけるかですね。
 また、今はK−POPなどを通じて韓国に親しんでいる若者たちもたくさんいます。彼らは、戦争責任といった観点はまったく持っていない場合も多いけれど、初めは文化を通じての交流だったとしても、韓国や韓国の人たちを深く知り、付き合っていく中では、過去の植民地支配の問題にも必ずぶつかることになるはずです。
 そのときに、彼らが冷静に考えるための「手がかり」になるような本を書くのが、私たち研究者の仕事だと考えています。今すぐには読んでもらえなかったとしても、「あれ、これは本当かな」と疑問に思ったときに手に取って、思考するための材料にしてもらえるようなもの。そういう本をきっちりと残していくことが、研究者の責任だと思うのです。

 

林博史さんに聞いた(その2):現代の性暴力をなくし、よりよい未来をつくるために。「慰安婦」問題と向き合うべき理由

 

 

なぜ「慰安婦」問題は「炎上」するのか

──「慰安婦」問題の特徴として、他の戦争責任の問題と比較しても非常に感情的な反応が目立つということがあると思います。ネット上でも非常に「炎上」しやすいテーマになっていますし、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」内の企画展「表現の不自由展・その後」にしても、「慰安婦」をモチーフにした「少女像」の存在があったからこそ、あそこまでの反応があったのではないかという気がするのですが……。

 そういう面はあると思います。これは推測に過ぎませんが、やっぱり男性の中に、「性」の問題には触れられたくないという感覚があるのではないでしょうか。
 特に日本社会においては、女性は男性を楽しませるための存在だという意識が非常に強いでしょう。テレビ番組を見ていても、女性アナウンサーだけが「女子アナ」と呼ばれたり、ほとんど素人のような若い女性をアシスタント役で出して、男性の知識人から「ものを教わる」という構図の番組がいまだに目立っていたり……。
 つまりは、女性は男の欲求を満たすためにいろんなことをやる存在なんだという感覚が根強く存在している。そこを批判されたくない、ましてや「慰安婦」については、命をかけて闘っている兵隊さんを癒やす存在なんだから、「けしからん」なんてとんでもない……そういう感じ方なのかもしれません。

──そう意識しているかは別として、「感情的に反応する」背景に、そういう感覚があるのかもしれない、ということですね。

 ただ一方で、戦争犯罪の中でも性暴力の問題についてはなかなか加害者側が認めようとしない、というのは、日本だけの話ではないというのも事実です。

──外国でもそうなんですか。

 ほとんどの国がそうですね。韓国では、日本軍「慰安婦」問題に取り組む団体が、ベトナム戦争における韓国軍の性暴力についても調査を進めていますが、韓国社会全体で見るとなかなか受け入れられない。
 また、しばしば「戦争責任にしっかりと向き合っている」と評価されるドイツでさえ、第二次世界大戦中に国防軍が東ヨーロッパなどで設けていた慰安所──日本軍のように外から女性を連れてくるのでなく、現地の売春宿を軍が管理するという形だったようですが──については、いまだ否定する人も多く、議論になっています。
 また、ユダヤ強制収容所内にも慰安所のような場所があって、収容者の女性が働かされていました。利用するのも収容者の男性で、よく仕事をしたなどの「ご褒美」として使われていたようです。こちらはかなり研究が進んでいて、収容所跡の展示の中でも解説されているのですが、ドイツという国の戦争犯罪というよりも「ナチスによる犯罪」という感覚だからかもしれません。

──今のドイツ国家とは切り離された存在だから認めやすいということですね。

 あと、フランス軍も19世紀の初めから1960年代初めまでという長期間にわたって、各地の売春宿を軍の管理下に置くという形で「慰安所」を設けていたことが分かっていますが、これもまだほとんど研究が進んでいません。

日本は戦争責任に関する市民運動の「先進国」だった?

 例外的なのはイギリスですね。イギリス軍も19世紀に、植民地にしていたインドで「慰安所」を作っていたことがあるのですが、イギリス本国の女性たちが抗議したことによって廃止されるんです。

──女性たちの抗議によって、ですか?

 そうです。1870年にできた女性運動団体が、インドまで調査員を送り込んで調査して、議会で厳しく追及するんですよ。そのときの資料がきちんとアーカイブに保存されているのですが、「国が管理する売春制度──日本でいう公娼制度ですね──のもとに置かれている女性たちはスレイブ(奴隷)だ」と明言して批判を展開しています。さらに「人権」という言葉を使って、これは明らかに女性への人権侵害だから、国家がそういうことをやるべきではないと述べているんです。日本では、それから百数十年経った今も、「慰安婦は公娼だったから性奴隷ではない」なんていう言説が流れているわけですが。

──「慰安婦」の問題が韓国との外交問題としてのみ扱われることも多く、これは普遍的な人権問題であるという認識すらいまだ共有しきれていないように思います。

 そこは大きな差ですね。実は、日本の近代公娼制はイギリスの制度に学んで導入されたといわれているんですが、そこは学んだのに、廃止については学ばなかった。それどころか、日本はその後他国よりもはるかに大規模な「慰安所」を各地に設けていったわけで、大きな誤ちだったと思います。
 ただ、日本のいい面も言っておくと、先に述べたように多くの国々が自国が加害者となった戦時性暴力の問題をほとんど追及していない中で、これだけ市民による「慰安婦」問題への取り組みがあるというのは、すごいことだと思います。ある意味では、日本は戦時性暴力問題における「先進国」だともいえるんですよ。
 そもそも、戦争責任全般に関しても、ドイツの取り組みが進んでいるといわれるけれど、ドイツの場合は政府主導でしょう。それに対して、日本は市民運動として、自国の加害責任を追及する動きがきちんとある。これはきわめて珍しい、先進的なことだと思います。

──なんだか、ちょっと意外な感じもしますが……。

 ただ、その理由を考えると、結局は「韓国やインドネシアなどで、被害者である元『慰安婦』女性たちが声をあげたから」ということに行き着くのかもしれません。

──フランスやドイツのケースは、被害者の女性は名乗り出ていないのですか。

 ほとんどありません。旧日本軍の「慰安所」ほど短期間に、大量の女性たちが一気に集められて働かされたわけではないので、被害者がまとまって声をあげにくいということが一つ。それから、フランスの場合だと被害者はアルジェリアなどアフリカ諸国の女性が多く、社会の空気として、性被害に遭った女性が名乗り出るのにハードルが高いということも考えられます。
 ドイツの場合も、被害者が多いと思われる東欧は、戦後冷戦下で言論の自由がない状況に置かれていました。また、ドイツ軍兵士の「相手をしていた」ということで、迫害を受けるケースもあったのではないでしょうか。
 韓国やインドネシアでも、かつては被害者女性たちは差別などを恐れて沈黙していました。それが民主化を迎えて、ようやく声をあげられたわけです。社会全体が民主化して、自分たちの体験を性暴力として理解してくれる人がある程度いるという状況にならないと、なかなか被害者が名乗り出ることは難しいんです。
 日本の場合は、被害者の数が非常に多かったことと、韓国などの民主化があって被害者が名乗り出たことで、結果としてこの問題と向き合わざるを得なくなって、市民運動が活発になってきた。一方で、社会にはびこる性差別や性暴力のことを考えても、人権に対する社会全体の感覚はとても進んでいるとはいえないのが現状だと思います。

よりよい世界をつくるために、過去の過ちから学んでいく

──今、他国の「慰安所」の事例についてもお話しいただきましたが、そうした事実を取り上げて「他の国もやっていたのに日本だけが責められるのはおかしい、自虐的だ」と主張する声も少なくありません。それに対してはどうお考えですか。

 自分や自分が属している集団が何か悪いことをしたときに、その事実を認めて謝って、「二度と同じことを起こさない」と誓うことが、なぜ「自虐的」なのでしょうか。むしろ、人として当然のことでしょう。
 人が生きていく上では、失敗することもあるし、場合によっては罪を犯してしまうこともある。でも、それを隠したり否定したり、開き直ったりしていては何も変わらない。間違っていたことは間違っていたと認め、反省することで、自分自身が進歩していくのではないでしょうか。ましてや、戦争犯罪は今の世代にとっては自分の手で犯した罪ではないからこそ、親世代、祖父母世代の経験から学び、同じことが起こらないような社会の仕組みや組織をつくっていくことが重要だと思うのです。
 性暴力がまた起こりかねないような社会のままであったら、自分たちだって安心して生きていけない。だったら、なぜそんな社会になってしまったのか原因を突き止めて、二度と起こらないようにしよう、そうすれば自分たちももっと安心して、もっといい社会で生きていける──。そう考えるべきではないでしょうか。

──単なる「過去の過ちを謝罪する」という話ではなく、今後私たちが生きていく世界をよくするために、過去から学んで行動していこう、ということなんですね。

 2007年にアメリカ下院が「元慰安婦の女性に対する日本政府の公式な謝罪を求める」という内容の簡易決議を出しました。一部では「日本非難決議」などともいわれましたが、この決議を主導した人たちの議会での発言を読んでみると、「戦後、平和国家に生まれ変わった日本は、慰安婦の問題にもきちんと取り組んでくれるだろう。そうして日本は、現代の性暴力をなくしていこうという世界的な取り組みにおいても、リーダーシップを取ってくれるだろう」ということを言っているんです。

──非難というよりも、むしろ「期待」ですね。

 そうなんです。決して「日本が悪い、だから謝れ」ではない。日本は平和国家として生まれ変わったんだから、性暴力根絶においてもリーダーシップを取ってくれるはずだという期待。そして、それが実現すれば、日本という国への評価もさらに高まるだろう、という未来図が描かれているんです。
 事実を認めて反省して償うことは、決して自分を貶めることではない。むしろそれによって、自分自身への評価を高めることにもなる。そして、「慰安婦」問題ときちんと向き合い、同じようなことが世界のどこででも繰り返されないようにするための行動をしていくことは、過去のみならず現在の性暴力で苦しんでいる人を励ますことにもなるはずです。
 もう一つ付け加えるなら、「慰安婦」のことを研究している人は圧倒的に女性が多いけれど、私はこの問題は、男性こそが取り組むべき問題だと思っています。性暴力や性差別はよく「女性問題」という言い方がされるけれど、本来は暴力をふるい、差別する側──多くの場合は男性──の問題であるはずです。「慰安婦」の問題についても、加害者の立場にあった日本人、そして男性こそが、むしろ率先して考えなければならない。その思いが、私がこの問題に取り組み続けてきた理由の一つでもあるのかもしれません。

(構成/仲藤里美、写真/マガジン9編集部)

 

謹賀新年、より原理的に、より超越的に、「世界」をわれらがものに!

サイドバーより『奔』編集室ものぞいてください。

明けましておめでとうございます。

本年もお引き立てのほど、
宜しくお願い申し上げます。

さしたる実績もないということを実績として、
それゆえに何にでも浸透して、
権威権力を突き崩す自由を貫きたいと思っています。

肉を切らせて骨を断つ、
明鏡止水の剣の極意で臨みます。

みなさまに学びつつ…。

(フェイスブックより転載)

「高校生運動50周年集会」が企画進行、再度成熟した知性をもって現在に斬りこめ!

先日、世田谷区(人口約100万人)は、区立全中学校の校則を撤廃することを発表した。全校長らのアンケートによると大多数が、現行の理不尽な校則は教育上好ましくないという結論から発生しているとのこと。
 
さすが、中学時代から、内申書撤回闘争裁判を戦い抜き、進学を公権力によって妨害されたにもかかわらず、大学を卒業、衆議院議員を経て世田谷区長となった保坂展人さんならではの善政である。
善き人には善き校長が育つ、こんな永年生徒たちから不満が積もり、時代遅れの自主性を抑圧する校則なのだが、なかなか保守の牙城では好転しない。
今年度の調査では、高校は更に不合理な校則と教師の抑圧指導が増加しているとのこと。
安倍政権の暗く抑圧的な統治に飼いならされていく国民や行政のなかにあって、久々に明るいニュースであった。
 
保坂区長とともに、同時代に反戦平和、自由と自立、大人たちの戦前的倫理の破壊を掲げて戦った、「全高連」などの嘗てのメンバーが50周年の集いを催すとのこと。
 
小生の田舎には、そんな洒落た組織も、他校と連帯などとんでもない校則破りであったから、孤独に挫折していくのみであった。
ベトナム反戦のアピールと、歴史研究部での「ベトナム反戦」雑誌の発行が、当時のNHK教育テレビの眼にとまり、密着取材申し込みがあった。
田舎の高校の一雑誌が、どういう経緯で渡ったかは分からなかったが、なんでも高校生の政治意識とクオリティが高かったという評価だと教師からは聞かされた。
当然県教委は、当時は高校生の政治活動はもちろん、他校との交流は許可制、ビートルズの公演に参加しただけで停学処分を喰らったような時代だ。
教師から取材は一方的に断ったという通知が口頭で伝えられた。
それも、親しいコミュニケーションのある教員組合の教師を使ってもたらされた。教員組合の教師も、異議を申し立て、生徒を庇う力はなかったのだろう。まして万一全国ネットで放映されていたら県内は混乱い陥り、校長は間違いなく処分されただろう。
「もし」はないが、「もし」全国の高校生が連帯して闘争をしている情報が入手できたなら、間違いなくこれは大きな闘争課題となったはずだ。
今のようにスマホもネット環境もない時代、孤独に挫折した中高校生は多かったはずだ。
それにしても、今は18歳から政治参加が合法化されている、この落差を自民党や保守言論人、さらにいわゆる暴力学生と非難した代々木系進歩的知識人やマスコミは合理的な説明を一度でもしたことがあるのか。
 
以下に知人の大谷行雄氏がよびかけて、プロジェクトが動き出した。
これは、疵をなめ合うために非ず、現在への鋭い批評性と行動のラジカルを実践するための確認儀式なのである。
 
【1960年代後半から70年代前半にかけて安保闘争反戦闘争を闘った全国の元高校生中学生活動家同志およびシンパの皆様へ「高校生運動50周年集会」のお知らせ】
 
かねてから計画されてきた首記の件で、昨日、実行準備委員会が開かれ、概ね下記のように決定されました。
 
当該当事者で参加希望の方、あるいはそのような方をご存じで紹介できる方、是非下記連絡先または本ページのメッセージでご一報ください。
 

《呼びかけ文》
 
今から半世紀前、日本の高校生たちは自由を求めて起ち上がった。「高校紛(闘)争」と呼ばれたこの闘いは、制服の自由化や管理教育の廃止を求め、時に校舎をバリケードで封鎖したり、授業ボイコット、卒業式中止など多種多様、同時多発的な高校生の叛乱だった。
 
ネットも携帯電話もない時代、全国各地の高校生たちは他校の生徒と必死でつながりを求め、連帯して実力闘争に決起した。ベトナム反戦や大学闘争の影響を受けながらも、高校生の闘いは学生運動のコピーではなかった。入学した時から受験の鎖につながれ、テストに追われる日々。良い大学に入り、良い会社に就職、というレールに敷かれた受験体制に、否を突き付ける闘いであり、家族や学校の重圧からの解放を求める個々人の生き方を問う闘いでもあった。
 
半世紀経った今、高校は変わったであろうか。自由にものが言える学校生活を送っているだろうか。
 
世界を見れば、香港の高校生は銃弾に撃たれながらも自由を求め学校内外で闘い、スウェーデンの高校生、グレタ・トゥーンベリさんは一人で「気候のための学校ストライキ」の看板を掲げて座り込み環境破壊を進める世界の大人たちに鋭い刃を向けている。
 
高校生が世界を変える。いびつな大人社会へ否を突き付け、研ぎ澄まされた感性と熱情を持ち、恐れを知らず起ち上がった高校生運動の足跡を語り継ぎ、未来への糧に繋がるよう、「高校生運動50周年集会」を企画した。かつての高校生は、半世紀の時間をどう生きてきたのか。様々な人生をくぐりながらも高校生としての決意を原点に生き抜いてきた仲間も少なくない。学生運動とは似て非なる高校生運動、その実相に迫り、現在、未来の高校生に何を伝えられるか探る集いである。
 
これは、2012年に小林哲夫さんの著作「高校紛争」(中公新書)の出版記念会に集まった仲間の有志が50年という節目に再結集しようと呼びかけたものです。かつての高校生、現役の高校生問わず、多くのみなさんの参集を呼びかけます。
 
《呼びかけ人・実行準備委員会》敬称略・順不同
 
大谷行雄(教育大学附属駒場高67年入学) 加藤賢明(都立九段高66年入学) 菊池晴知(都立九段高66年入学) 岡村俊明(都立青山高66年入学) 川嶋康裕(府立大手前高66年入学) 千坂恭二(大阪・上宮高66年入学) 前田年昭(灘高69年入学) 安田宏(都立上野高67年入学) 池田実(都立北高68年入学) 繭山惣吉(麻布高69年入学) 森田暁(開成高68年入学) 高橋順一(武蔵高66年入学) 福井紳一(慶應高72年入学) 金廣志(都立北園高67年入学) 小林哲夫(「高校紛争」1969-1970「闘争」の歴史と証言著者)
 
《期日・場所》
 
2020年2月11日(火・建国記念日祝日)
 
場所は、東京御茶ノ水の連合会館を予定しているが、変更の可能性有り。
 
【高校闘争、元高校生活動家の集会を2020年2月11日に開催する理由ー高校闘争における2・11建国記念日反対闘争の位置づけ】
 
かつて、建国記念日反対闘争というものがあり、それは建国記念日の制定が戦前の天皇制の象徴である「紀元節」の復活であり、それを通じて国民に日本帝国主義の海外侵略の精神的基盤となる愛国心を育成しようという意図に反対するものであった。
 
この建国記念日反対闘争は、建国記念日が創設された1967年2月11日には、大学生の全学連でも全国的規模で闘われたが、その後68年69年と経るに従って、全学連の闘争目標が多様化、過激化したために、かえって建国記念日反対闘争は凋落していった。
 
そのようななかで、高校闘争においては、建国記念日が創設された67年2月11日の反対闘争以後、毎年継続して大規模に闘われてきており、特に69年2月11日の反対闘争では、大学全学連や労働者は小規模の集会やデモがあっただけなのに反して、例えば、東京における高校生の闘いは、初めて高校生独自に反日共系諸党派の高校生組織が連帯して「二・一一紀元節復活反対高校生集会」を組織し、都内各校から約700人の高校生を集めて千代田区清水谷公園で戦闘的な集会デモを貫徹した、また都立青山、竹早、私立麻布、武蔵などの高校では同盟登校運動も行われた、それこそ記念すべき日なのである。
 
このように建国記念日の反対闘争は、かつての高校闘争の主要な闘争の一つであり、現在に至って、新天皇即位で浮かれている世間に対して天皇制に反対しこのような闘いをした高校生がいたということを知らしめることは非常に有意義なことと考える。
 
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