■辺野古移転問題とわが嫌米基地の原点

普天間移設「混迷の一因は利権」と守屋元次官

(読売新聞 - 12月09日 03:09)

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1044582&media_id=20

まあ経過を仔細にみればみるほど、日本型利権の構図が浮かんでくる。

決定にかかわり、今被告の立場にあるものが暴露するわけだからより信憑性がある。恐らく、米国CIAルート人脈へもなにかの利権が張り巡らされているのだろう。

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ところで、私事で恐縮であるが何故これほど私が嫌米的態度をとるか、ということである。


これは自分でもしかとは解らないのだが、恐らく子供の頃の体験が影響しているのではないか、と思っている。


わたしが小学校生の1、2年の頃だったように記憶している。

わたしの通学路は、春先は一面麦畑、夏はキャベツ畑、ところどころが稲田で、秋には黄金色に染まる農道であった。


時々、帰り道だけ友人たちに誘われて国道一号線を通って帰ることがあった。当時の国道一号線は、まだ砂利道で、乾燥すればもうもうと砂煙をあげ、雨が降ればいたるところに水溜りができるような悪路であった。


また時々新しい砂利を撒いて整備するのだが、その後などは車の弾く小石で沿道の民家を直撃してガラス戸を割っては住民を泣かせたものである。


しばしばこの一号線を友達でじゃれあいながら帰る途中、米軍の部隊移動に出くわし、ただならぬ雰囲気に子供心にも緊張が走り、そういうときは道端に息を潜めて身を寄せているのが常であった。


あるとき、延々と戦車や装甲車輌が連なった最後尾に突如キャデラックのオープンカーに乗った米軍属の家族が数台ノロノロと付いていた。


美しい女性と子供たちが大声でなにやら話しながら大笑いしている。

何かこちらに向かって叫んでいる。あまりに楽しそうなので我々もつい手を振って言葉にならない何事かを叫んで応える。


すると手招きをするので、われわれは一斉にキャデラックのあとを追って走り出す。


すると何かを投げてきた。


本能的に何か食べ物だと直感する。腹が減って減ってしょうがない時代だったから、これはもう本能的直感と言うしかない。


われわれは群がって我先に砂利道に埃にまみれた何かを拾う。

砂利だけ払ってとりだすと、ガムとチョコレートであった。友達と同時に拾ったため、取り合って半分に千切れたりしている。


われわれは食べ物に、それも高級な普段食べたこともないガムやチョコレートを得たことで狂喜している。


ふとキャデラックを見ると、アメリカの子供たちがわれわれの群がる浅ましい姿を、キャッキャと蔑むように大笑いしながら指差しているではないか。


そのときの手の中のグニャッとしたチョコレートの感触とともに、何かとてつもない破廉恥な罪を犯したようないたたまれない気持ちになった。


そして子供心に、やりようのない屈辱感と怒りがこみあげてきて、呆然と見送った。


家に帰り、母親に恐る恐るこの「事件」を話すと、母は暫く黙ったままであったが、ポツリと「人様にやたらモノを貰ったりしてはいけません。そんな人に食べ物を投げるような人たちは礼儀をしらないひとたちです。」といって二度と拾うなと言った。


その後二、三度また同じシーンに出くわしたが、わたしは腹が減っていたが絶対拾わなかった。

群がる友達を横目にみながら、止める勇気もなく、呆然と見ているだけだった。


しかし、成長するにつれて、このときのことを何度も思い出しては嫌な暗い気分になって落ち込んだ。


サンフランシスコ講和条約と安保条約が締結してから3年、自衛隊が発足し、民主党が代表鳩山一郎、幹事長岸信介、で発足し、黒澤明の『七人の侍』が大ヒットした年である。


すなわち、冷戦対立が激化し、戦犯や公職追放者が何もなかったように復帰して翌年55年体制が開始される。


しかし、成長するうちにわたしはアメリカの文化に惹かれて、ロックンロールやブレスリーに目覚め、とりわけ大学に入ってからはジャズに浸った。喫茶店に入ればコカコーラだった。またジーンズの愛好者でロートルタイプになってからも恥じることなく愛用している。


だから後に知った江藤淳が、アメリカに抱いた複雑な心境をとてもよく解る。

江藤はフルブライト留学生をすごし、結婚してから夫婦で長らく住み着くのだが、あるとき知人の家に招待された。相手が進駐軍で日本から除隊の折に日本土産を持ち帰ったのだと自慢げに見せられた中に、クローゼットの戸ってにされていた刀の鍔を発見する。ひと目で日本ならば国宝級の工芸品だろうと思われる一品であった。


それが無造作に戸ってである。

江藤は愕然とする。

このときから、江藤はアメリカに愛着を感じつつ、アメリカによって侵食されていく日本を哀しくみつめ、日本人のアイデンティティをテーマに保守思想家として歩み始めるのである。


思うに、おそらく沖縄の人たちは、私と同様屈辱と享受のアンビバレンツの中にいるだろう。

私(たち)と違うのは、加えて事故と犯罪の不安である。それがずっと60年の長きに渡って続いているのである。



同胞として、どのような理由によっても基地を沖縄に集中させておくことはできないと思う。


もし、それを肯定した上での学問や論説であれば、それは全く日本人の堕落であり知の退落である。


それは思想というに価しないことは確かではないか。