自分の脚で歩けるー日常が愛おしい!

民生委員のご婦人が、小生が歩いている姿を見たと、感動したと手紙を投げ込んでくれた。
一番重症の這っている姿をしっているため、よほど闘病に努力したのだろうと、感動したと。
ありがたい、支援センターから介護認定取得までレールを敷いてくれた、また家族の複雑な関係を一言も詮索せずに黙って言う通りにフォローしてくれた。
二度と立って歩くことはできぬだろうと、関係者はみな思っていたはずだ。
本人が実は今の二足歩行が一番信じられないのだから無理もない。
多くの人が助けてくれた、そういう意味では、行政も赤の他人も捨てたものではない。
感謝するばかりである。
 
歩けるということは、本当に素晴らしい。
最近、見つけた近くのベーカリーのカフェは、コーヒーが220円で飲み放題だ。
食パンは、北海道産小麦使用で5枚切が350円、チラシのクーポン券で100円引きになる。
食品については途端にナショナリストになる小生は、クーポン券を握りしめてそのパンを3日に一度買うのである。
こんなささいな幸せも、自分の脚で歩くから出会えたのだ。
この店を辞する時は、いつも振り返って心のなかで「ありがとう」と呟いている自分がいる。
今は、こういう些細な日常が愛おしい。

山本太郎は語る、衆院選勝利後の北海道集会

 

小林著「平成令和学生たちの社会運動」討論と警職法改訂へのシンポジュウムーzoom会議にて。

昨日(土曜日)は、
哲学ローカルトレイン研2時間、
警職法改訂へ「安永健太さんの悲劇を繰り返さないための提言」4時間半、
の二本をこなした。
ベッドで寝たり起きたりなので、何とか乗り切りました。
長くPCを打てないので簡単にメモしておきます。
①哲学
林哲夫「平成令和学生たちの社会運動」読書討論。
本自体は、従来の学生運動ものの実績から手慣れた網羅的な処理は全員評価した。
しかし、その網羅の仕方が粗雑すぎないか、すなわち著書には著者のコンセプトや思想性が貫通していなければならず、それにしては対象への掘り下げが甘くかつ軽薄であるのはなぜだ。
傾向としては、小熊英二並の、意匠を変えて、「新しい運動」をセールスポイントにしてしまっているのではないか、という厳しい意見も出た。
とくに全共闘との対比を随所にはめ込んでいるが、小熊並の俗説や捏造を平気でさも全体を表象するものとして記述するのは、軽い書物だけに学生運動に誤解や予断を持ち込み、運動の連続性ではなく切断を意図的になしているのではないか。
連続性の主軸が、暴力性の問題に限定されているきらいがあり、全共闘も党派間ゲバルトもごったにしてしまっている点で、問題だろう。
小林は、平成令和の学生が組織的ではなく、個々人が立ち上がって社会的矛盾にコミットしている点を、大きな違いで「美質」であるように描いているが、それは全共闘運動が党派を嫌い個々に共闘会議を結成した「美質」の最も継承している点ではないのか。
まあ長くなるので、この辺でやめるが、これは大方当時を知る私らの世代の意見でした。
若い人は学生運動自体をしらないのが多いから、とっかかりに手にするには手ごろでいいというのが、学校関係者でした。
私は、歴史修正主義は右からだけではない、左からの文化左翼によってもなされたのが平成だと主張してきた。
平易でとっつきやすいほんだとしても、間違った記述は許されない。
例えば、シールズの発言に「僕らが民主主義をつくればいい、なぜ、戦後民主主義の再生産を考えないのか。民主主義を否定するよりもリセットさせるべきでしょう」と、全共闘戦後民主主義が欺瞞的であったと定義していた、と小林は前振りしつつ、この記述をかぶせている。
たしか奥田某の発言だったと記憶しているが、小熊らが流布したデマをうのみにしている学生がいたら、その発言は記載してもいいが、せめて発言内容や事実誤認があった場合は、註を付けるなりして間違いを指摘しておく配慮が欲しかった。
繰り返し主張しておくが、全共闘戦後民主主義が不徹底である、よって実質的な民主主義を求めていく、というのが正しいスローガンである。
でなければ、さまざまな分野で、まがりなりに法的改訂や整備が進むわけがないだろう。
それから、過激派と内ゲバ暴力が同一に語られているように思うが、民青同が東大闘争で、バリケード解除のために数百人のヘルメット部隊を用意し夜陰に紛れて投入したことを小林は知っているのだろうか。
民青同こそが、ゲバルトの本家であり、「過激派」であったことを付記しておく。
警察官職務執行法の「精神錯乱者」は国際的に恥ずかしくないのか?
ー安永健太さんの悲劇を繰りかえさないための提言ー
いわゆる「健太の会」の活動の一環です。
知らない人に説明しておくと、
14年前、安永健太君が、佐賀県警トロールのパトカーに追いかけられ、知的障碍者のため大きな音にはパニクってしまう特徴がありましたので、逃げた結果、信号待ちのバイクに追突し、警官五六人に取り押さえられ、施錠されたまま約10分ほど路上で圧殺されました。
ご記憶がありますか、そうです、米国のジョージフロイド事件と全く同類の事件が、日本ではすでに10年以上も前に発生していたのです。
日本人のおかしなところは、自国民の権利問題には全く頓着せず、外国人の権利問題はマスコミ上げて、左派モドキの学生がファショナブルに「ブラックイズマター」といってはしゃぐことです。
とくに左右を問わず、優性思想をソフトに維持し続ける日本人は、障碍者精神病者の権利には全く取り上げず権利問題としては退けてしまうところです。
遺族は訴えましたが、最高裁でも、警察官の行為は職務執行で合法であったと断定され、敗訴しました。
その根拠は警察官職務執行法にある「精神錯乱者」とみなしたものは拘束を合法化しているからです。
このように規定は、国連人権委員会に加盟している国にはどこにもありません。
この言葉自体が極めて当事者からすれば侮蔑的なもので、健太君は温厚でゆっくり喋ればだれとでもコミュニケーションが取れていました。みんなにも愛されていたのです。
「警官がこいつは精神錯乱者」だときめつければ、全て施錠して圧死させるほど抑え込んでも合法化されるのです。
病状には個性があり、それを警官は熟知して、あくまで「保護」することが世界標準なのに、日本の警官は裁判で初めて障碍者と知った、また接した、それまでどういう態度をとるかなど全く知らなかったと陳述しています。
そういう未熟練の警官に職務ができるように法律は「精神錯乱者」という言葉を規定して、殺害もありうることを保障しているのです。
長くなりますが、14年たってやっと警職法改訂への全国関係者の大同団結が進み、そのオンラインシンポジュウムにこぎつけました。
医学的に考えるのではなく、社会モデルとして考える。
社会の側が障碍者精神病者を問答無用に「精神錯乱者」として決めつけるのではなく、障害者の自己決定権を社会が支える、という視点の転換をしていく必要があるように思います。
JA.WIKIPEDIA.ORG
知的障害者身柄確保死亡事件 - Wikipedia

上昌弘著「菅退陣」に追い込んだ厚労省「医系技官」(忘備録)

忘備録です。

「菅退陣」に追い込んだ厚労省「医系技官」/医療ガバナンス研究所 上昌広

コロナ対策の迷走は、日本社会の劣化を白日の下に晒した。今や指導層のメンタリティは、国家権力に阿る「奴隷」だ。

2021年10月号 DEEP [物言えば唇寒し]
by 上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)

「医系技官の牙城」厚生労働省(東京・霞が関

9月3日、菅義偉首相が退陣を表明した。マスコミは「コロナ禍迷走一年」(読売新聞9月4日)と対応を批判し、その理由として「専門家の懸念や閣僚の進言を無視」し「トップダウンを多用」(いずれも朝日新聞、同日)したことを挙げる。

筆者は、このような論調に違和感を覚える。厚労省でコロナ対応を仕切る医系技官や新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂氏などの専門家の対応を見れば、菅総理ならずとも不安になる。なぜ、総理は専門家の声に耳を傾けなかったのか――。この点を十分に論議しなければ、菅首相退陣の真相は見えてこない。

「日本人であることが嫌になった」

尾身茂理事長

私は、菅総理が専門家の声に耳を傾けなかったのは、彼らを信頼していなかったからだと考えている。9月5日のパラリンピック閉会式で映し出されたパリ市民はマスクなしで、大はしゃぎだった。

なぜ、感染者数が約2倍(人口比)、死者数が3.6倍のフランスで制限が緩和され、日本では「ロックダウンみたいなことを法制化してくださいというようなことさえ議論してもらう」(尾身氏、8月5日)」や「(ワクチン接種が進んでも)会食制限・マスク今後も」(朝日新聞9月7日)となるのだろう。

日本の専門家は疑問符だらけだ。最大の問題は科学を軽視することだ。例えば、コロナ流行当初から、PCR検査を抑制し続けている。9月2日現在の人口1千人当たりの検査数は1.0件。主要先進7カ国で最下位だ。トップの英国(12.3件)とは比べものにならない。コロナは感染しても無症状の人が多く、彼らが周囲にうつすのだから、検査数は増やすべきだ。日本だけが、なぜか例外だ。

昨年8月まで、医系技官のトップとして、コロナ対応を仕切った鈴木康裕前医務技監は、「陽性と結果が出たからといって、本当に感染しているかを意味しない」とし、その理由として「死骸が残っていて、それに反応する」(毎日新聞、昨年10月24日)」こともあると説明し、擬陽性の頻度を、医療業界誌のインタビューで1%と仮定している。

これは、いつの時代の議論だろうか。ゲノム医学の進歩は急速だ。1990年に始まったヒトゲノムプロジェクトは、ヒト一人のゲノムを読み切るのに13年を要したが、今や数時間だ。コストは約3千億円から数万円まで低下した。この間、PCR検査などのテクノロジーも急速に進歩した。適切に条件設定すれば、人為的エラー以外に偽陽性はまず生じない。

世界は、最新技術をコロナ対応に適用している。7月、南京でデルタ株の感染者が確認されると、中国政府は約1800万人の住民に対し、1カ月の間に3回PCR検査を実施し、約1200人の感染者を確認した。感染者や接触者を隔離し、7月22日には感染者はゼロとなった。これが最新の科学だ。

中国はゲノム研究の領域で世界をリードする存在だ。深圳に本社をおくBGIグループは、世界最大のゲノム解析集団だ。昨年1月中国がコロナゲノムを解読した際には、同社の科学者が参加しており、流行開始から半年で世界180カ国に3500万セットの検査キットを販売した。日本のような議論はない。

このような状況を知ると、筆者は司馬遼太郎を思い出す。晩年、司馬はノモンハン事件を題材にした小説の執筆を考えていたが、取材を続ければ続けるほど「日本人であることが嫌になった」と断念した。日露戦争の成功体験に酔いしれ、組織や兵器を近代化することなく、無惨な肉弾戦で大敗した。その敗北を隠蔽し、精神論を振りかざし、挙げ句の果てが敗戦だ。私にはコロナ専門家と被って見える。中途半端な知識をひけらかし、検査を抑制した。コロナが蔓延するや、若者の行動や飲食店を槍玉に挙げ、人流抑制を求め、ロックダウンまで言い出した。

JCHO東京新宿メディカルセンター

軍幹部とコロナ専門家に共通するのは無責任だ。例えば、尾身氏は元医系技官で、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)の理事長を7年間務めている。JCHOは社会保険病院や厚生年金病院の後継機関だ。社会保険庁の年金不祥事の際に、一旦は民営化が決まったが、最終的に独法となった。公衆衛生危機に対応することが、設置根拠法で義務付けられ、発足時には土地・建物は無償で供与され、854億円の政府拠出金まで提供されている。法人住民税などは免税だ。

では、JCHOは、どの程度の患者を受け入れているのだろう。尾身氏は、「最大限やっている」と説明してきたが、実態は異なる。JCHOは、都内に5つの病院を有し、総病床数は1532床だ。このうちコロナ病床は158床で、全体の10.3%だ。8月6日現在の受け入れは111人でコロナ病床稼働率は70%、総病床の7.2%に過ぎない。組織の設立主旨(公衆衛生危機対応)を考えれば、全病床をコロナ病床に転換してもおかしくない。そうすれば、都内の病床不足の問題は、あらかた解決する。

有価証券運用に余念がない「JCHO」

不甲斐ない田村憲久厚労相

Photo:Jiji Press

JCHOは本来、患者受け入れの中心的役割を果たすべき組織だ。ところが、尾身氏や厚労省は、最初からそのつもりはなかったようだ。5月11日、田村厚労大臣は、JCHOなど4つの組織が協力し、105人の看護師を医療逼迫地域に派遣すると発表した。コロナ患者の診療は手がかかる。JCHOが中心的役割を担うなら、医療従事者の派遣ではなく、自らの施設にコロナ病床を確保しなければならない。都内のJCHOの病院が、アルバイトでもいいから医師や看護師をかき集めているという話は、寡聞にして聞かない。

一方、補助金は受け取った。20年度の総額は324億円で、前年度から194億円増だ。コロナ名目235億円のうち、195億円は収益として計上されている。JCHOの現預金は688億円、前年度から有価証券を130億円買い増し、運用に余念がない。こうした振る舞いは、誰が見てもおかしい。

詰まるところ菅首相は、彼らの暴走を食い止められず、退陣に追い込まれた。なぜだろう。コロナ問題の本質は、まさにこの点にある。一国の総理大臣をしても、厚労省や専門家を制御できないのだ。

筆者は、民主主義の根幹である権力の相互チェックシステムの機能不全が原因と考えている。西側先進国は、立法、司法、行政の三権が分立し、さらにメディアやアカデミアが監視することで、権力の暴走を抑止することを、社会の基本構造にしている。なぜ、このシステムが、医系技官や尾身氏に対して機能しなかったのだろうか。それは、立法府はもとよりメディアとアカデミアの劣化が著しいからだ。これこそが、安倍・菅政権の弊害だ。

まずは立法府、つまり政治家だ。コロナ対策には、医学や公衆衛生に関する専門知識が必要だ。感染症法、検疫法を所管する厚労省の医系技官が中心的な役割を果たすことになる。問題は、彼らが間違えた時だ。彼らと対等に議論し、方向修正できる政治家は限られている。その代表は、09年の新型インフルエンザ流行時に厚労大臣を務めた舛添要一氏だ。東京大学助教授時代の教え子を中心に「チームB」を組織し、医系技官や専門家と議論させ、海外ワクチンの導入など軌道修正に成功した。

かつての自民党には、舛添氏に限らず、厚労行政に通暁した「族議員」が多数いた。今回のコロナ流行で、厚労省に異議を唱えたのも、そのような議員たちだ。その代表が、自民党行革本部長として、国の責務の明確化、指揮命令系統の一本化から、PCR検査の拡充や公的医療機関への重症・中等症患者の選択と集中を訴えた塩崎恭久・元厚労大臣だ。

今年1月の緊急事態宣言発令時には、国公立病院の対応を問題視し、自身のメルマガで「今でも法的に厚労大臣が有事の要求ができる国立国際医療研究センターが重症患者をたった一人しか受けていない状態を放置している事の方が問題だ」と批判した。国公立病院の患者受け入れ状況は公表されておらず、塩崎氏のメルマガに関係者は衝撃を受けた。これは、議会が政府をチェックした一例だが、官邸強化を推し進めてきた安倍・菅政権で、医療行政に通じた国会議員は力を失った。次の総選挙では、塩崎氏をはじめ多くの「族議員」が引退する。

野党の地盤沈下も著しい。09年には、民主党(当時)の長妻昭議員らが社会保険庁の問題を糾弾し、政権交代へと導いた。民主党で医療政策をリードした故仙谷由人氏は、厚労省傘下の研究機関のあり方を問題視し、政権交代後は行政刷新担当大臣として、国立がん研究センターなどの独法化を主導した。現在、問題となっているJCHOは、社会保険庁が所管する組織が経営した病院群を母体としている。ところが、立憲民主党がJCHO問題を、国会で追及したという話は聞かない。旧自治労系の労働組合の存在が影響しているのだろうか。国民の命と健康より支持母体に配慮しているのなら、彼らの支持率が上がらないのも納得がいく。

突破口開いた朝日新聞の松浦記者

政治が機能不全なら、メディアが頑張るしかない。悲しいかな、こちらも問題だらけだ。第二次安倍政権以降、政府はメディア統制を進めてきた。コロナ報道でも、政府への忖度には目に余るものがある。象徴的なケースをご紹介しよう。それは、朝日新聞が9月2日夕刊に掲載した「コロナ病床、国管轄病院は?受け入れ数%、都内1カ所は専用に」という松浦新記者の記事だ。8月19日に朝日新聞デジタルに掲載された記事の転載だ。なぜ、紙面に掲載するまでに、2週間もかかったのか。

注目すべきは、8月20日厚労省閣議後記者会見でのやりとりだ。松浦記者が、JCHOなどの独法に対して法に基づき、患者受け入れを要請する予定はあるかと質問したところ、田村厚労大臣は「法律というのは何の法律ですか。医療法、感染症法ですか」と聞き返した。この回答により、厚労大臣がJCHOの設置根拠法に規定された法的スキームを理解していないことが判明した。厚労官僚が大臣にまともな説明をしていないことがバレてしまった。

厚労省内は騒然となった」(関係者)。急遽JCHOは9月から、傘下の東京城東病院で約50床をコロナ専用病床に転換することを決定するドタバタ劇を演じた。

田村厚労大臣の発言は、厚労省の不作為を「証明」しており、国民に広く伝えるべきだ。ところが、朝日新聞は、この事実を報じなかった。松浦記者が、この件を発表したのは8月23日の東洋経済オンラインだ。9月1日には系列の朝日新聞出版が運営するアエラ・ドットでも、吉崎洋夫記者による「コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院132億円の補助金『ぼったくり』」という記事が掲載され、アクセス数はトップだった。朝日新聞が紙面に掲載したのは、その翌日だ。

コロナ政策の方向転換には、世論の支持が欠かせない。そのためには正確な事実を国民と共有しなければならない。メディアが果たすべき役割は大きい。政府寄りの姿勢が明白な読売新聞とは対照的に、朝日新聞は政府を監視し、日本のリベラルな世論をリードしてきた。私は朝日新聞に大いに期待している。 ところが、この有り様だ。厚労省に忖度し「新型コロナ感染症対策分科会委員」や「厚労省研究班」など、厚労省お抱えの専門家の発言ばかり報ずるのではなく、自ら取材した事実に基づき、当局が報じられたくない真実を、国民の前に示して欲しい。

「コロナ流行」は医系技官に追い風

最後にアカデミズムについても言及したい。菅政権のコロナ政策をリードしている専門家は、尾身氏と岡部信彦・川崎市健康安全研究所長だろう。尾身氏については改めて論ずるまでもない。

岡部氏は国立感染症研究所OBで、菅政権で内閣官房参与に起用された。岡部氏は、流行当初から、PCR抑制を主導してきた。彼が検査拡大に反対した理由は、民間に拡大した場合の精度管理を問題視したからで「行政検査の場合は、熟練した職員がきちんと標準化された試薬と器材を使って、精度管理も定期的に行っています」「精度管理は検査する側が責任を持ってやるべきです。つまり、一定のレベルを保ちながら数をこなして欲しい」などと発言している。

筆者は、この主張を聞いて驚いた。保健所の現場で働く医師から聞いている話と全く異なるからだ。私が編集人を務めるメルマガ「MRIC」には保健所長からも寄稿があり「精度管理自体がかなり怪しかった」「(検査エラーによる)明らかな擬陽性であるにもかかわらず、行政検査の無謬性をたてに絶対にそれを撤回せず、現場を混乱させた」と、現状のありのままを訴えている。保健所や地方衛生研究所は、検査センターではない。このような小規模施設が分担して、大量の検査をするのは、世界標準とはかけ離れている。

中村祐輔・東京大学名誉教授は「(検体採取以外の)工程はすべてロボットで自動化できる。(中略)集約すればいい。いまだに『手作業で大変だ』と言っていたら、世界から笑われる」と指摘する。前述の中国・南京は、こうやって大量のサンプルを短期間にさばいた。中村氏は、昨年、米国メディアが「ノーベル生理学・医学賞候補」と報じたゲノム医学の泰斗だ。岡部氏といずれが説得力があるか、言うまでもないだろう。

なぜ、岡部氏は、こんな発言をするのか。もちろん利権だ。そもそも保健所長は医系技官が座るポスト。岡部氏が所長を務める川崎市健康安全研究所は、地方衛生研究所の一つで、その所長ポストは、感染研幹部の天下り先だ。地衛研の問題は設立基盤が弱いこと。設置の根拠は1997年の厚生事務次官通知にすぎず、自治体に設置義務はない。コロナのような法定感染症は、保健所が積極的疫学調査の実施主体となることが感染症法で規定されている。即ち検査を独占することが、カネとポストに繋がる。岡部氏をはじめとした専門家たちは、クラスター対策や保健所の体制強化、地衛研の法定化を求めてきた。「コロナ流行」は追い風なのだ。

世界で、こんなことをしている国はないし、感染研・保健所の独占体制を維持する限り、いつまで経っても検査数は増えない。この程度のことは、専門家なら誰でもわかる。アカデミアの問題は、ダンマリを決め込んでいることだ。

学術会議問題に象徴されるように、9年間にわたる安倍・菅政権で国家統制が強化されたことが大きく影響しているのだろうが、それではあまりにも情けない。

コロナ対策の迷走は、日本社会の劣化を白日の下に晒した。物言えば唇寒し。今や指導層のメンタリティは、国家権力に阿る「奴隷」だ。これで衰退しないはずはない。いま、問われているのは、日本人の矜持である。

著者プロフィール
上昌広

上昌広(かみまさひろ)

医療ガバナンス研究所理事長

1968年兵庫県生まれ。特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長 東大医学部卒、医師。2016年まで東大医科学研究所特任教授を務める。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論。

(「菅退陣」に追い込んだ厚労省「医系技官」/医療ガバナンス研究所 上昌広:FACTA ONLINE)

   

警職法改訂を!!安永健太さん虐殺の悲劇を繰り返さないために!!

岩永直子記者がいい記事を書いている。見直した。
安永健太さんの警察官による「職務執行」に伴う「保護」(施錠殺害)事件である。
警職法による合法として事件は葬られた。
法名高い警職法の改訂を、全面的にすべきであろう。
また、これに関連して、精神障碍者の「措置入院」も改訂すべきである。
医師、警察が判断すれば、勝手に取り押さえて精神病院で拘束具をはめてよいとする、この悪法もも年間平均10人前後を殺害してきている。
司法が介在しない拘束(精神・身体の自由を奪う)は、行政長の判断ですべてケリが付けられる。つまりこの「健太くん事件」と同様な、無理解な住民の通報、警察・医師の恣意的判断がなんの検証もなく合法化されるのである。
日本の恐ろしく立ち遅れているこうした「意思の通じない人」とみなされる人々に対する人権が無言の市民の合意で殺人を許容しているのだ。
このFACEBOOKの知性ある、人権を騒ぐ学識の高い人々も、精神障碍者の問題となると、たちまち沈黙し、無言のマジョリティーに反転する。
それは彼らの知性中心主義(人間中心主義)という権利関係での自由と平等しか、視界にとらえられていない、いわば「精神不自由者」だからだ。
近代思想は、契約可能な自由な意思と理性をもった人格以外は、人間として認めない。
そこにどっぷりはまっている。
精神障碍者への関心のないまま、革命を叫んでも、それはどれほどの革命なのか、たかが知れているように思う。
 
 

日本の厚労省医系技官と利権医師たちの、医師倫理にもとる所業-コロナ患者を受け入れず莫大な補助金を受け取っている!!

日本の厚労省医系技官と利権医師たちの、医師倫理にもとる所業-コロナ患者を受け入れず莫大な補助金を受け取っている!!

以下忘備録として、また広く国民に読まれるようにアエラのスクープを掲出します。

【独自】東京都医師会幹部らの病院でコロナ病床の56%は空床 直撃に「不適切な補助金は返還したい」

 

吉崎洋夫dot.
東京都医師会の尾崎治夫会長(c)朝日新聞社

東京都医師会の尾崎治夫会長(c)朝日新聞社

 デルタ株による感染拡大はピークを越えつつあるが、東京都では9月10日現在で、新型コロナウイルスの新規感染者は1242人、死者15人、現在入院している重症患者は243人、自宅療養者は1万1千人以上と依然として多い。救急搬送が困難な状況も続いている。そんな中、医療ひっ迫を訴える東京都医師会、病院協会の幹部の病院で、補助金を受けながらも病床使用率が20%を切る病院もあることが、AERAdot.が厚労省関係者から入手した資料でわかった。

【表】尾身氏が理事長の公的病院でもコロナ病床の空床が目立つ実態があった

*  *  *
 医療ひっ迫の危機が指摘されている中、東京都医師会の尾崎治夫会長は「臨時医療施設を、ぜひいくつか作っていただきたい」などとたびたび語っている。こうした要望を受けて、東京都では野戦病院(臨時医療施設)の設置が進んでいる。旧こどもの城で設置されたほか、旧築地市場の跡地や味の素スタジアム内でも準備が進む。

 他方で、東京都は6583床のコロナ患者用の病床を確保しているというが、実際に使われているのは、3754床にとどまっている。2829床が「幽霊病床」とされる。

 民間病院と言えども、コロナ患者を受け入れる責任はある。厚労省が、新たに病床を確保した病院には1床につき最大1950万円の補助金を出しているほか、空床でも1床につき1日7万1千円の補助金なども出しているからだ。

 田村憲久厚生労働大臣小池百合子東京都知事は、こうした実態を問題視。コロナ患者を最大限受け入れることを要請し、正当な理由なく要請に応じず、勧告にも従わない場合は名前を公表する姿勢を見せている。しかし、厚労省関係者は「実は医師会が病院名の公表には執拗に反対している。その結果、コロナ患者の受け入れが進んでいない」という。

 AERAdot.では、東京都医師会会員の病院や病院協会に所属する病院のコロナ患者用の病床数と実際の入院患者数、病床使用率のデータを、厚労省関係者から独自に入手した。

 リストには都内の37病院の「極秘」とされる実態が記されていた。コロナ患者用の病床は614床、そのうち入院患者数は268人。病床使用率は44%にとどまった(数字は9月6日時点)。

 

さらに東京都医師会や病院協会の幹部でもコロナ患者を受け入れていない実態もわかった。資料によると、A病院ではコロナ患者用の病床を16床確保しているが、コロナの入院患者は3人、病床使用率は19%だった。B病院では29床のうち8人、28%、C病院では43病床のうち16人、37%、D病院では50床のうち28人、56%、E病院では52床のうち34人、65%、F病院は22床のうち15人、68%だった。

 厚労省関係者はこう語る。

「東京都医師会の尾崎会長は『野戦病院を作れ、そうすれば協力する』といっています。既に臨時の医療施設は急 ピッチで開設されています。尾崎会長の発言は裏を返せば、『ハコを作らなければ、協力しない』ともとれ、おかしな話です。空床のまま補助金だけが入っている状況がある。医療崩壊を叫ぶのであれば、先ずは自分たちの足元の医療機関できちんとコロナ患者を受け入れさせるのが先決ではないでしょうか」

 なぜコロナ病床を空けたままにしているのか、補助金は返還する予定はあるか、東京都医師会幹部がトップを務める各病院に見解を質した。

 A、B、C、E病院からは「多忙のため対応できない」などと取材拒否された。

 D病院は「事実誤認がある」として「6日時点の入院患者数はコロナ陽性26人、疑似症を含めると14人、合計40人、病床利用率80%となります」などと回答してきた。

 F病院はコロナ患者の受け入れ数については「6日の継続入院者数は34名」と認めた上で、「この継続入院患者数は、当日の入退院患者を含んでいませんので、実際に利用した人数より低くなります」と回答した。

 コロナ患者を受け入れていない理由について、下記の回答が来た。

「9月になり比較的短期間で入院患者は減少しておりますが、8月第4週ごろはピークにあり、8月25日には47名の入院患者(90%の稼働)がありました。病床の利用状況は感染状況とともに細かく変動しております。この時期には人工呼吸器が外れたばかりの不安定な患者が多く、現場の負担は高まっておりました。状況が急に悪化する症例に対応する場合は入院応需ができなくなることもありました」

 

「当院は東京都の計画では軽症から中等症に対応するべき病院群に分類されております。病院は200床に満たない施設でマンパワーに限りがあり少人数のローテーションで対応しておりますので、人工呼吸器が必要な重症患者が1名いるだけでも、途端に病棟管理への影響が大きくなります。重症患者のすべてを高次施設で対応することは難しい状況ですので、当院での治療が可能な限り人工呼吸器を用いるような症例にも対応の努力を続けて参りました。9月になっても人工呼吸器を用いる重症患者は4例に及びます」

「また当院では少数にとどまってはおりますが、スタッフの感染者数や濃厚接触者による人員減少の影響は大きいと思われます。病床利用率も指標の一つですが、感染状況を鋭敏に反映しておりますし、患者重症度や、人員数など様々な不測の要素があり、日々変動しています」

「なお、病床利用についてですが、多床室で男女混合はできない、重症度によって利用できる病床が限られる、清掃消毒などにより使用不能な時間がある、など様々な避けられない理由で一定の病床が利用できなくなるため、8―9割以上のベッドが常時稼働することは現実的ではありません。ベッド稼働が9割に達した今回の8月後半は非常に厳しい状況であったと考えられます。病床利用率だけで、行われている医療の状況を判断するのではなく、多角的な見方を要するように思います」

 補助金の返還などを考えているかの質問については、「不適切な補助金は返還します」と回答した。

 コロナ患者を受け入れていない病院に対して、東京都医師会はどのような見解なのか。尾崎治夫会長に「使われていない病床が約2千床あること」、「空床のまま医師会構成員の医療機関補助金が入ること」の見解を尋ねた。(尾崎会長の病院はリストに記載されていない)。
 
 すると、「(空床について)東京都からデータをもらっていないのでわからない」、「医師会構成員という言葉がわからないので、回答は控えたい」と広報担当を通じて回答が来た。

 

補助金を受けながらも、患者を受け入れない状況について、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は「厚労省のもともとの制度設計に問題がある」と指摘する。厚労省補助金給付の要件に、「コロナ患者の受け入れ」を入れていない。そのため実際に患者を受け入れていなくても補助金が入る仕組みになっているという。

「通常の補助金であれば、患者の受け入れなどの実績があって、お金を出す形になります。しかし、厚労省がコロナ患者の受け入れ体制ができていないという批判を受けて病床確保の数だけを追求した結果、患者を受け入れなくても補助金を出す制度になった。その結果、実際には稼働できない病床ができた。民間病院はギリギリの医者、看護師しか持っていないから限界があります。本来であれば、国立病院や、尾身茂氏が理事長を務める、独立行政法人のJCHO(地域医療機能推進機構)の病院が患者を受け入れる話ですが、そこも受け入れに消極的で補助金だけを受け取る状況になっている。そんな中、民間病院で積極的に受け入れるなんて話になるはずがありません」

 医療がひっ迫する中、未だに1万1千人以上いる自宅療養者を置き去りにするようなことがあってはならない。

AERA dot.編集部・吉崎洋夫)

【独自】東京都医師会幹部らの病院でコロナ病床の56%は空床 直撃に「不適切な補助金は返還したい」 (4/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

 

 

吉村知事のコロナ対策を支持するが、まず謝罪すべきだ!!

背筋を痛め、緊急治療に針を打ちにいって、ひとまず再び寝たきりとなりました。

二三日で回復するだろうと思いますが、回復途上なのに心が折れそうになる。

 

さて、テレビを聴いていると(みれないので)、吉村知事のコロナ対策を聴くことができた。

驚くべき方針転換を何事もなかったように語っており、口から出まかせで、まだ計画にもなっていないだろうと、批判していたが、どうも本気のようだと少し認識を変えた。

 

検査を沢山して、軽症のうちにカクテル療法とかを施し、もって重傷化を食い止める。それが重傷者を減らし、医療崩壊を防ぐ方法だと述べていた。

既に阪大の福島先生に、「野戦病院」(南港インテックス)の責任者になってもらうことで了解も得ている。しかし看護士などがうまく進んでいない、と正直に報告していた。

 

従来の維新の会橋下徹や松井市長ら幹部が、テレビにでまくって、

風邪のようなもの、PCR検査などいくら増やしても意味はない、などと吹聴し、中国人インバウンド狙いで中国感染が猛威を振るっている最中も入国規制をしなかった。

 

ずいぶんと真逆の方向転換をしたものではないか。

吉村知事のそれは世界の成功例からすれば、極めて妥当な方向性で、われわれも政府批判のポイントにしてきた点である。

吉村知事が自ら考えたのか、有能な厚生部の方針なのかはしらないが、吉村知事の実現を願いたい。

来年5月完成目標とするということだが、もう一年早かったら、大阪が全国で感染者も死者もトップだというような「人災」は防げただろうと思うと、維新の会知事の方針転換は遅すぎたと言わざるを得ない。

 

維新の会の失政で死亡した方々には、吉村知事は、一言謝罪し、方針転換を転換したのだと明言することだ。でなければ、いまだに間違いを吹聴する維新の会信者やTV局が害悪をもたらし、彼らの責任をもうやむやにするからである。

 

吉村知事はまず謝罪することである。