福島原発事故のフランスからみた日本メディア報道

フランス在住の日本人翻訳家たちのグループが、下記の記事を届けてくれている。

「福島の避難者の失望」
*ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール 3月31日17時53分(日本時間4月01日00時53分):

東京から250キロ離れた福島原発圏内からの避難者たちは、事故が起こったのは東京電力にも責任があるとして失望を感じている。

数万人の住民は、太平洋岸にある6機の原子炉が3月11日の地震津波によって損傷を受けた福島第一原発の20キロ圏内からの退避を余儀なくされた。

自衛隊員と消防隊員に支えられた東京電力のスタッフは仕事を遅らせる放射能漏れにもかかわらず、原子炉の冷却システムの復旧に努めている。

多くの住民は緊急避難所や親戚宅、人によっては数10キロ離れた所に避難した。

「私たちの多くは裏切られたように感じています」原発の北200キロにある秋田県の横手町の避難所に泊まっているサトウ・トモコさん(55歳)はそう打ち明けた。

「危険はないといつも私たちに繰り返します」原発の北20キロ圏内にある小さな町南相馬に住んでいたこの婦人は付け加えた。

大波に流されて鎖骨を折ったサトウさんは夫に水から助け出された。

彼女のように多くの被災者が緊急センターに避難したが、避難先を、仮の軒を自ら見つけざるを得ない人々も多く、コートと毛布だけで凍り付くような寒さに立ち向かっている。

「私は東京電力にとても腹が立ちます」原発のすぐ近くで農業を営んでおり、今は横手町に避難しているイシバシ・イクコさん(63歳)は言った。

「確かに地震津波は自然災害ですけど、でも原発事故の責任は人間にもあると思います」と続ける。

「この原発事故がなかったら、地震津波からもっと早く復旧して楽な生活に戻れるでしょうに」そして「原子炉が出来るだけ早く解体されることを望みます」と打ち明けた。

水曜日、東京電力会長勝俣恒久氏は、津波対策が十分でなかったことを認め謝罪したが、損害賠償については言及しなかった。

また彼の企業が財政面において非常に深刻な状況にあることを認めた。東京電力は福島の緊急作業費用を支出しなければならないだけでなく、原発で被曝した被害者への補償金も用意しなければならない。

行き先を指示されずに避難勧告を受けたサトウ・トシノリさんにとっては、情報不足と不適切な避難対策が不安をかき立てた。

「多過ぎる情報は混乱を招くと皆言っていますけど、十分な情報を出さないともっと大変なことになります」と彼は断言した。

東京電力が危険を考慮せずに原発を運営していたことを政府がきちんと監督していなかったことで、政府に責任の一環があると彼は考える。

多くの避難者たちがいつか自宅へ戻れるとの考えを捨てた。サトウさん一家はまだその希望を捨てていない。「すべてが片付いたら、帰りたいと思っています」とサトウ・トモコさんは言う。彼女の会社は職場復帰を保証してくれた。

いつになるかわかりませんけど、新しい家を買いたいと思っているんです」と彼女は説明する。「でも海と原発から遠いところにします」

(KS)

「ようやく批判的になり始めた日本のメディア」(仏ルモンド)
4月1日付 Le Monde

 「福島原発事故発生以降、国民の警戒心を煽るのを恐れ、事故の状況に関して十分な報道をしていなかった日本の大メディア(全国新聞・テレビ局)は、ようやく管首相率いる政府と東電の対応に批判的になり始めた」と仏ル・モンドは1日付けの紙面で報じた。
 事故発生後、最も批判の声を高めたのは被災地の地方新聞で、東電の怠慢を暴いた共産党の機関誌赤旗新聞の記事は国会での野党質問でも繰り返された。さらに原発の危険性を訴えた専門家の証言をもとに電力会社による原子力管理の裏事情を暴く日刊紙などもあるが、海外の記事を伝えるインターネットのブログではより攻撃的な批判が繰り返されている。
 日本のマスコミへの批判は国内の地方記者からだけでなく、海外からも聞こえている。その多くは日本のマスコミの批判精神のなさである。全国レベルの新聞は一日の発行部数が数百万枚に達するマスコミ界の巨人である。しかし東京電力を初めとした広告主企業の圧力があるため、普段大新聞は攻撃的な論調は避け、週刊誌によって暴かれた不祥事を過小評価したり、遅れて報道したりする癖がある。
 しかし現在、そんな大新聞も政府から発表される情報に不満を感じる国内世論に答える努力を始めているという。日本の朝日新聞は「この状況は事の重大性に気づかなかった東京電力の責任」と言う。
 日本経済新聞は30日の社説の中で、「政府は今まで状況と対応措置の報告をするだけで満足し、今後何が起きるかというシナリオを示さなかったことが国民の不安をより煽っている」と述べる。
 公共放送局であるNHKについては元々原子力ロビーの圧力を受けていることもあり、情報伝達の使命と不安を煽るのを恐れる政府の間で板挟みになっていた。このことも国民が十分情報を与えられていないと感じる原因になったとル・モンドは語る。

(YO)