祝「国民の生活第一党」結党大会--マスコミを越えて情報リレーを!

小沢一郎の力強い挨拶である。

1.民主党政権を付託された折、消費税増税は約束していない。これを断固として阻止する。


2.原発にかわるエネルギー政策への転換。
  ドイツ視察の感想を交えながら、ドイツができて日本ができないわけがない。
  ドイツはチェルノブイリの爆発事故で放射能被害が発生した。論議があったが廃止まで至らなかった。今回フクシマの惨状を
  みて財界までもが同意し、国会決議では反対する党は一つもなかった、とのことだ。


小沢を信じるのか?
という質問には今回この政局ではほかに信じられる政治家がいない。
この短いあいさつの中に、小沢の「政治人格」が端的に現れていることからも、小沢を信じるしかないのだ。


極めて国民の最大の関心事にフィットしている二つの課題に言及している。
この政治の課題に対す国民の心情をよく救い上げている、この政治家としての感度。しかも同じようなことを他党が言っても、小沢ほどの信憑性が担保されない。
折々につれ、表明した政治課題に稚拙ではあったり、失敗ではあったりしても果敢に実行し、一定の形をなしたことである。


失敗や課題が残ったものへの批判に、ほとんど無用の反論をせず、次の政策方針に繰り込んで政治的突破力において応えるスタイルを確立しているからだ。


なによりも、小沢政治冤罪裁判であれだけのマスコミと米従エリートに叩かれても、一切のつまらない反論もせず、にもかかわらず勝利を勝ち取っている手腕は、尋常ではない。


「政治人格」といったのは、そういうひたむきさと、政治家の大事な課題設定と結果の文脈を大事にし、それ以外の小論や誹謗中傷には画然と超越する態度である。


そこには、ルソーが『社会契約論』冒頭で述べている政治家たる者のあるべき態度が重ねられるからである。
反論したり、批判したりしている暇があるなら、黙々と国民のために政治の執務をとることに傾注しなければならないと、説いている。
ツイッター三昧の橋下徹大阪市長などと格が違うのだ。
石原慎太郎のような、差別排外主義と口舌の輩でもない。
言葉は人格であり、政治家の命であり、国民への寄り添い度のバロメーターである。


この結党式の挨拶でも、民主党や自分を排除した政治家名を一言も口にしていない。
凡俗政治家なら、身内のあつまりで歓心をかうために、敵の名前などを口を滑らしたりするものだ。
みごととしか言いようがない。


いまこそ同じような口当たりのいいことを、どの党も言う時代に、「政治人格」で選択することが一番理にかなっている。
あいかわらず、マスコミはほとんど結党の模様もベタ記事ていどで、封殺している。


小沢党の情報を極力露出させ、リレーしていきたいと思う。