子安宣邦阪大名誉教授(日本思想史)はFacebookでこのようなコメントをしている。
私は自著『「維新」的近代の幻想』の「あとがき」でこう書いた。「一九四五年の敗戦とは作り替え可能なものとして国家を見ない民族的、神話的国家観の敗北であったはずです。それは新たな「制作の秋」であったはずです。だが制作の主体となりえなかったわれわれは戦後七十余年のいま歴史修正主義的政権によるもう一度の敗北を体験させられようとしています。私はいまこれを書いている八月十日の新聞は前日の長崎で核廃絶への願いを被爆者たちと共に語ろうとしない安倍首相の姿を伝えています。核兵器禁止条約への署名を拒否する安倍首相はそのことの結果として、われわれを人類史における道徳的敗北者にしてしまうのです。われわれはこの屈辱にたえることはできません。ほんとうにこれを屈辱だと知れば、「制作の秋」とは今だということを知るはずです。」これは「二〇二〇年八月一〇日」の日付をもつ文章です。私がもっとも遺憾とするのは、われわれ国民を人類史の道徳的敗北者にしてしまう安倍前首相を国民の手で政治的世界から葬り去ることのできなかったことだ。(子安 宣邦 | Facebook 2022.7.10)
これほど共感できる追悼コメントはない。