子安先生の講義、「『こころ』と「明治の精神」(2019.6.15sat.)
とても新鮮な話だった。
小生は中学から高校でほとんどの作品を読んだが、確かにあまり面白いものではなかった。何言ってるのかも分からなかった。
公然と漱石はいいと思わんと言う人に初めてあったので、それだけでワクワクしてきた。
1910年(明治43)大逆事件
日韓併合条約
1914年(大正3)『こころ』、110回にわたる朝日新聞の連載小説
として発表された。
第一次大戦へ参戦。
翌15年、袁世凱政府へ「対華21ヶ条要求」
「こころ」は、帝国主義の幕開けに書かれ、
明治終焉の語りである。
明治政府は、国家的反乱分子を怖れ、
また日比谷暴動の人民という大衆の登場と、それが意思を持つことに恐怖した。
しかし漱石は、『こころ』が明治の末年を舞台にしているにもかかわらず、何も触れていない。
その後の作品も「愛と関係の不全」がテーマだ。
自殺した先生とこの「愛と関係の不全」を結びつけるものが、「明治の精神」と描かれる。
「明治の精神」とはなにか。
では「明治の精神」とは何か。
江藤は、「反エゴイズムの精神」と述べる。
また戦前は、乃木の死と「先生」の死を重ねて、「先生」は彼に殉じたと当たり前のこととして理解できた。
「明治の精神」とは、それに殉じた「先生」の自死の一己性をを償い、その死にいたる孤独の苦悩を救う大いなるものとしてあった。
1945年、「明治の精神」と「乃木」に込められてきたものを「帝国」とともに廃棄したはずである。
「明治の精神」が救済言語ではなくなった。
『こころ』は仮構性を顕わにし、小説の構成する契機を改めて問い直される。
どう読み直すか。
子安先生は、「問い直されるべきものは『K』であり、その凄惨な自死のあり方だ」と述べる。
「Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息に死んでしまったのです。外に創らしいものは何もありませんでした。私が夢のような薄暗い灯で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋一気に迸ばしったものと知れました。私は、日中の光で明らかに明らかにその迹をふたたび眺めました。そうして人間の血の勢いというものの劇してのに驚きました。」(「先生と遺書」五十)
と引用して、
「この激しいKの自死のあり方は「明治の精神」に殉じる『こころ』という救済劇の構成自体を問い直させる。これはこの劇に収まりきれない激しさをもっている。」指摘する。
ではこのKとはなにか。
死の過剰なやり方は、ひとつの寓意性をもたらす。
Kが迸らせる血は、「国土を奪われていく韓国民衆の抵抗精神の表象」(柴田勝二『漱石のなかの<帝国>』)だという柴田勝二の読みを支持し、
「明治日本の『こころ』という閉じた世界を二〇世紀初頭ののアジアに押し開きながら解体的解読を試みた成果である。」と結論づけている。
そして、現在の「令和」改元の無効性に通じるがごとく、
次のように説くのである。
「(この作品が)明治28年というか、1895年というかは嗜好的選択の問題ではないといった。それを明治の年号をもっていうことことはその事件意味を一国的文脈に閉じ込めてしまう。
それを世界史的年号をもっていうことで初めてその事件がもつアジア史的、世界史的文脈における意味は明らかにされる。(略)
国民作家の国民作品であるのは、『こころ』の事件が「明治の精神」に殉じる事件であるかぎりである。
国民的作品『こころ』とは近代日本の作り出した虚構である。この虚構を崩すには『こころ』の明治史をアジア史・世界史に押し拡げることである。
日本近代文学の虚構を崩す作業はやっと始まった。」
柴田勝二は、子安先生より30歳くらい若い研究者である。
柴田の読みに子安先生は、課題としている日本近代の解体的方法論を評価している。
このような読み方ができていたなら、
小生も漱石をもう少し面白く読めたかもしれない。