紹介--池田浩士「戦争に負けないための20章」、戦争に負けないためにはー?

久しぶりに池田先生の講演会へ参加した。
お元気でなによりでありました。

演題「ボランティアからホローコストへ─ヒトラーの経済再建はどう達成された、何を生んだか?」

日本でも震災や災害のたびにボランティアが当たり前のように動員される(自発的意思として)。筆者は賃金支払い無しの行政の不備補完部隊とよんでいるのだが、ヒトラーの政策にもこのボランティアが労働行政(失業対策)と経済再建の核心部分として活用されていたことを、池田先生が解りやすく説明された。

失業率44%(労働側調査)もあった当時のドイツ、
国民をボランティアとして組織し、低賃金で働かせる。国民の社会へ役に立ちたいという自発的な善意を国家の労働力として組織。
例えば、アウトバーン建設を全権委任法を得た直後閣議で決定。
ボランティアを大量に事業参加する運動で、ゼネコンは1/12の賃金で労働者を確保できた。ドイツ企業の立て直しは、国家運動のボランティア賛美と宣伝で常態化していく。

「ドイツ労働戦線」の組織化。国民すべてを労働に就かせるための政策。労働手帳をもたせ、政府が労働者の品定めをして、いい労働者とダメ労働者を分別した。

ボランティアと組み合わせて、六か月の労働奉仕を義務付け、そのまま徴兵制とセットにすると青年は何らかの仕事についている形となって、失業率はあっという間に数字の上では解消。

この「ドイツ労働戦線」の下部団体として「歓喜力行団」をつくり、国民の余暇の推奨、経験したことのない労働者の絵画、オペラ鑑賞、など歓喜の力によって、いやな労働を「労働の美」へと転化し、企業の体力強化をはかった。

こういうヒトラーの操るユーゲントやゲッペルスの宣伝隊が大々的に「自主性」を引き出し、「美と優劣」を労働現場に制度化した。

これが、戦争開始とともに、18〜45までの男たちが戦場に行った後の労働力不足を見越して制度化されたものだった。

女は家庭にいなさい、家庭をみるのは女しかいないから。
優劣をつけられた労働者のダメ労働者(反戦活動家、障碍者、精神病患者、性的マイノリティ、劣勢民族など)はホローコストへ送って強制労働か死か。

このなかでも恐ろしいのは、徴兵制復活による「帝国労働奉仕法」と「遺伝性疾患予防法」と「障碍者安楽死計画」である。

政府(医師)が決めた遺伝性の病気については、女性の強制堕胎が認められるようになり、障碍者は本人の同意なしに安楽死が許可された。
これは一国民のヒットラーへの直訴から発した。自分の障害児が生きる意味(労働や兵隊として国家にやくだたない)を持たないから、安楽死法を作ってくれという直訴。労働やボランティアが「労働の美」だと洗脳された国民は、こういう思考法をとるという見本だ。

女は家にいるものだ、というテーゼと、
ポーランドへ侵攻した日に女性の労働奉仕を決定した、女性も仕事で活躍すべきだ、というテーゼは、矛盾しているように見えてそうではない。

どちらも戦時国民総動員体制のなかの場所の指定にすぎない。国家によって資本強化のための労働力として位置付けられているにすぎないのだ。

文化左翼は、反戦というが生活から遊離しているのだ。適当に豊かで、労働現場になど目を向けなくてもいいような層が騒いでいる。実は国民をどう組織化するかは、労働行政のなかに最もよく潜ませていることに無頓着だ。

女性の権利拡大とともに、「女の活躍社会」という掛け声で仕事につくことが、何かリベラルのようにありがたがられているが、そんなもの国家によって動員され、資本の強化の駒にさているのだ。その自覚があるかないか、ここが戦争を準備した社会からファシストを生み出さない鍵である。しかし文化左翼はあたかも先進的なイメージを振りまいている。そんなものに、美も価値もないのだ。ただ食えないから働く、それだけなのだ。

ボランティアには昔から批判的で、一度も行こうなんて思ったことはない。
行政も政府もちゃんと賃金払いなさい。災害の多い我が国のこと、被災者には国家予算をとってちゃんと向き合いなさい。向き合わないからボランティアを賛美して、賃金不払いですまそうとする。自衛隊を経費がかかると早く引き上げる。
本末転倒なのだ。

さて、池田先生の近著「戦争に負けないための二〇章」を紹介しておこう。
とても面白い。