桐島聡(反日武装戦線)の存在自体の革命性と重さ

桐島は残念なことをした。
よく逃げ切ったものだ。
私は爆弾を作ったことよりも、この生きざまを評価する。
多くの党派活動家が、活動後刑に服して、禊が済んだとばかりに相変わらず左翼崩れのでかい面をして生きてきたのに比べ、立派である。
その過激さでも、批評活動でもない、深く潜行して日常生活で一言も発せず、行為の実績だけをむざと置き残し、自己総括だ自己弁明だ、一切しなかった。そんなものは、桐島にすれば、ただの挫折の自己肯定でしかなく、許されざる行為に映ったはずだ。
革命を志したものが、絶対信念を生き抜くとき、無名性に徹することができるかどうか。それは万冊の著書を書くより重いことだっただろう。
私は、武装闘争組織では、唯一反日武装戦線を支持してきた。
赤軍派のように、武装闘争から革命が起きるなどという倒錯ではなく、反日武装戦線はテロはテロ以上のものでも以下のものでもないことを知っていたからだ。
そして無名な学生がひっそりと、着実に日常に享楽する私たちふやけた国民を戦慄させた。
その純度の高さによって、反日武装戦線に組織員の「同窓会」はない。構成員はいまだに沈黙し、逃亡し、絶対信念を生きるテロリストとして、存在自体が光輝を放っている。
私は、何より好きなのは、彼らの無名性である。
桐島など、当時の活動家の中でも全く知られていなかった。
公安権力でさい同じだった。
捕まるわけがなかったのである。
合掌。