桐島は残念なことをした。
よく逃げ切ったものだ。
私は爆弾を作ったことよりも、この生きざまを評価する。
多くの党派活動家が、活動後刑に服して、禊が済んだとばかりに相変わらず左翼崩れのでかい面をして生きてきたのに比べ、立派である。
その過激さでも、批評活動でもない、深く潜行して日常生活で一言も発せず、行為の実績だけをむざと置き残し、自己総括だ自己弁明だ、一切しなかった。そんなものは、桐島にすれば、ただの挫折の自己肯定でしかなく、許されざる行為に映ったはずだ。
革命を志したものが、絶対信念を生き抜くとき、無名性に徹することができるかどうか。それは万冊の著書を書くより重いことだっただろう。
そして無名な学生がひっそりと、着実に日常に享楽する私たちふやけた国民を戦慄させた。
私は、何より好きなのは、彼らの無名性である。
桐島など、当時の活動家の中でも全く知られていなかった。
公安権力でさい同じだった。
捕まるわけがなかったのである。
合掌。