太田監督「沖縄狂騒国」を観た、佳かった❣ー於、十三「第七劇場」

昨日は、太田監督の「沖縄狂騒曲」(七芸で上映)を観賞。
作品はドキュメンタリーで、おもに現状の問題を告発し、基地を撤廃した場合の沖縄の起死回生の未来図を取材できていた点は、精彩を放っていた。これはすでに旧太田県政時代の未来図として、沖縄ではよく知られた見通しであるー即ちアジアの国際的ハブ空港とし、観光立国にする、またそれによって国際金融都市として繁栄できると。基地依存で食えているという利権派と奴隷への強烈なパンチである。
それにしても、映画監督はいい。こうして満員の観客が見てくれるのだから。
小生も十年前に長文の法的側面から沖縄の現状の問題を書いているが、誰も読んでくれた気配はない。
立ち見しかなく、途中から耐えられず床にへたり込んでなんとかー。今朝は足腰重症です(´;ω;`)ウゥゥ
 別に発見は、若い女の子から、「れいわの方ですか?」と声を掛けられ、曖昧な返事をしなが地域の政治をしばらく話し込んだ。
れいわ支持者が多く見に来ていたのではないのかな?
監督舞台挨拶にて花束贈呈。
口ほどになく元気そうで少し安心した。
まあ、体にはくれぐれもご自愛にうえご活躍して欲しいものです。
で、急いでマックへ飛び込んだ。
重なっていた「人権擁護セミナー」に遅れてzoom参加。
大いに収穫があった。
今の日本の各種人権の遅れ、統一教会自民党の人権抑圧イデオロギーが普遍化している原因は、儒教を上げる専門家がいるが、小生は違うだろうと言ってきた。
講師(関大準教授)が指摘したのは、明治の精神医療監置法がそのまま横滑りで、戦後家制度がなくなっても国家の最小単位=家族に責任を持つのかという治安目的にして、戸主から家族会や行政の首長に取り替わっただけだということ。
儒教の影響を全く否定はしないが、決定的なのは明治の家族の法思想が生き残り、健常者の社会は曲がりなりにも人権思想の成熟でいくらか「家の思想」は縮減したが、国民が無視してきた精神病者の世界は国家治安維持法を色濃く残したままだということ。
こうして国民の人権後進性は、LGBTや夫婦別姓など弱者を抑圧しているのである。
とりあえず忘備録メモ。
これだ小生は、やっと自分の直面している後見人制度の矛盾が理解納得できた。
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窪田 誠、Ichiro Yoshida