後進性を露呈するオリンピック報道と近代資本主義の渋沢栄一の評価

不快なことが日々オンパレードで、書くのもおっくうになってしまう。
北京オリンピックの時代錯誤的報道等には、太田監督が辟易している心情を吐露していたので、もう全く同感で、小生が書くこともなくなった。
われらが世代は、高度経済成長を経験し、日本もいくらか後進国ナショナリズムをだったしたかなと、いくらか誇らしかったが、ここへきてなんのなんの、土俗的陰鬱で剣呑なナショナリズムが覆いかぶさってきて、息苦しいわけだが、アナウンサーのあの絶叫ー日本やりました!という虚しい興奮を聞くたびに、ああまた日本は土俗的ナショナリズムへ先祖返りしたのかと肌寒くなる。
なぜ、もっと静かに、よくやりましたねー、金メダルは○○選手の一生の宝物になるでしょう、とか、日本を背負わされて、迷惑だっただろうに、よく個人として日本のプレッシャーをはねのけてメダルを取りましたね、偉いことですよ、などといえないものか。
1964年の東京オリンピックのときと同じような絶叫を聞いていると、半世紀にわたった日本人の民主化や社会的な知的活動などは、みごとに無効にされてしまっているように思えて情けなくなる。
 
さて、渋沢栄一を日本近代の資本主義創生期の資本家だという程度の認識だったが、彼の偉大さを認識したようで少しニンマリしている。
渋沢本人も、知らぬところで、日本の資本主義がサン・シモン主義で、かなり儲けることの肯定(武士や儒教的でない)と儲けることの限界設定を倫理的に志したという点で(三菱など他財閥と違う)、パリ万博視察団で体験したフランスに勃興していたサン・シモン教会の銀行理念を期せずして体得してしまった。
これは今日の日本が、後発アジアから資本主義を発展されたのだが、これによって比較的健全な大衆からの投資による産業振興へ結実させる資本主義が成長できた。
これはマルスク程度を読んで、サン・シモン主義を空想社会主義だと批判的に見ても何の役にも立たない。
このポイントは、ソ連が解体し、資本主義が成長するかに見えたロシアが、ほとんどブラックマーケット化してしまったままで、エネルギー資源程度の産業しか育っていなところをよくみれば、後進国の資本主義育成には、サン・シモン主義の政策のように、産業人が、大衆から資金を集め、金儲けをすることで富と自由を大衆が獲得する、その結果として平等が保証されるのだという教義は、フランス革命後の混乱する遅れたフランスにあって必然的に発生してきた思想だった。
このサン・シモンの後継者たちは、それによって政府まで買い取って仕切ってしまうという、一種の今でいう革命を志向していた。
紆余曲折はあるが、サン・シモン教会はのち分裂して主流派はロスチャイルド派と合併、離教派はナポレオン甥の第三共和国と組む。ロスチャイルドなど当時の銀行は、為替差益で利益を出す手法で、サン・シモン主義のような大衆資金から産業振興投資という金の回し方ではなかった。したがってロスチャイルド派はサン・シモン主義の方法を吸収合併によってノウハウを形成してゆく。
 
左翼のように、後進性の時代の中の矛盾だけを、ステロタイプに「反権力」だけで読むと、否定性だけがデフォルメされて、ルサンチマン史観に陥る。特に歴史上の人物評価は注意が必要であると自戒したのでした。