米朝会談は会談できただけで成功とすべきだが……

米朝会談は歴史に残る会談であった。それは敵対していた米国がスターリズム全体主義国家を正式に認めたという点で。
以前から述べているように、金正恩は幼少期スイスに留学していた経験から、本音では西欧的消費社会を望んでいるはずだ。自由と物的消費を一度経験したら、人間はそこから逃れられない。かなり合理的に、そういう社会を望んでるふりは見て取れた。従って今回も本気で米国との交渉に臨んでいるだろう。
しかし、かれが王様の座をすぐ明け渡すことは死活問題なので、おそらく中国体制をモデルケースとしていることも伺える。それは彼の選択で、開かれた国家になっていくのは支援することは言うまでもないのだが、私としてはよりによって極東に遺物としてスターリニズム国家が二つも残ることに暗たんたる気持ちだ。いくら国家を開いても中国はスターリニズムを脱皮できない。アジア的専制国家としての尻尾はいつまでもつけたままだ。しかもそれらが「戦勝国」で、ナショナリズムと軍事には極めて無反省であり、国家のアイデンティテイーを反日ナショナリズムに依拠しているわけで、戦後の理念は今の安倍や日本会議と相似をなしていることである。
日本のスターリニスト左翼と文化左翼が、「反帝反スタ」などといっても、所詮当該国家の「体制」だけで、原理的批判などまったくやらない現状をみるにつけ、おいおい大丈夫かと思うのである。
北といえば、どこかで批判の口を結び、拉致などするわけがないと視ぬふりをしてきた文化左翼に、国民が潜在的に不信感を持ってきたことは実証済みである。
北朝鮮を、ロマンの対象とし、アプオリに被害者、弱者とすることは、まさにファシズムの政治的ロマン主義と同根であることを頭の隅に置いておくことである。