◆立民党京都の選択を「あえて」擁護する◆
さして社会変革への実践活動もやらず、
知的に上昇した挙句、
相変わらず共産党に「民主」の幻想を抱く知識人たち。
大学やマスコミの権威の安全地帯で、ぬくぬくと研究をし、
政治や労働現場の実情をしらず、
携わる人間の苦痛も苦悩も、脱色して(文学無し)
欠陥選挙制度に合わせて、ただ統一戦線を張れと批判する。
そんなもの、歴史をみれば、上手くいった験しの方が少ないのだ。
特殊ロシア革命を普遍的なものにして、自壊した世界の左翼の間違いを何も学んでいない。
本気で野党共闘をするなら、
野党第一党に無条件で合流するというルール以外にないではないか。
野党第一党がどのような政策をとろうが、
政権交代を目的化するなら、他のことは一旦凍結するしかないのだ。
そういう単純明快さが、選挙には必要なのが、表象が支配する社会の選挙なのではないのか。
それを、弱小野党が条件出し合って「戦線統一」の正当性をもつ野党第一党の足を引っ張る、
知識人ソフトスターリニストたちも批判する。
個々の政策や、戦術を考慮するなら、そもそも野党統一戦線など意味をもたない。
理路からすけば、政権交代だけが当面の目的という、前提と矛盾してしまうからである。
野党統一戦線は、個別にゴチャゴチャ言うことは止めて、条件停止して、一本化するということに他ならないからである。
もしその正当性が野党第一党にないというなら、
野党各党でまず予備選挙でもして、どこの政党にイニシアチブを持たせるか、民意はそこから始めるべきだろう。
知識人ソフトスターリニストたちはそれを言わない。
(Facebookより転載)