フランス人民「暴動」、マクロン大統領を追い詰める!!ーー新しい抗議方式の出現

フランスの「暴動」がまた政治を動かした。

これは一段また新しい異議申し立ての方式を確立したように思う。

どういうことか、
どこの誰が、どういう組織が、企画して「暴動」がおきているかよく解らない、従って政府は誰と話し合って交渉したらいいのか分からなくて困惑していたと言われていた。

SNS社会のステージでは、つまり、従来のように代表者とボス交ができないのだ。
ボス交は、なにがしかの「エサ」を撒いて、肝心な部分は政府側の意向を通す条件闘争でしかなかった。

しかし今回をみるとそのボス交ができない。

マクロンは、政府案そのものを「全面的」に撤回せざるをえなかった。

昨日までのさころでは、
油税撤回、
最低賃金を13,000円/hに上げる、
ボーナスへの非課税、
年金生活者への増税撤回、

おそらくマクロン退陣まで、まだ「暴動」は続くだろう。

これがボス交であれば、程度の差で撤回はなかっただろう。

日本のリベラル派はマクロンを支持していたが、
わたしは当初からその新自由主義を批判した。

マクロンは、「金持ち優遇政策にながく浸っていたので慣れてしまっていた」と反省の弁。

慣れてしまっていた、というふざけた弁解だが、
我が国の首相やエリート層は、悪意をもって新自由主義を進めているからもっと罪は重い。

ここでわたしの言いたいことは二つ。
一つは、SEALDsや市民運動家たちにこの「暴動」を参考にして欲しい。
日本のエセリベラルが、民主党政権との面会とボス交を絶賛したが、なにが「撤回」されたのか。

60年安保では、条約廃棄はできなかったが、米大統領訪日阻止、岸首相退陣をさせた。

70年安保は、条約更新阻止はできなかったが、佐藤訪米阻止、沖縄返還につなげた。
ベトナム反戦「暴動」の世界的リンクを形成し、終結をさせた。

秩序の中の抗議を絶対化して欲しくない、
代表のない「暴動」を組織して欲しい、ならばわたしは参加する。

二つ目は、マスコミ、いわゆる識者といわれるソフトスターリニストたちに、しっかり「暴動」の意味を語の厳密な意味で理解して欲しい。

「暴動」が異議申し立てを一般的「暴動」と同じものとして扱うなら、あなた方の享受している「表現の自由」や「権利」といった、近代法の諸権利は、すべて「暴動」によって勝ち取られ、「暴動」のたびに書き重ねられてきたものであるため、これらを放棄しなければならなくなる、ということだ。
イェーリンクは権利のための闘いは、絶えず闘い取るものだと宣言している。日本人には激越に聞こえるこの宣言は「暴動」を前提としていることを理解しておくことだ。

日本には、いまだ「市民革命」は一度もない、
日本文化は世界の一流だが、政治は三流だ、
こういう世界の評価は、
もとは日本人の精神性の問題だということを羞恥をもって受け止める必要があるだろう。