れいわ新選組「議員一年ごとローテーション」は、おもろいやないか!

れいわ新選組の議員議席を一年ごとにローテーションするという方針に、ゴタゴタいう人がいるが、私から見れば左派権威主義に固まったクズだと思う。
太郎が言うように、禁止条項はないわけで、議会がいまのように硬直化、ただのセレモニーになって、民主主義の戯画的舞台でしかなくなった中で、やれることはなんでもしたらいいと思う。
クズみたいな議員が居眠りしながら6年間毎年2700万円も税金を搾取している方を問題にせず、小党の育て上げなければならない野党中の野党を批判して悦に入っている権威主義者が、自公与党を補完していることの無自覚さは問題であろう。
私からみれば、全政党がやって欲しいと思うくらいだ。
たまたまその時の風か金で選挙で当選して、赤絨毯踏んでいる間に特権化して、国民の声など知らんぷりする議員ばかりなら、毎年入れ替わって議員経験をすれば、普通の人が自分の要求を公的俎上に載せやすくなるし、一年なら偉そうに特権化して普通の国民を無視したり侮蔑的にあしらうこともなくなるだろう。
一年でも議員経験できるとなれば、青年は意欲的に政党活動できるだろう。
自民党はJCや商工会議所、公明党創価共産党は民青同、維新はJCやヤンキー集団、立民党は連合・ユニオン、どうだ、草の根で全国津々浦々腐った利権中間団体を皆持っている。
れいわはあくまで個人加盟の勝手連だけだ。
一個人で、国会を体験できるなら、一丁政治活動でもしてやろうか、草の根の全国に起ち上っているサポーターは若者と元全共闘クズレの爺婆が多いが、チャンスは選挙当選しなくても、党活動を熱心にやれば、他党よりチャンスは6倍回ってくるのだ。
一年ならば、不正も、居眠りもしている間をないだろう。
党として、集中し、密度を上げることは確実だ。
そしてそうした経験をした国民がふえれば、政治はもっと生活過程に取れ込めるだろう。
政治過程から疎外された政治と議会を庶民に取り戻す一つのチャレンジをゴチャゴチャ言う暇があるなら、
杉田水脈のように打席一位で全く得票もないくせに議員としてヘイトをまき散らす議員をどう排除できるか考える方が大事た。
被害者と国民の劣化をリードするんだから。
自民党の二、三世議員を一掃することを具体的に提案もせず、れいわなら叩きがいがあるから叩くなら、ロシアと一緒でしょう。
これで直接被害やダメージを受けるひとがいるのか?