追悼鈴木邦男、同世代人であることは確かであった!

鈴木邦男が死亡したらしい。
遅ればせながら語れば、
どうしてそんなに鈴木邦男ラブの追悼文が多いのだろう?
晩年は結局戦後肯定というか、戦後民主主義のなかで左派と似たようなことを言っていたという印象しか私にはなく、異様な感じだ。
確かに年老いてあの人懐こい笑顔や、左派人脈とも包摂する懐の深さは伝わってきた。
 まあ人の死は、その関係の距離感に感情が左右されるから、マスコミ経由の鈴木しかしらない私にはその程度にしか理解できないのだろう。
70年前後の鈴木は全共闘に徹底した阻害物であった、と私には思われた。
69年関大人質救出ゲバルト闘争は、右翼日学同相手であった。
小雨の降り続く千里丘陵のキャンパスは、全国大会のためカサとガクランに埋め尽くされていた。黒い怒涛のように見えた。
右翼に捕まれば死かカタワにされると聞いていたので、恐怖と寒さで身震いしたことを鮮明に記憶している。
全共闘は30名足らず、日学同は500人ほどはいたのではないかと思う。
歓声を挙げてその群れにポケットの石ころを投げながら、素手で突入した。
ガクランの群れが左右に潮が引くように割けて、監禁部屋に到着できた。
帰りはどうだったか、全く記憶がない。
私の右翼体験は、こうした貧しい出会いであったため、戦前の大川周明北一輝は傾倒したが、戦後の右翼など十派一絡げで、どうでもいい連中だとしか思えない。今でも右翼を語る人物で魅力を感じる人はいない。
私の貧しい右翼体験から、鈴木邦男の死は時代の流れを知らせる程度の風物でしかないのである。
(Facebookより転載)