『<戦争俳句>への註』−鈴木六林男の作品から

戦後70年ということで、10年前の師六林男(むりお)の代表作品=戦争俳句への簡単な評論をアップし、読者の参考になればと思います。。

ある日書店の棚で、鈴木六林男の<戦争俳句>を見つけた時の衝撃は忘れられない。それにしても戦後世代の私にとって、一連の<戦争俳句>の衝迫力をどう考えたらよいのか。戦争体験に依拠した文学的モチーフは、俳句を含めた戦後文学の固有性としてあったことは間違いない。従って<戦争俳句>がその出発で担ったものは重い。確かに<戦後>は遠のいたが、<現在>が掴めなくなった時、わたしたちはいつでも鈴木青年の<戦争>に下降してみる必要がある。
 嘗て吉本隆明は、自らの世代を「不毛の世代」と位置付け、「戦争が自明の環境」としてやってきたと述べた。戦時色深まるなかで、「数年後自明の死を死ぬ」ことをどう納得するか。鈴木青年にとっても、このことはある日突然<非日常性>としての戦争が侵入してきたなどということを意味していない。この世代は個的な実存の処理として、ぎりぎりのところで死を不可避のものとして了解し戦場へ赴いたのである。いわばそれは<時代(秩序)>に強制された選択としてあった。でなければ、戦後生き残った者達の、自分だけが生き残ったという戦死者への贖罪感を十分説明しきれまい。
 <戦争俳句>に私が感動する時、戦場という<日常性>を、花鳥諷詠と同じレベルで日常風景として書き留めたために成功しているなどとはとても思えない。
戦場にある喰い眠る<日常性>は、実生活という意味での<日常性>とは位相が全く違うだろう。自らの肉体の再生産は直接的に死のためにあり、最初から実存の可能性を圧殺されている。私のみる限り、一連の作品の叙情は、戦場という<秩序>にあって、生きている限りにおいて生の内的理由を求めざるを得ない孤独の美しさである。この戦争に全面的に解消できない自意識である。だからこそこの作品に、イデオロギーに解消されない屹立した美を感じとれるのである。
 実存の契機を喪失した戦場という<秩序>への断念は、俳句という言語表現をもつことによって孤独という意識を構成し、同時に表現が指示表出性に媒介されざるを得ないという事情によって孤独を超越する可能性をもつことになった。このことは鈴木青年にとってはエロスであったはずである。またこのエロスは<秩序>への断念である限りにおいて自閉しており、<他者>を介在させることはできなかった。戦後、鈴木六林男が「戦争と愛」を掲げたことは必然であった。この体験から、<秩序>への断念ではなく<秩序(戦後)>を此岸で超えるべく、愛という<他者>了解の地平へ歩み出したのである。
 個人ではどうにもならない<秩序>への断念のなかで、ひとがとりうる心的対応と美の意味を、ひとつの典型として読みとることができる。

−句集『辺縁へ』(2007年10月20発行)所収−