公園の光景ー父親のハンカチは娘にはとても大きいものだったー。

日曜日は歩行訓練で少し遠征した。
昔住んでいた家の近くの公園に立ち寄ると、若い父親と三才くらいの娘がひっそりと遊んでいた。
声は出さないが、父親は娘を優しく見守り、娘は時々父親の方を振り向きながら、楽しげであった。
水場で娘の手を優しく洗ってあげて、ハンカチを渡す。娘の手に渡るとそのハンカチはとても大きなものに見えてしまう。
そしてベンチに二人で腰かけて、囁くように会話しているのであった。
私はこの親子に引き込まれ、かなり長い時間見つめ続けた。
 
私は次第に涙がとめどなくこぼれ、嗚咽していた。
 
日曜日の誰もいない公園ー私も40年前に間違いなくこの親子とまったく同じように娘と遊び、この水場で手を洗い、ベンチで寄り添って会話に興じた。
この40年間で、私はみすぼらしい孤独な老人になり、愛おしかった娘を失くした。
この40年の歳月の紆余曲折と離散は、すべて私のわがままによるものだが、当然のように思っていた普通に老いて死ぬことは叶わぬようだ。
しかし、愛情がなくなったわけでもない、自分では予測もつかないところへ行きついてしまうこともあることを痛切に知ったときはもう遅い。
 
公園の父親と娘には、ぜひ平穏な普通の生活がありますようにー胸の内でつぶやいたのだった。