ヤン・ヨンヒ監督『かぞくのくに』を鑑賞する

在日韓国朝鮮人をテーマにした作品には、マイノリティへ過度の思い入れをした日本人の作品と、民族主義をアイデンティの核にした在日二世の作品と、相場が決まっているので、飽き飽きしてみる気も起らないのが昨今のわたしの態度である。
たまたま読売文学賞シナリオ賞を受賞したとのことだったので一応観ておこうと思った。
だからこの「かぞくのくに」もその程度のものだろうと思って解説も予告もほとんど観ずにいきなり鑑賞した。


わたしの予断をみごとに裏切ってくれた。ヤン・ヨンヒ監督(写真)がいかなる人物で、どのような立場にたっている人かいまだに知ろうともしていないのだが、名前から在日であり、北朝鮮の実情に詳しく且つ冷静に向き合えている人だと推察できる。
一言でいって、なにものにもとらわれない自立性と大胆さと勇気がステロタイプの従来の作品から離脱して、新しい在日韓国朝鮮人の視点を提示できた画期的な作品といっていい。
やっと在日から、在日の本音をイデオロギー抜きでリアルに叫ぶ映画がでてきたか、時代がとうとうそこまできたかという感慨である。


ストーリーは、祖国帰還事業(といってもピークを大分過ぎた1970年代らしい)で、朝鮮総連の幹部の父の組織内の立場上、息子として帰還せざるを得ないと父を慮って帰国したが、脳腫瘍の治療に25年ぶりに帰国した息子とその在日の妹が主人公。家族と旧友との再会の喜びの滞在であるが、治療も始まらぬうちに、三か月の予定が急遽帰国命令が本国の「上から」出て、しかも理由は一切解らぬまま命令に従わざるを得ないという理不尽さ。その滞在の数日の日常を淡々とドキュメンタリーのように描くのだが、祖国への複雑な感情と捻じれを、本国から同行した監視員を交えてみごとに描いている。


妹の安藤サクラが好演している。兄への限りない愛情を抱きながら、一方北朝鮮本国の人間としてしか動けない兄に段々苛立ちを強め、兄から監視員の意向としてスパイにならないかと誘われてとうとう怒りが爆発、夜中の路上で監視している監視員を掴まえ本国もあなたも大嫌いだと怒声で詰め寄る。


この「共和国政府」を嫌いだと叫ぶことは、在日ではタブーであり、それだけで本国に家族がいれば政治犯として強制収容所送りになる。これをヤン・ヨンヒ監督は、安藤サクラ演じる妹に敢然と言わせた。
このことは、日本の朝鮮総連の力が弱まっていることもあるのだろうが、在日二世三世が、従来の政治主義的な民族アイデンティから違った成熟したアイデンティへの変質を感じ取ることができる。


このとき監視員は言う。あなたの嫌いなその国で、わたしもお兄さんも家族とともに生きていかなければならない、と。ヤン監督は、奇妙なおぞましい国とはいっても、そこに生活せざるをえない人々へは、政治主義的に裁断しない。きわめてヒューマンな視覚を提示している。同時にどうしようもない絶望感でもあるのだ。


40年前、北朝鮮系の娘が、日本の青年と付き合っているといっただけで、組織の仲間(組織の一部はねあがり学生)に監禁され絶交をせまられた。付き合いを止めなければ日本人にやられる前に朝鮮人が犯すと迫られた。娘は隙をみて脱出して難を逃れた。
日本の青年は、その理不尽さと暴虐に怒り、単身組織へ乗り込み壮絶な闘いを敢行。この血なまぐさい一件以来、彼らは一切手出しをしなくなった。組織のリーダーらしき男から電話があり、付き合いを容認する、幸せにしてやってくれといった。こうした民族も国家も個人の日常生活をくまなく包摂し、民族の女は民族のモノであるという「掟」の時代から、確実に在日の世界もかわっていることをこの映画は示唆している。


日本人は、彼らを自由と平等を原理とする共同体のパートナーとして、しっかり民族や国家を相対化できるまでに成熟しただろうか?
益々排外主義的狭量さへ後退しているのではないかと思うのは私ひとりだろうか?


ぜひ多くの人に観ることをお奨めする。

『かぞくのくに』公式サイト  http://kazokunokuni.com/