SEALDs寸評―添田馨著『SEALDsとその時代』をてがかりに。

さらに『飢餓陣営』の続きです。
添田馨さんの『SEALDsとその時代』です。
添田さんの『吉本隆明論争のクロニクル』は私のバイブルであり、紹介し多くの知人にも一読を薦めてきた。イメージでは静かな詩人という印象だったので、イメージに反しこのSEALDs論が熱くて面白かった。概ねSEALDsの登場には、私も同意する。ただ根本的な問題も感じている。とりあえず私のSEALDsに触れたものを、少し長いが掲示させていただきます。

「それは、ここ数年、何十年ぶりかにSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)という学生運動がみられ、先月一旦解散した。もうデモも忘れてしまった若い日本人には、SEALDsは新鮮に見えただろう。昔の学生運動を知る者たちにはお祭り騒ぎのお行儀のよいデモをいぶかっただろう。評価はさまざまであった。わたしはおおむねSEALDsを歓迎したし、その矛盾と未熟さも批判はしても当然のこととしてまた擁護もした。学生たちは自分で懸命に考えて行動を起こした。それ自体が貴重なのである。今の政治情況をみれば、大人が怠慢であったし、かつての学生運動経験者がわたしも含めて腑抜けになった結果ではないか。彼らが責められるいわれはない。
わたしが問題としたのは、この若者の運動に乗っかって、自分の言論ポジションを確保したり、自説補強に活用したりした文化左翼である。なかでも上野千鶴子や弟子筋の小熊英二の「新しい」運動としての評価である。「新しい」ことに価値を強調したがる裏には、小熊の七〇年までの新左翼運動を否定したい意図が隠されているためだ。小熊は自説を展開するにあたり、主観的全共闘像を仮構してそれを批判するという方法をとっており、学的方法を逸脱しているとの指摘もなされている。特に当事者らはオーラルヒストリーもないため『1968』は労作ではあるが偽書だとの厳しい批判をしているのである。その延長に「新しい」ということをもって価値とする言説を流布している。わたしにいわせれば、「新しい」ことが価値だとするマインドは、右翼が「新しい歴史教科書をつくる」だとか、主観的に歴史を仮構して「新しい」としていくイデオロギー性とパラレルなのだ。一種の歴史切断と捏造。現在の問題は左右を問わず、戦後史の切断が問題なのだ。このなかで同じく東大社会学でも北田暁大は、小熊を批判し、SEALDsが「新しい」わけではない、社会運動は六〇年代後半から全共闘以降も七〇年、八〇年、九〇年代もそれなりに綿々と続けられた。三里塚フェミニズム、マイノリティ、差別、慰安婦、貧困、ヘイトスピーチなどに対処し、一定の成果も上げてきた。そうした運動と切断されたところでSEALDsが忽然と登場したわけではないと述べ、小熊は過去の社会運動へのリスペクトを欠いていると指摘している。北田の批判は正鵠を射ている。革共同革マル派中核派内ゲバ殺人、連合赤軍同志リンチ殺人が負の遺産としてあったとしても、運動の良質な連続性を析出していくことで、今後の資産となるはずである。『唐牛伝』には、共産党(旧左翼)との理論的のみならず組織体質の決別と超出に命をかけた青春群像が描かれている。すなわち陰湿に対して明るさ、閉じられた官僚体質に対する開かれた自由闊達。なによりも内ゲバとリンチという暴力性が、共産党(旧左翼)の査問─仲間への不信と党無謬性に発生の源泉があったわけで、全共闘に特徴的なものではない。それを継承した革共同などの党派とは、ブント全学連(新左翼前期)の大衆性が遺産として認められた全共闘(新左翼後期)とは質的にはちがうものであった。七〇年の党派の内向きの暴力性は特殊でもなんでもなく旧左翼のパロディにすぎないのである。小熊ら文化左翼は、負の遺産をもって七〇年全共闘運動の暴力性を一括りにして嫌悪し、それの否定的言説に終始している。六〇年ブント全学連も内部に革共同を抱えて執行部は苦慮した。全共闘も党派と混然となって高揚したが、最も強大な組織を作り上げた日大も東大も無党派が議長を務め党派が連合する形をとらざるをえなかった、まさにそこにこそ全共闘運動の特色があったのである。それゆえに研究対象にする場合は、予断のない内在的な分析が大切なのである。」
(拙著『擦過のひとり―唐牛健太郎』より抜粋」)

佐野眞一の『唐牛伝』の読後感想の中の一部抜粋である。

添田さんは1976年慶應大卒のようだから、私より5年ほど下になるのかな。このわずかな世代的ズレは、社会運動を受け止めるときの感受の仕方に大きな違いがあるように個人的には感じてきた。このSEALDs評価にもそれがあるなーと思った。これは当否を越えて当然ではあるのだが。

SEALDsの根本的な問題は、管見の限りでいえば、「戦後民主主義」の「保守」という点である。
これには私(敢えて一人称にしておく)は首をかしげる。私は「戦後民主主義擬制」を潰せと叫んでいたから、時代もかわったなと。小熊英二などは歴史学者でも社会学者でもないイデオロギストだから、全共闘は「戦後民主主義」を「否定」したと間抜けな断定をして総すかんをくっている。だから小熊もSEALDs大絶賛なのです。全共闘は「戦後民主主義」は「君主制」と「民主制」の接ぎ木でどちらの側にも立てる、「民主主義が不徹底だから真正民主主義を徹底せよ」といったのです。「否定」はそういう意味なのです。

SEALDsはこの憲法を守れというが、帝国憲法の改定で、第一章が天皇規定で始まるこの憲法を守れといいます。私は主権在民で始まらなければおかしいと思っています。この構成の仕方が「戦後民主主義」の性格を規定しているとみています。天皇批判はいまだタブーという「民主主義国家」。
理念として継承しようと言っている側面は同意できますが、その理念がこの憲法のもとで空洞化されてきた現実をどう考えるのか。
そこがないと、理路の必然として重大な欠陥を導いてしまいます。
どのような欠陥か?

SEALDs「戦後七十年宣言文」
満州事変に端を発する先の戦争において、日本は近隣諸国をはじめとする多くの国や地域を侵略し、その一部を植民地として支配しました。多くの人びとに被害を及ぼし、尊厳を損ない、命を奪いました。
(SEALDs・HPより)

根幹となる宣言文でしょうから、それなりに推敲したとは思いますが、私はSEALDsの当然としている認識には頷けない。
満州事変に端を発する」戦争だけを問題とするなら、日本近代の帝国主義(今の「ニッポンすごいの」の根拠)がスッポリ問題の対象から抜け落ちてしまうのです。
安倍総理や保守派の反省めいた談話もこの「満州事変から」がという歴史的区分が常套句とされている、それと同認識なのです。
そこには、明治維新以降ひたすら帝国主義的植民地化を突き進み、沖縄、台湾、朝鮮、南太平洋諸民族を武力侵攻し、抑圧と収奪の問題が抜け落ちてしまうのです。
言葉があれば認識はあるのだという問題ではないのです。それらがテクストとして論理的に定位―すなわち実質が押さえられているかどうかでしょう。
このアジアへの植民地支配についての発言が、アジテーションした学生たちにほとんど見られないということは、SEALDsの性格を物語っていると思います。
この視野狭窄は、安倍自民党と同じ座標軸を基準にしていると私にはみえてしまいます。
全共闘世代は身近にベトナム戦争があり、朝鮮の熾烈な軍政独裁があり、いやでも肌が触れてしまったこともあるでしょうが、SEALDsにはそれが欠落しているのではないでしょうか。彼らの内向きになったこのマインドは問題とせざるをえないのです。

SEALDsが、戦死犠牲者の死を無駄にしないように憲法を守ると言うときも同様です。
彼らが戦死者というとき、日本人の軍人が主な表象ではないか。日本人の300万人だけが無意識に前提されていないか疑います。日本の侵略によってアジア人2000万人の死者が即座に表象されているのか、文脈ではうかがえません。

これでは同じバラダイムで護憲/改憲の二者択一の一方のイデオロギーをなぞっている、「戦後」という現在的危機を越えていくものにはなりにくい。

「私たちは、戦後70年で作り上げてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。」(添田さん引用、SEALDsのHP)

とSEALDsは述べています。

これに添田さんは解説をしています。

「彼らの出生年次が1990年代の後半、つまり「55年体制」の崩壊期にほぼ集中することを考えあわせれば、彼らがイメージする「自由と民主主義の伝統」とは、この国の戦後復興にはじまり、高度成長期をへてバブル期にいまでいたる70年間をつらぬいていた普遍的な何かだろう。それは親世代が生まれ育った時代の記憶をもはらみ、もっというなら彼らがじぶんの成長の過程で肌感覚として受け止めてきた世の中のメンタリティまでをも含んでいるのではないかと想像する。
彼らの運動理念にとって必要のアイテムであるとすれば、戦後に制定した日本国憲法こそが、そうした彼らの呼吸してきた時代そのものを、理念的にも実体的にも象徴しえていたからに他ならないだろう。」

的確な解説でそのとうりだろうと思います。
であればなおさら、進歩的知識人の戦後啓蒙や、小市民護憲運動とどうちがうのだろう。

戦後民主主義」の旗手丸山眞男が植民地朝鮮、軍隊朝鮮駐屯体験をまったく書かなかった。
天皇を「象徴」というあいまいな、しかし国民「統治」の実質的蝶番として残し、国事行為、議会の開会宣言をするなかでの民主主義。
天皇批判を許さず、天皇がらみの小説は発禁、映画は右翼の抗議テロのままに野放しにしてきた戦後民主主義
自衛隊は合憲、という解釈改憲
沖縄はいまだ準戦争継続状態。
これらは全て、アジア侵略の帝国主義言説を無化し、ひたすら日本の戦争肯定派(戦後保守・右翼・天皇制)側の主導的連続性の中で、「戦後民主主義」派と「戦前戦後連続」派の合作による一国繁栄論で、戦後も遂行されたアジア抑圧と収奪を遠景に遠ざけた、その「成果」としての「戦後」ではないのだろうか。
アジアの学生や研究者の論文を熟読した学生がいるのだろうか。読めば戦前とまったく同じ構造が横たわっていることがわかるはずだ。
SEALDsが、安保法制で「他国の戦争にまきこまれる」という一国平和主義の発言はそういうところから出ているのだろう。

そうした「戦後」の「戦前戦後連続派」によって脱色され、不都合は消去し、責任を問われる事象は顔を背けてきた、「戦後」の私たち大人の怠慢のなかで、「暖かく」「ゆるく」育ったナイーブな学生たちなのだ、と私には感じてしまうのです。

そうした一国繁栄(今は幻だが)の視野狭窄、猫も杓子も内向きになった日本言論のあだ花なのではないか、と思う私などはもう古いのでしょう。
彼らに期待する以外にないので、消えゆくオールドリベラルの繰り言を言わせていただきました。

(FACE BOOKより転載)