骨抜きにされた桜宮高校教師の発言--文教政策のもたらす荒廃

(1)桜宮高校教師のインタビューは驚きである。入試中止してもなんにも変わらない、逆効果になる、新しい教師をいれても変わるかどうかわからない、体罰一括りにしてるが少しは必要だ、三年生の進路雑務で体罰に取組む余裕はない、これが当事者のバカ正直な意見だ。自らが再発防止させる気はない。廃校せよ。


(2)入試中止して逆効果になるという桜宮高校教師の発言は、自らが再発防止に取組む余裕はないと放擲していながら、逆効果になるという評価を独善的する根拠はなにか?自分達の再発防止プログラムを問われている局面ではないか!自分の教え子が自殺しているのに、体罰は少しは必要だと平然と発言する。狂気 。


(3)桜宮高校教師にを覆っているこの不気味な空気は何なのか?どのような批判にも耐えて、少年の自殺への責任をとる主体的取組もなく、再発防止に向かわない教師。忙しさと市長介入を理由に他人の責任に転嫁。新しい教師が来ても体罰はなくならないとうそぶく教師なら、確かに悪貨が良貨を駆逐するたけだ。

以上朝からのツイートである。

断っておくが、私は橋下はじめ教育への政治介入を無条件に認めるものでも、ただ教師が悪いと叩くことで鬱憤払いしたいわけでもない。
いわば教師への期待である。教師は政治圧力に抗して、専門家として責任を全うし、生徒の自殺再発がない新たな指導法の確立を願っている。その一フェーズとしてこのブログを書いている。

さてツイート(1)は今朝のテレ朝モーニングバードの放映である。

自民公明と野党の合作で、日本の文教政策はここまで荒廃した教育現場を作り上げた。

この教師は多数派だという意識があって、堂々と身内と親の意見を代弁しているのだろう。

これでは橋下の政治介入は益々強めるばかりだ。

教師には自殺少年の死も、風景の一コマにすぎないのだろう。

であってみれば、入試中止など非日常性を持ち込まれるのは迷惑千万、自殺した少年も迷惑千万、舌打ちをしている教師たちの裏の姿が目に浮かぶ。

どのような政治介入があろうとも、教師は生徒の未来を潰した責任と、専門家としての自立的で教育の内在性に沿った再発防止への主体的取組から免れるものではないだろう。

それを放擲したとき、教育は自壊する、いやもうしているのかもしれない。


そして誰の演出かしれないが、一昨日は市役所でマスコミを集めて入試中止反対記者会見をした桜宮高校体育会系生徒の、精神の荒廃も際立った。

私の感性からはとてもあのような行動を仲間が自殺した直後にはとれない。
打ちひしがれ、教師と学校への直接的抗議の気持ちで、とても授業どころではないはずだ。

年寄りの繰り言かもしれないが、私たちの学生時代の感性について以下のツイートをしている。


□68年の全国学園闘争の発端は、東大医学部の学生達への不当処分だ。教授会が抗議行動の現場に居なかった数人の学生を業務妨害で処分した。間違いが発覚しても権威主義の教授は撤回しなかった。 学生は仲間の不当処分に怒り瞬く間に全学部へストライキは広がった。仲間のことは自分のことだった。


□68年の全共闘運動が燎原の火の如く拡がったのは、京大生山崎博昭の機動隊による撲殺が発端といってよい。それまでは極少数の党派活動家だけの運動だった。多くの学生が新聞を見て泣いた。同じ学生の仲間が殺されたという悔しさがバネとなり以後多くの高校大学生がデモに参加した。仲間は自分のなだ