ウクライナ戦争二年、戦況硬直化の中の支援について

各地の数か所の市民団体から、二年たってウクライナ戦争に対するコメントを求められた。
私のような素人に求めるのは、初発のウクライナ戦争論が、恥ずかしながら専門家の発言に拮抗するものとして理解してくれた「現場」の妥当性があったものと思う。
ただの市民運動の端くれだから、今の硬直情況でもニュースに心を痛めるだけで思想を深めているわけではない。
それでも、みんながそれぞれ意見をすり合わせることが、大事なので、以下のような思い付きのメモを送った。
連絡します。
ウクライナの膠着状態で、みんな頭を抱えていることでしょう。
私は、この戦争は大国の思惑で管理された戦争と見ています。
十分論稿にするほどの熱意もなくなっていますので、コメント程度のことしか言えません。
管理されているので、ますますウクライナ支援をしなければと思うのです。
専門家や外交官が、国家を主体に、国家間ゲームとして語りますが、
私は一貫として人民のレベルで語ろうとします。
すると、ウクライナ人民は、ロシアから独立しようとする戦いを選択したという点で支持、
二つ目は、管理されているため一方的にウクライナ人民は非戦闘員であってもロシア軍から殺される。
だがロシア人民はウクライナ軍からとりあえず攻撃をされないので死なない。
この非対称性は、この戦争のウクライナ支持の決定的動機となります。
更に、ウクライナ政府から、徴兵動員され、男子は国外退出を禁じられている点でも、ウクライナ人民は自国の政府から戦争死を強いられている。
つまり、人民のレベルで語るとウクライナ人民の過酷さを思わざるを得ない。
これは国家を相対化する重要な視点です。日本政府と似て非なる支援です。
国家の歴史や国家の自国利益がらみの支援と離れて、人民による人民への支援が位置付けられる
必要があると思います。
従って、戦争をどうするか、停戦するかどうかはウクライナ国民の判断として、安全圏から高踏的に日本人がとやかくいうことは差し控えるべきだと思います。
支援内容は、ウクライナ国民の要望に沿った生活物資は従来通り、戦争忌避のウクライナ国民は全て避難民として受け入れる、ロシア国民の戦争忌避者も亡命者として受け入れる。
これは条件とか確認とかも必要かもしれないが、素人なので専門家の吟味に委ねる。
つまり、戦争から逃げたい人々の逃避地帯にするということです。
私たちは、過去にベトナム戦争で、戦争忌避米兵の逃亡を支援した経験があります。
ウクライナ国民もロシア国民も、戦争忌避を積極的アナウンスして亡命を促す。
(多分ウクライナ政府が最大の枷になるでしょう。ウクライナ国民が厭戦になれば当然敗北する。
しかしそれはウクライナ人民の選択として任せる事)
そのための避難の秘密ルートや、政府への法的にも生活条件にも整備を促す要望を検討する必要があるでしょう。
何の調査もせず、思い付きで今後の支援の在り方をメモしました。

 

これが個人でできるとは思わないし、いま鶴見俊輔小田実もいない。
空想で終わらせるか、人民の支援にするか、ロマン主義にしないことが大事だろう。
近代社会の設計図も‘無名の妄想思想家‘によって描かれたのだ。
カントは、狂気について新しい創造の起爆剤だと述べている。
狂気の例としてルソーに言及し、「この夢想家の熱狂がなければこの世界においては偉大なことは何ひとつとして遂行されなかった」と言い切っている。
その時代の権威となっている知識階層を知的に凌駕した。今は多くの賢明な人民がはるかに多いが、マスメディアによって人民自身が権威に拝跪し、集合的権力を形成し、人民による人民の抑圧が圧倒的に気づかないうちに行われている。
国家間ゲームの語りから人民(マルチチュード)の歴史記述へ、
これは私の世界平和戦略の「9条インターナショナル」、国家の相対化へつながるものだと思っている。