ネグリのマルチチュードは「世界市民=流民」と再定義しようー2つの戦争からー

パレスチナ戦争もそうだが、イスラエル国民は右派=ネタニエフを倒せないだろう。
(本日11/29のニュースでは、大統領の適任者としてネタニエフより元国防相野党党首が支持率3倍だと。理由はよく分からないが、パレスチナ和平というより、おそらくハマスに攻撃を許した失策を批判したものだろう)
国民自身が、ガザでも西岸でも日常的にパレスチナ人を虐待殺害したツケが回ったという認識がないだろう。
ホローコーストの総括に、アレントは適確だった。
ユダヤ人自身の問題を正対して、単純なナチスドイツの責任転嫁をしていない。
ユダヤの歴史から、ユダヤ人が政治に無関心であり、世俗的な上昇志向で民族としてのアイデンティティを確立しようとした。
 ヨーロッパの政治的場面にユダヤ人が登場しえなかったことが、ホローコーストを招いたと記したのだ。
被害者はいつでも加害者になる。
私がウクライナ戦争論で、専門家、識者の論評が全てダメだと批判したのは、人民の意向を無視し、国家を主体に国家間ゲームとして論じるからであった。
ゼレンスキーが大統領に就任して、すぐ支持率が約80%から30%まで急落した。原因は、彼がロシアとの協調姿勢をみせ、第二次ミンスク合意を話し合いによって実施すると受け取られたためであった。
それが、ロシア侵攻を受けて、ゼレンスキーがキーフに留まり戦争を選択した途端に90%まで回復したのである。この点にフォーカスすれば、単純にアメリカの代理戦争だとかロシアの反西欧主義=大ユーラシア主義でプーチンの言い分も分かるなど単純化はできないはずであった。
人民の在りようの中にしか、戦争の本質が語れなくなった、特にグローバリズムの負の連鎖の中に唯一刮目できることは、金融主義がグローバリズムとして、一見国境を超えた経済の自由を実現しつつ、内実は複雑化したシステムをコントロールするには国ごとのシステムとオペレーションのため国力が重要なキーになった。こうしてグローバリズムは世界諸国のナショナリズムの強化に突入し、自国強化の独裁権力に流れる傾向に拍車をかけた。
しかし一方、世界の人権意識の高まりと資源確保の難しさから、先進国の植民地構造ー搾取構造が後進地域で維持できなくなって、先進国は自国民内部に搾取対象を作り構造化した。それが貧困と分断である。そのなかで刮目すべきは追いやられ分断された各国国民はそれぞれ反グローバリズムの声をあげ行動を過激化した。過激でないのは低賃金のままの日本だけだ。
すなわち「世界市民」の登場だ。(ベトナム戦争時も戦場が初めて映像で茶の間に流れて世界的反戦反帝国主義がおこったが、今回は宇宙衛星画像とSNSの発達が同様な現象をもたらしている)
ネグリの変革主体でいうマルチチュードともいえる存在だ。
もっともネグリのは曖昧でそんなものが変革の主体となるわけがないと批判されているが、私はプロレタリアなどという貴族化され固定化された人びとではなく、各種階層の「流民」がメディアでいうところの「世界市民」であり、先駆けているフェアレスシティーの「共同自治的市民」であろう。私は自分が故郷喪失者の「流民」だと自己規定しているので「流民」という言葉が好きだ。だから積極的な意味として再定義したい。
改革の根本的な地殻変動を担っていくのは、「流民」という「世界市民」だろうと思っている。