山田太一監督、長いご無沙汰したまま逝ってしまった。そして市川正廣さんの秀逸な映画「福田村事件」批評

山田太一監督逝去。
真面目で人を見て対応を変えるようなところのない正攻法の生き方をした人だったように思う。
若かりし頃、同志社プロダクションでシナリオや映画批評をしていた。顧問は鶴見俊輔だった。
大学院も行く気を失くした頃、三上隆府会議員(荒神橋事件の首謀者)の秘書をしていたが、こりゃヤクザになっちまうと恐れて、正業に就いて結婚した。
その頃山田太一のシナリオ教室を知り在籍した。在籍というのは、忙しくなって1年ほどで続けられなくなり本当に席を置いたといった程度で終わった。
 というわけで、映画については夢叶わなかった分厳しいのだ。
週刊金曜日」を図書館に読みに行った。
 ■映画「福田村事件」についての批判があって、大いに共感し
  た。
  前評判の段階で、実は何か違和感があって、結局観ていない。
  だが、市川さんの批評で予感は当たっていた。
  福田村被害者慰霊碑保存会の市川正廣さんが、適確な批判を
  していた。
1.加害者側を描いたが、被害者側から描いて欲しかった。
  柏市民への全員が残忍な人だと思い込み抗議やネットの誹謗 
  中傷が激しい。そもそも暴力的な軍人が村を支配していた
  わけでもない。暴力が集団に拡大していくところを描きた
  かったらしいが、そこに差別の本質はない。
2.朝鮮人と間違えたのが、讃岐弁が朝鮮語に間違えられと言
  うことになっているが、事実と違う。
  犯人たちが、事件後罪を免れるための言い逃れの理屈と
  した、というのが真実。つまり、他でも朝鮮人が多く殺害
  されたと言うではないか、自分たちも朝鮮人だと思ったので
  やったんだ、だから免罪してくれと。讃岐弁と朝鮮語が区別
  つかないことは、いくら田舎でもありえない。むしろ犯人が
  朝鮮人なら許されると思い込む差別構造こそが問題なのに、  
  そこが描かれていない。
  事実は、軍から「不逞な行商人」など何種類かの人種を排
  斥せよという通達が出ていたためだろうと、市川さんは
  指摘。
3.被害者は讃岐では被差別民であった。
  原作では、筆者が説明に「みすぼらしい」一行という表現
  が不用意に使われている。部落民は「みすぼらしい」とい
  う差別側の上から目線で描いている。
  市川さんは怒っている。
  讃岐の当時の被差別部落民にとって、働く場所も生活も困難
  で行商は彼らの活路であり、れっきとした仕事であった。
  身なりも特別みすぼらしいこともなかった。この視線は明
  かに差別者のものだと。
  なお、この個所は、原作の第3版以降削除されているとの
  こと。
  なお、史実では、被害者5人が香川へ帰って警察へ訴え出
  たが聞き取りをしただけで黙殺されている、これこそ重要な
  事件の本質であって、描かれるべきテーマではないかと。
市川さんはこの事件を長年調査してきて、監督にも協力された。
市川さんは、監督に「フィクション」だとテロップを入れてくれ
と要望したが、かなえられなかったと残念がっていた。
以上記憶できている点だけを述べたが、どうもよく分からない
映画だ。
私は、最初からなぜ「藤岡事件」という正真正銘の朝鮮人殺害、しかも警察と村民が一体となった凄惨な大量殺害事件があるのに、そっちではないのかと残念だったのだ。