豊中市長選に維新の会は候補者擁立ができない!そして日本的平和言説の感傷。

豊中市長選に維新の会が候補者を擁立しないとのこと。
市長になりたがっている市議が、評判悪くて無理だと判断したという噂だ。
維新自身が評判悪く、無理だというのだからかなりひどい奴なんだろう。
退職させられた池田市長のように、サウナ持ち込んだり、好き勝手させては、豊中市民がアホだと評判を落とす。
池田市は、選挙やりなおしても維新の会の女性市長を当選させた。周辺市の市民は、池田市のイメージが落ちたね、池田市民は何考えているのかと民度の心配をしている。
豊中市は、一応学園都市だ、森友学園も潰した、市民のまともな判断力には維新は勝ち目はない。
橋下が維新の顧問弁護士を辞めて、TBSは芸人との出ずっぱりを批判され出演をさせないようだ。
岸田政権との関係も疎遠で、安倍のようないびつな主張を共有しないから、自民党支持者が戻ってきて、維新は孤立化していくだろう。
そうなって早く潰れて欲しい。
ウクライナ戦争は、戦争である限り残酷で会って、それを前提に語るしかないのだが、どうも残酷だから戦争反対というトートロジーが目立つ。
残酷な中にも、人類は時代に即した反省から、ルールを設け、戦時秩序を持とうとしてきた。
それを無視すれば、それは悪であり、指弾させるべきだ。
文学や感傷は好きなように語ればいいが、私はそういうものに興味はない。
それをもって、戦争の残酷さ、無残さ、卑劣さ、を希釈するつもりもない。
そういう言説は、主観的な嗜好でどちらかの陣営を擁護したり詠嘆したりするのが目に見えているからだ。
主観的な着地点を先験的に設定して、それに言説を誘導する。
するべきことは、ただでさえ「人間の終焉」、「ポストモダンの終わり」といわれ、倫理が希薄化したなかで、今起きている戦争を終息させ、戦争犯罪を明示して、その国家の解体と世界平和への未来図を描くことである。
そうした言説のあまりに少ないことに、
アメリカと日本の戦争にどれだけ向き合ってきたのか、それが問われるのだが、
それは悪だったとしても、ウクライナ戦争のロシアの所業を許すことはできない。それは同じ戦争の悪を遂行しているからだ。
言説とは危険なもので、
被害を被る方に、批判的な言説量が多くなれば、加害の方を擁護することになる。
アーレントも暴力問題で似たようなことを言っていたはずだ。
日本の言論は、そのことに無頓着である。
これは学校のいじめが、被害生徒を転校させて加害生徒をそのままいさせるという、転倒した処置に似ている。
橋下徹の言説がなぜ危険か、それはまさに権力を持たない被害者を必ず批判し、「強姦された方にも非がある」的論理スタイルを常用しているからである。
今回リベラル含めて、一斉に「橋下徹スタイル」に陥ったのは看過できないことで、まさにアーレントが、政治体制以前に、こうした言説がもっとも人々を荒廃させると指摘していたことが、日本で起こったということだ。
そして、フランス大統領選では、マクロンが極右ルペンの追い上げをくって2ポイント差だとか。
このルペンは、NATOと距離をとれ、といってこの戦争に巻き込まれるなと主張。
この論理、どこかで聞いたことないか?
日本のリベラル、特に九条護憲派と同じなのだ。
そして、あのエマニエル・トッドが日本の核武装
提言したとのこと。
明日「文藝春秋」を買ってトッドを読もうと思う。