プチ多忙でしたが、アップするのもどうでもいいようなものでした、億劫で放置。
先日は、鈴村稔さんのウクライナ支援の個展を挨拶がてら鑑賞。共同開催となったウクライナ人女性の作品もあり、カメラマン、陶芸、俳句が趣味の東大教授建築家となんとも多才多芸な人だった。ただ、俳句朗読を誰かがやったのだが、やはり外人俳句で日本の俳句とは異種のものだ。どこかの句会に出入りしているようで、連れの老婆が沢山きていたが、聴いていると、俳句は庶民の文学ですからナンチャラ言ってるわけです。こういう認識している段階でこの句会は勘違いしてるんですね。俳句は戦前盛んだったが、それでも俳人は4000人いたかどうかだと師匠の六林男は行ってましたよ。相当修練しないと無理なのです。外人俳句は、モドキであって、相当日本語に熟達しないと、まず韻文になりません。韻文が解らないのです。喩の多層的使用と切れなんてのもなかなか分かりません。ま、モドキで楽しむ分には好きなようになさればーというとこですね。すぐ近くに鍵善良房があったから、久しぶりに「くず切り」を食べてきた。黒蜜と白蜜が選択できますが、黒蜜がおいしいです。気絶するほどうまいです、お薦めします。学生時代バイトをしてましたから懐かしく、京都訪問ではほぼ必ず食べて帰ります。
マスコミを騒がしている自民党の数多の不祥事、この種の問題を扱ってビジネスの活況をていしている関係者にまかせて、冷ややかに眺めるしかない。もう飽き飽きしている。
原因も対策も解っていながら、なんの手も打てない状況は、もった根源的に問うしかないのだ。底の抜けた政治社会は底の手当が必要だろう。あらゆる言論が底に届いていない。
外人が褒めたたえる日本の治安の良さは、諸刃の刃で、政治街頭闘争を消滅させた原因でもある。またしても、外人に褒められると身動きがつかなくなる国民性。
散発的に噴出する通り魔的犯罪だけが、意思表示として日常の淀みを破砕してくれる。
明かに異常だろう。
(その他)
詩人添田馨氏の「中島みゆき」論拝受、未完のようだがかなり分厚い。