以前にも、知識人たちのウクライナ戦争即時停戦の呼びかけを批判しているものを転載させていただきましたが、より九条からなぜそれが九条の趣旨から逸脱し、間違った平和論を普及させ、ひいては国際平和秩序の再構築を阻害するものになるか、明快に論じています。
私は戦争勃発直後ほとんど資料がないなかで『ウクライナ戦争と日本の論評についてーリベラル派の言論を撃つ』(飢餓陣営vol55)を書き下ろしました。
その論拠が深草氏の論拠と全くおなじであったわけです。関東の労組、市民団体の一部でかなり共感を得ましたが、マスコミには無名の私は、左派の権威主義のなかで活動家レベルに普及はとどまっています。
九条の解釈の本旨は、日本中心主義(巻き込まれるな論)ではない、まして心情的暴力忌避論でもない、国際平和主義であると論じ、日本の護憲論者は肝心な国際平和論を欠落していると指摘しておきました。
従って深草氏同様、国際法順守義務の常任理事国ロシアと被侵略国ウクライナを同列において、ロシアにも言い分があるなどというたわごとをいったり、どっちもどっちだというような稚拙な論理は、多国間主義のブロック化をもたらし、アーレントの指摘するように絶対権力を喪失したなかではむしろ戦争リスクは高まるわけです。それが見えない護憲派は劣化であると批判しました。
そして重要なのは、国際秩序の主語国が自ら破ったとき、米国も含めて、諸国はどう対処していくのか、という観点を抜きにした即時停戦論は、大国同士の思惑で、ロシア有利に調停が進むことは明かでしょう。
事実第二次ミンスク合意をマイダン革命後のゼレンスキー政権が拒否したのは、それがポロシェンコ政権時に独仏のあっせん案で停戦していたため、ウクライナとしてはとても実行できる代物ではなかったのです。メルケルがロシアの侵略姿勢とNATOの経済圧力強化方向、特にアメリカのウクライナへの武器供与姿勢への危機感から、精力的な調停に入ったが、ロシアの強行姿勢により第一次ミンスク合意以上にロシア有利の項目が上乗せされたため、NATO諸国はとても実施されるものにはならないだろうと危惧しました。調停を終えてメルケル自身「ほんのわずかな望みではあるが」ともらし、ロシア次第だという言い方で危惧もらしていました。
詳細はとばしますが、戦後国際秩序構築こそ、九条の役割。
国連の改革と国連軍設置、それに伴う加盟国の交戦権の発動禁止、そのために私は「九条インターナショナル(仮称)」の創設を提案しています。
歴史的に視て、私はカントとヘーゲルが最も平和について深く考えた思想家だとみています。ヘーゲルはカントを批判しましたが、ヘーゲル方式では、今回のように国際平和秩序義務の覇権国(常任理事国)が義務違反をした場合、警察国家であった米国が直接介入によって武力的制圧もせず、調停も放棄し、ロシアの戦争やり放題を許してしまったという点で、破綻したと言えます。カントは、人間は戦争をやるものだという前提に、そのつど漸進的に平和システムを作るしかない、事実そうしてきたと述べています。そして「統治理念」という概念によって年月をかけて平和システムを永遠の努力をすべきであるというリアリズムを提唱しました。
私の構想は、カントとヘーゲルを理念的にも実践的にも統合したものです。国連軍と国家の交戦権剥奪という段階的平和システム構築のカント方式による世界平和秩序構築とするとき、ヘーゲルの覇権国にとって代わる国連軍がカント方式とクロスすることで統合された国際秩序を生み出せると考えています。
実際、九条の原案となったアンバートンオークス会議では常設国連軍構想(この時は常任理事国のこと)は出ていたはずでした。
以下深草氏の論稿です。
9条は、第1項で戦争・武力行使を放棄し、第2項で戦力不保持と交戦権否認を謳っています。これが徹底した非軍事平和主義を日本政府と国民に課したものであることは明らかです。しかし、これは決して無条件・無前提ではありません。このことから言えることは、9条は、非歴史的・抽象的な非軍事平和主義を宣言したのではなく、戦争と平和に関する国際法の確立、とりわけ国連の創設と国連憲章の制定に至る歴史的経過を踏まえ、この人類の歴史的偉業をさらに推し進めるとの立場から「正義と秩序を基調とする国際平和」の確立とともに徹底した非軍事平和主義を宣言したものだということです。すなわち、9条の真骨頂は、日本政府と国民は、「正義と秩序を基調とする国際平和」を確立することを通じて非軍事平和主義を実現させる義務がある、逆に非軍事平和主義を実現することを通じて「正義と秩序を基調とする国際平和」を確立させる義務があるという二重の規範性にあると言ってよいでしょう。さて、わが国政府は、ロシアに対し、ウクライナ侵略は重大な国連憲章違反であり直ちに攻撃をやめ部隊を国境外に撤収すること、及びウクライナの抵抗を支援することを宣言し、その立場で行動してきました。しかし、同時に、わが国政府は、ウクライナ侵略戦争が始まってから、ウクライナのようにならないためには抑止力を強化しなければならないと国民を煽りたて、昨年12月、敵基地攻撃能力保有と2023年度以後5年間に43兆円という巨額の軍事費を投じて大幅な軍備増強を策する安保三文書を閣議決定し、それを実行しようとしています。これはアメリカの年来の要求に応じるものでもありました。国民の多数派もこの政府の決定と実行を支持しているようです。しかし、これは9条が、「正義と秩序に基づく国際平和」の確立を通じて非軍事平和主義を実現すること、逆に非軍事平和主義を追及することを通じて「正義と秩序に基づく国際平和」を確立する」ことを日本政府と国民に課していることに背を向けるものだと言わねばなりません。軍備拡大により抑止力を強化することは19世紀、20世紀のパワーポリティクスに固執するものです。9条は、それを拒絶し、戦争と平和に関する国際法を整え、国連を創設し、国連憲章を制定してきた人類の歩みをさらに推し進めることを日本国民の義務としています。国際法・国連憲章に基づき、ロシアのウクライナ侵略戦争を非難し、侵略をやめろ、軍を撤収せよと要求するならば、その肝心かなめの国際法・国連憲章をより強固にし、国連中心主義に立ち「正義と秩序を基調とする国際平和」の確立のために努力しなければなりません。