戦争は継続するうちに敵国同士似てくるし、似てこなければ勝てない。
その中で、勝利はわずかな差によって決定する、というのが近代の総力戦である。
そこは注意しておかなければならないでしょう。
YouTubeを観て苦笑してしまったの巻。
ウクライナ戦争の即時停戦発言の知識人らは、とてもいい発信ではあるが、釈然としない。
細かい中身にはいくつもつっこみができそうだが、それはまたの機会にして、基本のところを述べておきたい。
まず、吉本隆明の口吻を真似れば、だれもが正しいと思うことを、安全な場所からいうことは誰でも言える、ということだ。
これは自己の安全の限りで、安全の範囲で、身の危険や己が傷つくようなことはほとんどない。日本の知識人や言論人の権威主義は相も変わらずだなと思ったものだ。
この知識人らの後で、参加者から質問がでたが、私と似たような感想と質問をしていた。
緑の党代表杉原こうじの場合。
ウクライナへのリスペクトがなさすぎるのではないか?
「侵略と抵抗」という問題をどうかんがえているのか?(これへの回答はなかった)
次の質問者元週刊金曜日植松青児も同様の感想を述べた。
私も全く同感だった。
知識人は独りもロシアの責任論を語らず、羽場などは米NATOの東方拡大とミンスク合意をゼレンスキーが破棄したためであると平然とファクトを強調しながらファクトの片面だけに言及するという、やはりどう聞いていてもゼレンスキーの問題に還元する印象を与えた。
ミンスク合意は、合意内容が治安優先か政治優先かで解釈に齟齬をきたした結果であり、ワグネルなどをまず撤退させよとウクライナは言ったが、ロシアは内政問題と突き放して関知しないと二共和国独立を承認したわけで、これはロシアのごり押しというべきだろう。
この仲介を精力的に行ったのが、そのころからプーチンが変わったとぼやき始めたメルケルであった。メルケルは何とかこぎつけた合意の後の会見で、実行されるかどうかはプーチン次第だとわずかな期待はそれ次第だと述べている。つまり変わりゆくプーチンをみて、最大限プーチンのメンツを立てたという意味だった。
和田は米国の代理戦争だというし、伊勢崎はウクライナは緩衝地帯にしておくべきだと、自分の停戦監視団の実務経験を語るのだった。
当事国ないし国際合意として緩衝地帯にするならいいが、伊勢崎がいきなり勝手にウクライナの希望を無視して緩衝地帯にするというのはおかしくないか。
そして極めつけは、植松青児の質問だった。
和田に対して、「停戦の宣言文」をなぜウクライナ語に翻訳しなかったのか、と質問した。
もうこれで、彼らの延々と専門家らしき学説の下になにがあるのか氷解した。ウクライナなど緩衝地帯の国なのにロシアにたてついても勝てるわけはないし、米NATOの代理戦争でドンパチバカげたことをもう止めろという本心を見て取った気がする。
杉原も、植松も、私も、何か違和感とウクライナへのリスペクトが感じられないという印象が沸き起こってくる根本に触ってしまったようだ。
和田の見立てが正しいとして、当事者のウクライナへ「停戦の宣言文」も送らず、蚊帳の外に置くとは失礼極まりないし、そもそもウクライナは今占領されたまま停戦する用意はないといっているわけで、即時停戦ならウクライナにも国境線画定ではなく戦闘の一時中止が停戦なのだから、休戦まで国連外交で決着をつけるから検討しろというべきではないか。ロシア侵攻前に原状回復を国際社会で保障するから、ロシアはそれを承知で軍を撤退させろと明確にいうべきではないのか。
和田らの本心は、ウクライナなどどうにでもなる、正対して寄り添う国ではないという無意識が透けて見えているように感じたわけだ。
また外交的にも、極めて失礼な話ではないか。
他にも、西谷修が杉原に噛みつかれた。
西谷はしどろもどろ、杉原は学者が根拠も示されないことを言うのはけしからんと執拗に食い下がる。
西谷は、口が滑ったすいません、根拠は私のただの思い込みですと弁明なり謝罪をすれば済むものを、とうとうはぐらかし続けた。権威主義のバカの正体見たりだ。
知識人がまとまってモノ言えば、世論に影響力をもち、下々の市民運動諸君もついてくるだろうみたいな話はもう古い時代のおとぎ話だ。