セロヒー・プロヒー教授(ウクライナ人)のウクライナ戦争の本当の理由❣

大変納得できるウクライナ人自身の見解です。

筆者がウクライナ戦争勃発当初からの基本的認識を共有するものです。

以下朝日新聞デジタルのセルヒー・プロヒー教授へのインタビュー記事です。

いかに日本の引退外交官や反米原理主義者や親ロシア利権派や乙女チック厭戦派が、ウクライナ人の自己分析を排除しているかが解ろうというものだ。

以下批評家佐藤清文氏による要約編集をお借りした。

《 ロシア軍のウクライナ侵攻に端を発した戦争は、昨年2月の勃発からすでに500日を超えても、終息の兆しが見えない。侵攻の背景に何があったのか。ウクライナとロシアは、これからどこに向かうのか。ウクライナ史研究の第一人者として知られるセルヒー・プロヒーさんを、研究のため滞在中の北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターに訪ねた。
NATO拡大」原因説は誤り
 ――プーチン大統領が侵攻に踏み切った理由は、いまだに議論を呼んでいます。一般的には、北大西洋条約機構NATO)の拡大に反発したからと言われますが。
  「NATO拡大をロシアがおもしろく思わなかったのは確かですが、それが侵攻を招いたという言説は誤りです。ゼレンスキー大統領は昨年3月、ロシアとの和平のためにNATOへの早期加盟を断念する意向を示しましたが、ロシアは合意しなかったのですから」
 「侵攻の目的は、単にウクライナを支配するためです。NATOうんぬんはプーチン政権のプロパガンダに過ぎず、言ったプーチン氏自身でさえ信じていません。ロシアにとってNATOよりずっと大きな脅威と映ったのは『オレンジ革命』でした」
 ――ウクライナで2004年、大統領選の不正に抗議する市民が街頭に出て、再選挙で親欧米政権を誕生させた民主化運動ですね。
 「旧ソ連の中でロシアに次ぐ経済大国のウクライナに民主主義が定着するようになった。その影響は計り知れません。何より、ロシアが確立した権威主義政権の正当性が疑われます。プーチン氏は『西欧型の統治スタイルはロシアになじまない』『欧米とは異なる文明のロシアは独自の道を歩む』と主張しましたが、自ら一体性をうたうウクライナ民主化によって、その論理が崩れるのです」
 「民主化したウクライナには、欧州連合EU)など欧米側の枠組みに加わる可能性が生まれます。『民主主義』は、地政学的な要素も含んでいるのです」
 「ソ連から独立した国の多くは、ロシアと同様に権威主義的な統治と発展への道を歩みました。民主主義を選んだ少数派の国の一つがウクライナです」
平等と民主的手法に基づいたコサック社会
 ――なぜロシアや他の国と違って、ウクライナは民主主義に進んだのでしょうか。
 「その謎を解くには、歴史をさかのぼる必要があります。ウクライナの建国神話は、近世のコサックの存在抜きには考えられません。ウクライナ国歌でも『我らはコサックの一族だ』とうたわれるほどです。コサック社会は、平等と民主的手法に基づいていたと言い伝えられます。このような認識が、現代の民主的な社会を築く意識を支えたといえます」
コサック
15~16世紀、現在のウクライナを中心とする平原地帯で、農民らによってつくられた一種の軍事共同体。アタマンと呼ばれる首長を選挙で選んだり、重要事項を全員集会で決めたりする制度を備えていた。ソ連時代に次第に消滅した。
 「ウクライナは、ロシア帝国ハプスブルク帝国など外部の大国に分断された歴史を持ちます。地域によって発展の形式も度合いも異なり、他を制圧するほど力を誇る地域も存在しない。これらの多様な地域が集まって独立国としてやっていくには、民主的な政府が最も機能しやすかった、という面もあります」
 「この状況は、18世紀建国時の米国と極めて似ています。全体を支配下に収めるほど有力な州がなく、結束を保つ手段として妥協と民主主義が使われたのです」
 ――つまり、ウクライナも米国も、市民が闘争の末に民主主義を勝ち取ったというより、民主主義が最も都合のいい手法だったと。
 「いわば『成り行き民主主義』ですね。ただ、成り行きで成立した民主主義は、意図して選んだ民主主義よりも、しばしばうまくいきます。逆に、無理して民主主義を選んでもなかなか機能しない地方が、世界にはありますし」
弱体化したオリガルヒ
 ――ウクライナでは、オリガルヒ(新興財閥)の存在が政治腐敗を招いていると批判されます。
 「オリガルヒがそれぞれメディアを所有することによってある種の多様性が保たれ、民主主義にとってプラスになった面が、ないわけではありません」
 「ただ、確かにオリガルヒの存在は、経済政治面の発展を阻害する要因となってきました。19年の大統領選に立候補したゼレンスキー氏は『脱オリガルヒ』を掲げ、就任後はビジネスとメディアを分離させる改革に取り組みました。その試みはある程度成功を収めたといえます。戦争の被害が大きい東部や南部で、そこを拠点とするオリガルヒの勢力がそがれたのも、改革に拍車をかけました」
 「オリガルヒは1990年代の台頭期に比べ、近年大幅に弱体化しています。その亡霊と戦うことに多くを割くべきではありません。現在のウクライナ経済を主導するのは、これら古い経済モデルではなく、農業やIT分野なのですから」
長引くほどロシア苦境に
 ――現在の戦争はどうなるでしょうか。
 「ロシアは今、ウクライナから併合したと主張する領土も国境も、統制できていません。自国の軍さえも、民間軍事会社が乱立し、制御できなくなっている。多くの若者が国外に逃げ出し、政権の正当性さえ疑われています。戦争が長引くほど、ロシアは苦境に陥るでしょう」
 ――6月には民間軍事会社ワグネルの創設者プリゴジン氏による「反乱」が起きました。
 「ロシア軍は冬の間、ウクライナで盛んに進撃を試みましたが、うまくいきませんでした。ワグネルはその過程で最も大きな損害を受け、だからこそ反乱に突き進んだのです。その目的は、プーチン政権を崩壊させることではなく、ショイグ国防相やゲラシモフ軍参謀総長の失脚でした」
 「試みは頓挫しましたが、反乱はプリゴジン氏自身の想像を上回る効果を生みました。ロシア軍も治安当局もなすすべがなく見守るだけで、市民の一部は反乱を支持する姿勢も示した。つまり、プーチン政権はもはや、危機を制御する能力も失い、その弱さをさらけ出しています」
ウクライナ市民社会、戦争でより強固に
 ――戦争が一段落した後のウクライナをどう見ますか。
 「困難はあると思いますが、私は楽観的に見ています。理由の一つは、ウクライナ市民社会が順調に形成され、腐敗撲滅運動に取り組んでいることです。その傾向は、今の戦争が始まって以降、より顕著になりました」
 「もう一つの理由は、日本を含めて国外の様々な機関がウクライナの改革を支援してくれることです。日本は特に、戦後の廃虚から復興した経験を持っています。ウクライナで生かしてもらいたい」
 ――ロシアはどうなりますか。
 「ロシアは90年代以降、『多極化世界』をモデルとして掲げ、EUや中国とともに自らがその極の一つになると考えました。実際には、今のロシアは、経済規模で世界の上位10位にも入りません。だからこそ旧ソ連を統合しようとしたのですが、政治的にも経済的にもその試みは失敗し、軍事的な手段に訴えざるを得なかったのが現実です。将来どころか、現在さえ見通せません」
逆転した中ロの立場
 ――あなたは著書で、ロシアと中国との立場が逆転したとも書いています。
 「中央アジア諸国を例に取ると、中国の影響はますます強まり、特にカザフスタンはロシアから離れ、独立した立場を取るようになっています。今回の戦争でロシアが軍事的な影響力を失った余波だと考えられます。中ロ関係は、今や中国が運転手でロシアは乗客。行き先を決めるのは運転手であって、乗客ではありません」
 ――国際社会の構図が大きく変わりつつあるように見えます。
 「今の世界を見渡すと、冷戦時代の対立に似ているようで、異なる面も小さくありません。何より、米国がかつてのような輝きを失い、自らが進むべき道さえ見失っているように見えます。だから、同盟国の日本やドイツに、より重要な役割が求められます」
 「ドイツが米国から国防費の増額を求められたのは一例ですが、45年に敗戦国となった日独でも今や、内部でその役割を問い直す議論が起きています。私たちは現在、第2次大戦以来の転換点に立っているといえるでしょう」
 「現在の戦争は、その破壊の大きさからも、世界への影響の度合いからも、戦後最大の規模になりかねません。日本も決して、無縁ではない。ウクライナは日本から地理的に遠いように見えますが、ロシアという同じ国と接しており、政治的にはずっと近いのです」
取材を終えて
 ウクライナに関して「腐敗がはびこる」「非効率でソ連時代そのもの」といった批判をしばしば耳にする。その多くの場合、語られるのは10年ほど前の、しかもロシアから見たイメージだ。
 そうした面が完全に拭えたわけではないものの、実際のウクライナは、特に2014年の民主化運動「マイダン革命」を受けて、大きな変化と改善を遂げた。歴史をさかのぼると同時に現在の情報の収集にも余念がないプロヒー教授が描くのは、こうして生まれた新しいこの国の姿だ。将来への楽観的な視座も、その営みから導き出されたのだろう。
 ただ、ウクライナは今、日常の案件すべてを脇に置いて、戦いに集中する状態にある。将来戦争が一段落すると、様々な問題が再び浮上するだろう。その時に向けて、軍事面にとどまらない多様な支援が必要とされている。(論説委員・国末憲人)
     ◇
セルヒー・プロヒー
 1957年生まれ。ウクライナ育ち。同国の現ドニプロ国立大学教授、ハーバード大学教授を歴任。著書に「欧州の扉」「ロシア・ウクライナ戦争」など。》
 
【参照】