いやでも虚像を創られて、その中に生きるネット社会の怖さ⁉

単著を一冊でも出しておくべきだったとつくずく思う。
ネット上のデータ消去をしていると片手間にやっていた俳句の片鱗ばかりだ。
反戦平和の批評、また哲学の一部がライフワークだと自認しているのだが、そうした論稿の方が多いのだが、狭い同人誌レベルに書き散らしたままなので世間の目に触れることもないのだろう。
昨年某出版社から評論集を出さないかというお声掛けもいただいたが、また原稿の見直しをしなければならないと思うと面倒臭さが先に起ち断った。このデータ消去が先にきていたらと思わないわけでもない。
しかし、今は娘のことを考えるとそんなことは言ってられない。
 残された時間は、やらなければならないことはハッキリしている。
もう自分のことはいい、父親として人間としてやるべき天命が降りているのである。
余命のカウントダウンが開始されたら、「何をしないか」だ。
しないことの選択は、意外に苦しい。
おそらくそれは逆に虻蜂取らずを証明しているからなだろう。
錐でもみこむように生きてこられただろうか。
世の中に出回った自分の情報におののき、これでは「虚偽を生きた」と天を仰いで呆然とするのである。
それにしても、仮想空間の情報はなかなか殺せない、その割には現実を支配しているのである。
恐ろしことだ。