ガブリエル・ズックマン―「富裕層への課税」こそが世界を救う!!

気鋭の経済学者ズックマンが語る「格差はなくせる」(1)

米巨大企業の「隠し財産」64兆円を発見したトマ・ピケティの弟子

2016年、世界の富裕層による何兆ドルもの脱税を暴いた論文で一躍、脚光を浴びたのがフランス出身の若き経済学者ガブリエル・ズックマンだ。なぜ、スーパーリッチたちの隠し財産に目をつけ、どうやってカネの移動を明らかにしたのか。経済学に新風を巻き起こした天才に、世界中に広がる格差の問題や最新の研究について米経済誌が取材した。

富裕層の「隠し財産」を探し求めて


パリ経済学校を卒業したガブリエル・ズックマンが、人生で初めて仕事と言えるものにとりかかった日──それはリーマン・ブラザーズが破綻してから最初の月曜だった。

2018年9月にはリーマンショックから10年を迎えた
Photo: Chris Hondros / Getty Images


『21世紀の資本』みすず書房)の著者で知られるトマ・ピケティに師事していたズックマンは、フランスの独立系証券会社エグザーヌのインターン研修を受ける準備を進めていた。配属されたクライアント向け説明資料の作成チームで、彼は「バカげている」と思わずにはいられない仕事を与えられた。

それは「このたび起きた世界経済の崩壊について説明せよ」というものだった。

「いったい何がどうなっているか、わかっている人などいませんでしたよ」と、ズックマンは当時を振り返る。

当時ズックマンは、博士号を取得すべきか悩んでいた。主流派経済学にすでに懐疑の目を向けていたズックマンにとって、この「陰気な科学」は学問世界の外の現実から激しく乖離しているように見えたのだ。

だがある日のこと、彼は経済規模の大きな地域と、バミューダ諸島ケイマン諸島、香港、シンガポールといった経済規模の小さな地域との間で何十億ドルもの大金が出入りしているのを示すデータを目にする。このようなカネの流れの研究は、一度も見たことがない。彼はそのときこう思った。

「もし時間をかけて丹念に調べれば、カネの流れの背後にどんな物語があるのか、きっと理解できると考えました。私たち経済学者だって少しは世間のお役に立てる、そう思ったんです」
 
それから10年後。カリフォルニア大学バークレー校で准教授を務めるズックマン(32)は、「富裕層のカネの隠し場所」に関しての世界最高のエキスパートになった。

世界一豊かな国のカネ持ちはどれくらい裕福?


恩師ピケティの指導で書き上げた博士論文では、世界の富裕層による何兆ドル分もの税逃れを暴いた。ズックマンの業績で世界に最も影響を与えたのは、バークレー校の仏人経済学者でピケティの協力者でもあるエマニュエル・サエズと連名で発表した2016年の論文「1913年以後のアメリカにおける富の不平等」だ。

21世紀の資本』の著者トマ・ピケティ。ズックマンの師匠でもある
Photo: Justin Sullivan / Getty Images)


同論文で2人は1913年から100年分のデータを集約し、近代資本主義でもっとも深い謎、すなわち「世界一豊かな国のカネ持ちはどれくらい裕福なのか?」に対する回答を示した。


彼らの答えは「それはアメリカの富裕層で、従来考えられていたよりはるかにカネ持ち」というものだった。

それ以降、2人は不平等をめぐるアメリカ内の論争の矢面に立たされる。彼らの示したデータはバーモント州選出上院議員バーニー・サンダースが大統領選に出馬した際、街頭演説の中核を成した。
2016年の民主党予備選挙期間中、サンダースは2人のデータを何度も引き合いに出して支持者の激しい怒りを煽ったのだ。

2016年の米大統領選では、若者層を中心に「サンダース旋風」が巻き起こった
Photo: Duane Prokop / Getty Images for MoveOn.org


ズックマンとサエズの最新推計によると、アメリカ国民3億3000万人のうち、納税者のトップ0.1%に当たる約17万世帯がアメリカ人の富の20%を握っており、90年前の1929年以来もっとも高い比率だという。

同様に、納税者トップ1%が国富の39%を占め、残る90%の底辺層の占有率はわずかに26%。下半分に当たるアメリカ民はみなマイナス、つまり債務超過だ。

ズックマンは、多国籍企業が海外利益の40%に当たる約6000億ドルを、「カネを儲けた国」から「課税の緩い地域」へ移転させていることも発見した。

多くの経済学者の例に漏れず、ズックマンとサエズも彼らの研究に政治的な意図を込めている。異なるのは、政策提言における大胆さと積極姿勢で彼らの右に並ぶ学者がいない点だ。
 

経済学の「神話」を覆す


2020年の大統領選に民主党候補として出馬を表明した、エリザベス・ウォーレン上院議員の公約の目玉は「富裕層への増税」だ。彼女は選挙運動を開始する前、ズックマンとサエズに意見を求めたという。2人は彼女の提案する新税について、今後10年で2兆8000億ドルの税収が見込めると答えた。

2019年1月、ウォーレンは資産額5000万ドル超の米国人に対し富裕税を課すこと提案した
Photo: Marco Bello / Bloomberg via Getty Images


ウォーレンが収益1億ドル超の企業に課す法人税案についても意見を求めると、向こう10年で1兆ドル以上の税収が見込めるだろうとの返答が返ってきた。

民主党の下院議員アレクサンドリア・オカシオ=コルテスがCBSテレビの番組「60ミニッツ」で、1000万ドル超の所得がある富裕層への所得税最高税率を70%にまで引き上げるべきと提案すると、ズックマンとサエズはすぐさま米紙「ニューヨーク・タイムズ」の論説欄で提案への支持を表明した。


これまで経済学者や為政者の多くは、次の主張を死守してきた。
無制限なグローバリズムでは誰も損をしない。低い税金は成長を促す。ビリオネアと超高収益企業の存在は、資本主義が機能している動かぬ証拠である——ズックマンの発見は、これらをことごとく崩すものだ。

ズックマンによれば、彼らが見つけた証拠はすべて逆の事実を示唆するという。リーマンショックがきっかけでこの分野の研究に取り組んできたズックマンは、いま行動を起こさなければ、経済と政治の混乱は前回の危機をはるかに凌ぐと危惧している。【後編に続く
 

後編では「富裕層への減税こそ経済成長の鍵」とする定説を論破し、アメリカで格差が急拡大した原因を明らかにする。
 
アメリカ随一の「資産探偵」にして、気鋭の経済学者ガブリエル・ズックマン(32)がスーパーリッチの秘密を探る場所は、サンフランシスコ湾の絶景を見下ろす白い壁に囲まれたこぎれいなオフィスだ。

彼のやり方は、最近の経済学者の手法と比べるとひどく原始的だ。高性能コンピューターも回帰分析も予測モデルも使わない。頼りにするのはいくつもの税率表にマクロ経済データ群、各国の中央銀行が算出した国境を越えたカネの流れをまとめた膨大なエクセルシート。作業はすべてひとりでこなすという。
 
「富は、そのままでは見えてきません。データのなかに置いて初めて見えてくるんです」

そう言うと、窓の外のベイエリアの活気をよそに、彼はこう付け加えた。

「最近、私のエクセルシートで増えているのが、シリコンバレー企業。とりわけバミューダ諸島アイルランドで記帳された利益の量の多さには目を見張るものがあります」

原体験は「国民戦線


医師の両親を持つズックマンは、パリ生まれのパリ育ち。家庭での話題はもっぱら政治だったという。

2002年、彼が15歳のとき「少年時代の政治的な悲劇」が起きた。極右政党「国民戦線創始者のジャン=マリー・ル・ペンがフランス大統領選挙で社会党候補者を僅差で破り、決選投票に残ったのだ。ズックマンは、自然発生的な抗議デモに参加したことを覚えている。
「それ以来、このような悲劇が再び起こらないようにするにはどうすればよいのか、それが自分の政治観の大半を占めるようになりました。でもこれまでのところ、うまくいっているとはいえません」

国民戦線の第2代党首マリーヌ・ル・ペン。初代党首は実父
Photo: Chesnot / Getty Images


ル・ペンの娘マリーヌが2017年の大統領選決選投票に進んだとき、彼女の得票数は父のときのほぼ2倍に達した。

「どうすれば我々の生活がもっとよくなるか。 最終的に目指すのはそこなんです」とズックマン。

全世界の家計の818兆円がオフショア勘定


パリ経済学校の博士号研究で、ズックマンは、富裕層がオフショア口座に最低7兆6000億ドル(約818兆円)を貯めこんでいる証拠探しに明け暮れた。

それによると、彼らのオフショア勘定は全世界の家計における金融資産の8%を占め、オフショア資産の80%が各国政府の目に届かない場所に隠されている。その結果、毎年約2000億ドル分の税収が失われているという。
 
また同じ頃、彼は指導教官ピケティの助手として、仏独英米の過去300年以上にわたる国富と所得データをまとめた。ピケティとズックマンは共同でこの300年超の数字データにもとづく論文を書く。

この論文が、2014年に刊行されて世界を驚かせたピケティのベストセラー『21世紀の資本』みすず書房)の根幹となる。翌年、ズックマンの博士号研究も、『失われた国家の富』NTT出版)という書名で出版された。

2014年に英語版が刊行されるやいなや、世界的なベストセラーになった『21世紀の資本
Photo: Jaap Arriens / NurPhoto


隠し財産をめぐる攻防


ズックマンがアメリカにやってきた2013年は、オバマ大統領が不平等について「われわれの時代を特徴づける重要課題」と明言した年でもある。このとき彼は同じフランス出身の経済学者エマニュエル・サエズの声がけで、カリフォルニア大学バークレー校研究員に採用された。

サエズは2009年にアメリカ経済学会の権威あるジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞、翌2010年にはマッカーサー・フェロー助成金を受けている。2人は隣り合った研究室にこもって、アメリカの隠された富をめぐる謎解きにかかる。彼らの推計は論文草案として2014年に発表された。

2019年、ハーバード大学の卒業式で祝辞を述べるサエズ
Photo: Paul Marotta / Getty Images


作業は苦労の連続だった。アメリ国税庁(IRS)のような収税機関が納税者に課しているのは、一般的には「資産」ではなく「所得」の申告。世界に散らばる資産の大半はさまざまなかたち、すなわち住居、芸術作品、年金口座、無配株といった形態をとっているが、こういった資産は売却しないかぎり所得にはならない。
 

原体験は右派の台頭


ガブリエル・ズックマン。妻のクレアも現在、経済学の博士課程に在籍中
Photo: Courtesy of UC Berkeley / Getty Images


たとえば、ある不動産王が数十億ドルもの不動産を持ち、さらに数十億ドルの現金を海外に秘匿していたとしても、はるかに少なく申告できたりする。

そのため、「経済的な不平等」の研究者はたいてい自主的な調査をより所とするのだが、それでも最富裕層の特定どころか、相続税に関するデータの特定さえままならない。

現状は、不正をする者が勝つ仕組みになっているのだ。

ズックマンとサエズはIRSから調査を始めた。IRSの内部調査への条件は厳しく、施設内の立ち入りを許可されたのは米国籍を持つサエズのみ。彼は匿名化された高所得者層の統計データをダウンロードした。続いて2人は、IRSで集めたデータを推定資産額に変換する。サエズは以前からこうした調査のアイディアは持っていた。

「でも、そんな複雑な計算をどうやったらできるのかと頭を悩ませていました。そんなとき来てくれたのが、ズックマンだったんです」とサエズ。
 
有料記事のため以下は読めずに終了します。