どうしてリベラルはゆるいのか?
山上は無罪ですよ、何があっても人殺しはいけない、ってか⁈
政治家すなわち公共性ー公的責任者へはテロもやむを得ない、場合がある。
もちろん、罪状の構成要件によりケリだけど、何があってもなんてことはない。
近代国家の原理的な構成からすれば必然なのである。
その原理的正当性は、私人間闘争の市民社会内では市民へ妥当な安全性を提供できない公的権力は在ってはならず、私人間闘争を抑止する義務を負い、それが出来ない公的権力は正当性をもたない。
これが近代市民社会と国家の建付けである。
(近年では、例えばライ病隔離政策に対する政府の謝罪と補償など)
ゆえに、万一の時、公的権力を具現化する公人は、市民社会内の私人が、長期に渡り安寧な生活を脅かされた場合、不作為の責任を問われてもやむを得ないのである。
長期に渡り、その生活権を奪っている宗教の存在を知りながら、公権力は放置した。
よって山上徹也は無罪。
注)
私人間の殺人は、世俗道徳の徳通り、いかなる命も尊い、というテーゼは守られねばならない。
しかし、私人と公的権力者の場合は非対称である。
それは国家権力が自己証明しており、総理大臣には国家が警備警察を配置し、防衛している。その様な私人と公的権力者の関係の布置を可視的に見ることは容易であろう。
すべての命が等しいという近代イデオロギーは、国家権力側が幻想でしかないと言っているわけだ。
不満なら、全私人に警察の警備を付けますか?