俳愚人 blog

無名著述家、無名俳人、著書数冊

国旗損壊罪でますます中国・北朝鮮化を進める高市自民党政権❣

本日(2026.5.15)の毎日朝刊の「余禄」はこんな風に書いている。佳い。
私が王様なら人々が国旗を燃やすことを許さない⋯」と最高裁判事スカリア判事は述べた。これは星条旗を燃やしたデモ参加者に対する1989年の最高裁判決でのコメントである。この判事は保守派の判事であるが、この冒頭の部分だけきくとさもありなんと思う。
だが早まってはいけない。
彼はこう続けている。
「(言論の自由を明記した米憲法修正第一条は)『特に政府を批判する言論を対象とする』」と述べて、「私は王ではない」と言い切っている。
アメリカの強い時代、世界のリベラリズムの手本となっていた頃のエリートの矜持というものを仰ぎ見る思いだ。
「余禄」はこのエピソードの後に、中国の国旗損壊を書く。
中国の「国旗法」は、1990年天安門事件の学生らの民主化要求運動を契機に、「国旗の尊厳を守り、愛国主義を発揚する」目的を明記して刑事罰設置。
なんのこっちゃない、中国の愛国者=中国右翼が策動したわけだ。国民国家を上から作った国は、市民社会の個人の自由も、国家統治の正統性も理解しないため、国家が市民社会(自由と個人の相互承認)から外化されたものであるという認識が薄い。
何でもかんでも権力で人民を統制しようとする。
国家は市民が形成し、嫌なら作り変える、修正する、これが民主政治の基本である。
国家の象徴である国旗などは、政府が気に食わず、尊敬できる国家でなければ、焼いて食おうが褌に使用しようが自由である。
近現代国家は原理的にいえばそういうものなのである。
世界的に国旗へのフェティシズムはあるが、
1.中国・損壊罪制定後日本タイプ、
2.アメリカタイプ、
3.フランス・スペインタイプ、
4.ドイツ・イタリアタイプ、
5.日本・デンマーク・スウェーデンタイプ、
に大きく分れる。
詳述は長くなるなるので省くが、

アジア的な民主政体の不全感を当然のこととしている国は

国民を権力で統制し、自由の首を自分たちで締めさせる考えが強い。
今や高市や日本会議が進めている政策は、中国ないし北朝鮮国家に相似形を成しつつある。
右派が敵視する国家と相似形を成すのだ。
高市の政治の基本的学識が皆無であることに原因している。
その高市を支持する過半の東大生や若者8割は誰に教育され、あるいは大学進学率が50%台に低迷していることに大人は危惧しないのだろうか。
アメリカタイプは、既に述べたように、最高裁で「国旗損壊は表現の自由として保障する」と是認している。
フランス・スペインタイプは、やや複雑で、同一ではないが、
近代国民国家を棄損する行動での損壊を規制している。
つまり中国日本タイプと真逆なのだ。
近代の民主と自由を棄損するー即ちフランスなら第三共和政以降の民主政体を破壊するファシズム運動、公共の場での侮辱、公式行事など政治活動によって毀損された場合は、有罪。
それ以外の場合は、損壊に問われたとしても実質不起訴が運用の実質である。
でないと、間違って破いたとか雨の日に泥水につけてしまったような事例を起訴するのは立法趣旨が違うから当然のことだ。
ドイツ・イタリアは日本同様旧ファシズム国家。何でも「統制」したがる。自国旗だけでなくEU旗、外国旗もひっくるめて罰する。最長3年の禁固刑だ。
まあ、これも好意的にみれば、戦後ナチスの旗を克服するという意味が大きく、法的規制で戦後民主政体を護るということなのだろう。
なにしろ学校での挙手の仕方まで法律で決める国なのだ。
日本は現行法は最も自由主義的で、デンマーク・スウェーデンと同じである。
外国旗の損壊処罰法だけで、自国旗にはない。
日本は、大国でもないのだから、かねてより福祉国家モデルとして、国民の幸福度がトップクラスの北欧型が佳いだろうと思ってきた。
国家と国民の距離間が既にスウェーデンやデンマークと同じならそれで良くないか。
なお、国旗フェティシズムのイデオロギーについては又別途書くとする。
結論的だけ私見を述べると、
損壊罪は不要、アメリカ同様表現の自由が上位にある。
万一制定するなら、右派のいう「神聖性」に乗っかてやる。
どういうことになるか、バカでも分かる話は、
神聖な国旗は一切政治活動に利用しないこと、
国家行事に限定して、法で定めて日時・場所以外、即ち旗日と同じ限定使用を付記すること。
いたずらに、国旗をなびかせて街宣車走らせたり、ヘイトデモに国旗を振る日本人の恥部を封じることこそ、日本国民として世界に尊敬されること間違いなし、と確信するものである。