私は、LINEのピンボケなアンケートではあったが、初めて応答した。
LINEは登録はしているが、ほとんど使ていない。
ネットでの署名など誰がどうしているのか不明瞭なので、一切応答したことはなかった。
しかし本物か確認をとり、周囲にも応答を呼びかけた。
理由は、左翼崩れ(私も含めて)が、ムード的に国家=悪だという、悪しき戦後民主主義的感覚では乗り切れないと思っているからだ。
国家を今支えるフェーズにある、というのが基本認識である。
近代社会の原理からすれば、私人間闘争を禁止、そのために個人は契約の自由と相互承認を律した。自由と通常言っている元は契約の自由なのである。
それには権利関係における自立した自由な意思をもった個人が要請されることと、
相手が自分と同じ欲望と意思をもった同等の人格であることを、相互に承認することを必須とした。
従って国家(執行権力)と軍・警察(暴力装置)を疎外し、自らの秩序を犯すものは、共同で暴力的に排除する工夫をしたのである。
従って国家と国民はセットであり、国民としての福祉は国家によって保障される。富の再配分も国家の役割である。
もちろん現実問題は、歴史的文化的に規定された様態で国家ー市民社会は顕われてており、さまざまの問題は歴史で見るとおりである。
このような原理的把握は、これを読んでいる方々の知識人は当たり前のこととして知っていることだ。
しかし、グローバリズムに襲われた時、世界的にリベラル派が安易に乗っかり、全共闘崩れの猪瀬直樹のように率先して民営化に走った者も多いので、再確認しておくことは大事だろう。
先にも書いたが、人倫における国家と暴力の問題は、哲学的に一定の知見を獲得して、19Cに国家によって容認された二つの殺人ー戦争と死刑は、世界のスタンダードでは今やほとんど無効化されつつある。
話しが広がりすぎるのでこの辺にするが、
要は、未知なるウィルスは、人倫の世界に積み上げてきた知見は通用しない。
その場合、政府の対策の内容を叩きながら、国家による福祉を強化するしかないのである。
国家によって「健康の再配分」=健康の環境と資源を平等に配分することしかないのだ。
ここでは、金銭補償や仕事より優先されねばならない。
命あっての物種だからだ。
国家強権で国民の命を守ることが要請される。
欧米の自由が、平時には最大限主張されながら、このパンデミックには国家の強権が発動されるという情況は、西欧原理が近代の原理的な理念を血肉化しているためだろう。
日本はこうした近代原理をスルーして、いきなりロシアマルクス主義から国家ー市民社会をみてきた。
早とちりした若者は、国家=悪だと信じ込み、ムード的に国家忌避態度を身に着けた。
それがいわゆる日本的にリベラルの体質となっている。
切実に考えたのは、むしろ「良質な保守」派であった。
戦後、強権を必要とすることも、共同体として国民を守る経験も、していない。
拉致被害者でさい放置されている。
韓国のウィルス対応の方がはるかに早く適切であったのも、理由はそこにあるだろう。
私は、政府・厚労省の対策の脆弱さを忌々しく思っているが、
しかし「三つのミツ回避」など必要なことは、最大限協力しようと思っていて、
自宅に籠ってもいのだ。(寂しいからネットでコミュニケーションしましょう(笑))
だからこそ文句を暴力的に言う。
国家は、人民が人民のために疎外し、人民のために使いこなすものであるという、原理的認識がないところにしか、
民主主義はあり得ないのではないか。