アレクシェービッチ(ノーベル賞作家)のウクライナ戦争のリアリズムは流石だ!!

前回(3/28)、ノーベル賞作家アレクシェービッチと金平氏の長いインタビューを乗せておいた。
アレクシェービッチの作品はまだ読んだことがないが、このインタビューでとても共感をもった。
彼女は日本人のプーチン観もウクライナ戦争についても、私の主張に重なるもので、聞いていて驚いた。
 一つは、日本の外交官上がりや専門家が、いまひとつ分からない、すなわち民衆の座標軸を欠いている国家主体の語り口は戦争論として無効であると、再三私は批判している。
アレクシェービッチがさすがだと思ったのは、彼女はプーチンはロシア国民の欲していることを言葉にしただけだ、国民が無意識としてもったソ連解体後の気分に言葉を与えているのだと。
従って、残念ながらロシア国民がプーチン政権を倒すということはありえないだろうと。
二つ目は、民族独立戦争にも、ただの戦争としてロシアと等価の戦争悪を張り付けている日本平和論者と全く違ったものである。
ガキの喧嘩じゃああるまい、どっちもどっちも戦争やめろなどという無責任なことを、彼女は言わない。
彼女はベラルーシュ出身だが、米国・NATOを批判してこういうのだ。
ウクライナに、武器供与を逡巡している場合ではないと。
早期に提供し、ウクライナの犠牲者を最小化してロシア撤退と独立の停戦を招き寄せるべきだと。
私も長期化しはじめてから、ロシアの脅しに乗るな、日本の平和論者のようにプーチンと口を揃えて第三次大戦に入るなどバカ言ってんじゃないと言ってきた。
戦争が始まってからは、どのような戦争もどちらかが戦闘優位を確保しない限り停戦などありえないのである。
とくにこうした20Cのクラッシックな領土戦争は。
ウクライナもロシアも兵士の犠牲を少なくするためには、一気に形成をウクライナ=NATO有利に持ち込まない限りだらだらロシアペースでウクライナは廃墟にされるのである。
ロシアは無傷のまま、拒否権の常任理事国を維持したままダラダラ世界の不安定化を「常態」にするのである。
アレクシェービッチのこの軍事認識は、ヨーロッパにおける弱小民族の、歴史的苦悩を深くたたえたものだと言えるだろう。
(Facebookより転載)