謹賀新年ー庶民の座標軸を欠いた平和論の根底的批判へ

新年明けましておめでとうございます。
本年も激動の暗い時代が予想されますが、
せいぜい己の劣化を食い止めるべく、皆さまの啓蒙にすがりたいと思います。
宜しくお願いします。
 さて、大晦日から元日にかけて、NHKの報道ばかりチェックしていましたが、ひとつだけとても嬉しいニュースがありました。
ロシアにしか退避することができなかったウクライナ人が、到着とともに恐怖の取り調べと、極東への強制移住にさらされるという状態があるようです。
その中で、ウクライナ人への地下支援組織がロシア国民のなかに自然発生的に、ネットを通じてできあがっているとのこと。
その数一万人を越えているとのことです。
取材に応じたロシア夫人は、ロシア脱出希望のウクライナ避難民を、ひそかに自費で負担し、迎えにいってロシア隣接の国へ逃亡させているとのことでした。
その夫人は顔出し取材をしていましたが、コーディネーターという希望受付と支援者のマッチングをする人がいて、支援は多岐にわたり、それを支援できるロシア人を捜すような仕組みのようです。
ネットワークは従って誰が参加しているかは全く分からない、分っているのは何人かのコーディネーターとサンクトペテルブルクの大教会の司教がトップだということだけらしい。
年配の日本人はご存じのように、嘗てベトナム反戦活動のべ平連が厭戦米兵をシベリア経由でヨーロッパに逃がす活動をしていましたが、それと同じようです。
私がこのニュースに嬉しく思ったのは、ロシア国民にもこれだけ膨大な支援者が存在していたということです。
すなわち治安機関がそのまま政権になっているようなロシアでさえも、庶民の良心が息づいているということです。
私が、初期に発表した日本のみならず、世界のリベラル派識者批判は、プーチンにも言い分があるとか、ウクライナは緩衝国家を逸脱してロシアを挑発したゼレンスキーがアホだとか、ロシア弱体化を米国NATOが仕掛けた代理戦争だとか、果てにはエマニュエル・トッドなどが日本は核兵器を持てなどおせっかいなことを言っていたこれらをすべてダメだと述べたわけです。
こうした言説は、発言ポジションによって一面は正しいのでのですが、すく事実によって一面であることが露呈してきたのです。
詳細はいちいち挙げませんが、決定的な問題は、ウクライナの中にも戦争は嫌だが、民主国家として独立を果たしたいという国民=戦争に勝つまで戦うという人民の意思が86%もいるということ。また、国費を割いてもウクライナ支援をするヨーロッパ諸国の国民がいること、反戦を主張する多くのアメリカ人がいること。
日本には政府と違うウクライナ人国民の悲惨さに寄り添い、一刻も早い停戦を日本政府が主導するよう願って支援している国民もいること。戦争いやね、どっちもどっちもよなどと日本的平和論者の無責任性ではなく、私ならウクライナ人にどういう国家建設を果たしてほしいかという視点から、ウクライナ人を支援する立場もあるということ。
すなわち、それぞれに浮上し、戦争に一市民として責任ある対応をするのでもなく、日本の識者が世界史的、国家諸関係的、冷笑的、スラブ訳知り顔的な「文脈を披歴」するだけで語り、ウクライナ国民とロシア国民を中軸とした「世界市民」の座標軸が全く抜け落ちたまま語る、その語り方にベトナム反戦のころと違った"ある劣化"を見ているからでした。
専門家たちが、西欧民主主義の終わりだとか、嘗ての「帝国」の復権で、多文化主義の時代だとか、国家や民族がどうなると予測して当たっているとか当たっていないとか、シャラクセエんだよ。
ドットがソ連崩壊の予言を的中させたとして、では今のロシアがどうあれば戦争をしなかったといっていたのか?そんな国民に関わることは一つも述べられていないのですよ。
この戦争がもたらす次の世界が今の権威主義国家が主流になるとして、それぞれの庶民はどういう生活や幸せが得られるのか?
西欧の没落をはしゃぐのはいい、しかし西欧が獲得した人権や平等やカントのミニマムなどの道徳論は消滅した世界でいいのだろうか?
そういうことを主体的に「思考と志向」ができない学者なんか、私に言わせればイラネェと言うしかないのだ。
(トッドについては直近のものをまだ読んでないから適当なんだけど)
ということで、無学ながら日本の平和論の根底的な再考をしていきたいと思っています。
(Facebookより転載)