フランコ・バザーリアのマニコミオ廃止という革命を讃える!!

6月21日(水)
今日はケアマネと今年度の治療改善のプランを作りました。
6000歩歩行は昨年度達成したが、体調を崩すことはしばしば。
体重が一気に10㎏太って、体形が戻りはしたが、筋力が落ちているので、筋とのバランスがとれず下半身に痛みしびれが随時発生してしまう。しかし歩行困難を克服したから、
今年度は、新幹線で旅行に行けるようになる、という目標を設定。
 さて遅々として進まない読書だが、一日も欠かすことがないように努力しよう。
バザーリアも佳境に入ってきた。
心に響いた箇所ー
20Cに入って産業化が多くの国で進展したが、それに相即して統合失調症がそれらの国で多く発生してくる。
統合失調症となずけることは、患者から距離をとるために、つまり統合失調症の患者に対して権力をもつために、たんに医師にとって都合のよい烙印を押すことだけなのです。
精神病とは、決められた用語で狂気を体系化したものにすぎません。つまり統合失調症という言葉は、狂気のある特有の表現方法を体系化したものにすぎません。
私は精神病の概念を批判しますが、狂気を否定しません。狂気とは人間であることの条件だからです。
精神医療はいつでもイデオロギーとして利用されてきました。
これに対抗するために私たちは闘っています。
それはイデオロギーとしての別の精神医療を創り出すためではありません。抑圧されている人びとのニーズにできるかぎり応えられるような、新たな実践を創り出すために闘っているのです。
統合失調症という病名をつけることは、患者から距離をとるために、つまり患者に対して権力をもつために、たんに医師にとって都合の良い烙印を押すことなのです。
精神医学の堕落は、(病人という)主体を客体化することだからです。人ではなくモノを手にしていると信じていることが問題なのです。
課題(テーマ)は、「精神医療と民衆の参加」。
自分の治療に本人自らが参加するという意味です。すべての人びとが、すべての人びとの治療に何らかの貢献をしなければならないということです。
以上はバザーリアがブラジルで集中講演会の中で語っていることです。
精神病者の解放には、政治社会的な民衆の連帯がひつようであり、医師や医療界だけでは成し遂げられなかったと述べています。
医師であり活動家であることを自覚的に追求したいと述べています。
少数派ではあるが精神病院全廃を果たし、患者を社会で受け入れて普通に生活者に戻すことができたのは、偏にグラムシヘゲモニー論によることで得た成果だと述べている。
世界最大のベッド数、退院死亡率80%という驚異的劣悪精神医療施設、法的人権保護もなくいきなり路上で警官が拘束し、殺害とても合法とされている日本国家。
医療関係者やリベラル派はバザーリアの言説に触れてみる必要はありははしないか。
みんなみんなどこかで統合失調症患者をモノ扱いしていないか。
 
6月23日(金)
バザーリアの革命性は、あの1960年代から70年代に進展している。
やはりイタリアの新左翼であっただろう。
しかし、活動の仕方と成果を知るにつけ、東大医学部の闘争とは違って、あくまで医師という専門技術者としての立脚点を手放さないという方法論であった。
「医師であり、同時に活動家として」という言い方がボリシェビズムの党派性を超えている。
私など当時から政治社会革命であるべきだ、という主張であったが、バザーリアの考え方には全く同期できただろう。
 政治権力をとればすべてが解決するなどという矮小化も、個別課題に政治的契機を排除してしまうことでもない。
質問にバザーリアはこんな風に答えている。
「私はキューバの精神医療には賛同できません。たとえそれが素晴らしいものであろうと、とにかくマニコミオが存在しているからであり、また、そこには精神病者を社会的に管理しようとする精神医療の臨床上の姿勢が見られるからです。」
またアムネスティ・インターナショナルについては、ソビエトのマニコミオの存在や反体制者がマニコミオに入れられたことを批判しますが、いわゆる西欧の抑圧的なマニコミオについては一言も発しません。
この見方は自由主義派の人たちが同様の態度をとっていることに対して、私が苛立っていることと重なります。
バザーリアは、教授昇格目前に大学教官に疎まれて、地方の精神病院に飛ばされた。
しかし彼はめげずに、あまりにひどい精神医療施設に愕然として、院長権限で先進的な学生を大量に仮医師として採用し、ガンガン院内改革、ひいてはイタリアすべてのマニコミオ廃止運動に邁進し、保守派や地域住民を説得していきました。
この時の州知事がバザーリアに理解をしめして提案をどんどん受け入れていったのです。この州知事はバザーリアの死後「バザーリア伝」を書いている。日本でいうなら世田谷区の保坂区長のような人物であったのだろう。
ブント書記長島成郎は、60年反安保闘争の敗北後、再び東大医学部に戻り精神科医として沖縄へ赴任する。
島が取り組んだのは、家庭の檻に閉じ込められ秘匿されていた精神病者を見つけ出し、家族を説得してとりあえず病院での治療を受けさせるというものだった。
バザーリアの述べるように、モデルはあっても文化の違う国でそのまま適用はできない。
沖縄での島の取り組みは、牛馬の如く糞尿にまみれた患者を人間として衣食治療をまっとうすることだった。
この島の治療取り組みは、伝説となった。
(佐藤幹夫『評伝島成郎』参照)
イタリアのマニコミオ全廃は1979年、島とわずかな同士はそのころ閉鎖病棟を解放病棟へ進めるというマニコミオの廃止ではなく、少なくとも患者をモノとして社会的管理対象としない治療転換をやっと志向する程度であった。
それさえも今では伝説的島の精神病治療論となっている。
(Facebookより転載)